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【音楽雑記】#52 南野陽子の連続ヒットと作編曲家の萩田光雄氏(1987年④)

南野陽子は1987年2月から1990年2月までの3年間で、1位を最も多く獲得した歌手だったらしい。特に1987年から1988年にかけてリリースされたシングルは8作連続でオリコンチャート1位を獲得、アイドルとして大人気だった。

ファンとして追いかけていた訳ではなかったがテレビなどで頻繁に耳にしていた為か、この頃の曲は聴きなじみのあるものばかり。
特に「吐息でネット」「はいからさんが通る」「話しかけたかった」「楽園のDoor」は、今でも時々聴くお気に入り曲になっている。

これらの曲は改めて聴いても良い曲ばかり。作曲家は曲ごとに異なっているが、編曲は一貫して萩田光雄氏が担当していた。

萩田光雄氏といえば70年代から活躍している日本屈指の編曲家。「プレイバックPart2」「木綿のハンカチーフ」「少女A」「異邦人」「待つわ」「シクラメンのかほり」「風の谷のナウシカ」など数え切れない曲の編曲をしている。時代によって楽器構成も音色も違うが、どの曲も時代を超えた名曲だ。

当時のことを振り返ったラジオのトークによれば、大御所作曲家に発注するというより、コンペで集めた多くの曲の中から、南野陽子のコンセプトにあう曲を選び、時に南野陽子の意見も聞きながら時にメロディも修正して仕上げていったらしい。

80年代の楽曲は、デジタル楽器が普及した頃で当時の曲を今聞くと古さを感じたり、雑さを感じることもあるが南野陽子の曲はも今聴いても新鮮だ。プロデュースがしっかりしていて、萩田氏の編曲とスタジオ録音の出来の良さがあったような気がする。

打ち込みのリズム、デジタシンセを駆使しつつ、管弦生楽器も取り入れた丁寧なアレンジをしている。録音、ミックスにおいても、かなり色んな音色の楽器やコーラスが入っているが、音の分離が良くてリバーブの具合も気持ちいい。(「吐息でネット」は昔、レコーディングスタジオなどでサウンドチェックに使うリファレンスCDとして使われていたという話を聞いたような気がする)

そして南野陽子の可愛らしくも気の強さが滲み出る佇まい、存在感があった。当時のプロデューサーや萩田氏が、そういった魅力を引き出す楽曲(”ナンノワールド”)をつくり出したのが当時のヒットとなり、今でも多くの人の記憶に残る作品づくりにつながったのかもしれない。

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