無個性とアングラとヘタウマ漫画と商業主義と苦悩
なんの事だろう?と思いますが結論を先に言います。
わかりませんが...
自分も一度はプロになり夢見た人間です 。(言い訳になりますが、環境の不遇によって挫折組だし)ドロップアウトした人間に説得力は無いのは重々承知しております。本当は話したくないものもありますし、話したところでという経験もあります。ただ自分の過去に於いての、蟠りをどうしても吐き出したいし、若い方々にちょっと知ってもらいたい気持ちで。理解頂けないかもしれませんが一方的に書かせて頂きたくご配慮の上、お読みくださいませ。
ウケる漫画
「どうしたら人気出るんだろう?」こんな事ばかり考える若手の方多いと思います。漫画に限らず、地下アイドルさんもお笑い芸人もプロレスラーもジャンルは違えど、なかなか世に芽が出ないで苦悩する若い子多いと思います。制作・営業側の編集や事務所の30代40代の方々も然りだと思います。日々努力はしてるものの売れないので、試行錯誤したり精神的に参ってしまう人も多いと思います。夢を見る以上、当たり前な話ですけどエネルギーがいる事だと思っています。
「描きたいものを描くんじゃないのか?」
「描きたいもの描く為に描きたくないものも描かないと描かせてくれない」
「ウケる事も考えるようになったんだ?」
自分が若い頃、年上で友達のプロ漫画家さんとした会話です。自分は25歳でデビューしました。漫画家としては遅いらしいです。遅いというそんな事も知りませんでした。
「人気投票は君が一番だったけど、編集会議で若い子に賞をあげる事に決まりました」
自分の担当さんに言われた時、なんだ、それ?実力主義じゃないのかよ?若い子に忖度するって?普通にサラリーマンと変わんないじゃないか?それが最初の憤りでした。そして、この担当さんも文学系から左遷された漫画を知らない自分の年齢に合わせた年配の方でした。漫画を全く知らないので、言いたい事を言ってきました。自分が寝ずに描いた子供のような自分の漫画の根幹である設定まで変えようとしていました。悔しさも沢山あって体壊すくらい描きました。夜も寝ないで描きました。寝ずに描いた漫画原稿を油性マジックで当時の編集長さんからバッテンされる事もありました。そして、理由は詳しくは書きませんが家庭環境の変化で自分はペンを置き漫画を描く事を辞めました。
当時、ウケる漫画ばかり考えていました。どうしたら編集部を見返せるくらいの人気が出るのだろう?と。10代から努力を重ねて漫画家になった人達と違い、自分はひょっこりプロになってしまったので若さも重なり多分に舐めていたと思いますし、自分自身がその有難みを理解していなかったと思います。
商業主義
記憶が曖昧で時期は前後しますが、中学校の同窓会が開かれました。世はバブルの終わり頃だったと思います。仲がよかったYちゃんと漫画家の話をしました。彼は良い大学を出て音楽事務所の営業の仕事に就いていたので、自分の話に大きく頷いてくれました。若手のバンドの子たちを育ててるそうです。何人もアマチュアの頃には意気揚々だったバンドの子たちの音楽も会社の方針で全然違う音楽をやらされてて、気持ちが萎えて音楽を辞めてしまったのがツラいとYちゃんは話してくれました。ウケる音楽を会社も考え抜いて指導してるのだそうです。それが商業主義というものだと、その当時以上に今は理解しています。
ヘタウマ漫画
絵が平面的だ、躍動感が無い、どこかで観たような絵だと当時、自分の漫画は編集さんに酷評されていました。それを聞く度に自己嫌悪でゲンナリしていた自分がいます。そんな中、自分が掲載していた雑誌じゃない他の編集社の漫画雑誌に沢山のヘタウマ漫画が出始めました。画力は多少自信があった自分の目にも、こりゃ酷い!という漫画ばかり急に売れていたのです。こち亀の両さんも、とある回で、ヘタウマ漫画を言及していました。それほどに真面目に漫画を描いていた人間には、憤りさえ覚える画力の漫画だったのです。内容もシュール過ぎて理解出来ませんでしたが、売れているという事実は確かなことだったのです。正直、自分の頭の中はパニックになりました。これを個性と言うのだろうか?なんでもあり!なのか?と。
オリジナルとは?
個性ってなんでしょう?あの当時は考えられなかった事が今では鮮明にわかってきました。自分も漫画が好きで読み漁っていた少年でした。それこそ、沢山沢山読んでいました。小さい時から絵は描いていました。やることがないので、絵ばかり描いていたのです。それこそ、紙と鉛筆があれば幸せな子供でした。お話や設定を考えてキャラを作って...それが楽しくって楽しくって仕方なかったのです。この想像力が強い人が個性を持てます。自分の絵柄やお話作りをこよなく愛せる人間が個性強めになっていきます。今思えば、自分に自信が無かったと思います。自分の絵を持てなかったのだと思います。誰かの影響を受けたに過ぎない絵だったのだと思います。千鳥じゃありませんが、癖が強いとは自分が良きと思う自分自身の事なのです。そして、観る側も特徴ある絵柄とお話は印象に残ります。福本伸行先生のカイジの鋭利な鼻は印象に残ります。三丁目の夕日や鎌倉物語の西岸良平先生の横にほっぺが長い絵柄は温かみがあります。絵柄とひととなりや本人の人柄は作品に出ます。そして、早いうちに自分の絵を完成させた者が勝者となるのです。デビュー当時は下手な漫画も描いているうちに上手くなっていきます。そしてその方の個性も作品に活かされていくものなのだと思います。
アングラ
昔っからアングラという存在はあります。演劇だって映画だってB級はあります。ガロという雑誌はまだ、漫画業界が未成熟だった頃の素晴らしく自由なアングラな世界観だったと思います。このアングラは個性を産みやすいと思っています。化けて人気が出る事もあります。ただアングラは素人の集まりです。自分では良いと思っていても世間に受け入れられないものが腐る程沢山あるというのも事実です。どのジャンルどの世界でも、このサブカル的なアングラは存在します。昨今、多様化が進みコミケが大規模になったり、誰でも容易にアイドルになれたり混沌とした世の中に変移してきた事も事実でしょう。かつての資本力の強い、宣伝力の強い商業主義も脅かされているとは思います。
正解がわからない
最初に答えを言いました。わかりませんが...と。創作にオリジナルに世に売り出さんと意気込む力に燃える若い方々多いとは思いますが、今の自分にはわかっている事もあります。好きだけではダメなのです。好きを維持するエネルギーが大事なのです。諦めないという精神力の強さが必要なのです。何がウケるか?何が人気出るか?どんな時代になるか?誰にもわからない時代になりました。若いうちは誰の声も聞こえないのも知ってます。聞かれたら答えるけど、水を差す真似だけは、水を差す発言だけはしたくないと思う老兵の独り言でした。
※中野のブロードウェイで平凡パンチやらGOROやらBOMB(ボム)らの雑誌棚前で何やら探しているフランス人とイタリア人の若者に会いました。何に興味があるの?と聞いたら...
「僕たち日本がどうしたら、今の日本になったのか?興味があります。だから昔のサブカルに興味があります」
ヾノ・ω・`)イヤイヤ
そこに答えはないよ!(笑)
おしまい
((。´・ω・)。´_ _))ペコリン