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太市を出港する時、才蔵と和希も一緒だと聞いて由良は手を打って喜んだ。

才蔵の里の織物と荷駄が船に積まれた、才蔵達も新婚で、都への税を納めるのに晴明と同道することになって、太市を訪ねたのだと言う。

由良はにこにこしていた。仲良くなった和希と一緒に都へ行けるのが嬉しくて仕方がない、その姿はまさに女童の様に無邪気、晴明は優しい目で妻を追っていた。 

潮が良かったのか、それから一日で都の下流、河口にある摂津の湊に着いた。

「晴明、褒美をよこせ」
奇太郎が荷物を全部おろしてから言った、太市から一日で着いたら、褒美をやると約束していたのだ。

「褒美はやるが、俺と才蔵が漕ぎ手に加わったから着いたのではないか、その分水夫と同じ駄賃をよこせ」

 晴明も才蔵も女房に相手にして貰えず、手持無沙汰を、船の動力を漕ぎだす事で紛らわせていた、二人が入ると水夫達の士気が上がり、船は驚くような速度で走った。

「坂東の太守が、せこい事を言うな」
「太守などと大したものではない、ただのあきんどだ」

晴明が笑う、奇太郎は分かっていて手を出す。その手に大きな金の粒を十個乗せる。

「過分に頂戴して」
奇太郎が笑った。
「俺は安岐へ行き八日後に戻る、もし遅れたら、どこぞの宿で待っていてくれ」
奇太郎はそう言うと船に戻った。 

摂津の入り江の奥、都へ繋がる川の河口に驚くほど大きな寺が有った、石垣を組み勇壮な伽藍は寺と言うより城だった。

「本願寺だ」
晴明は馬に二人乗りの木製の鞍を置きながら言った。

「本願寺?お寺なの」

「秋津であろうと、瑞穂であろうと罪人であっても、お題目を唱えれば往生できるそうな、寺は門徒の衆が自治をして坊と言う合宿、仕切るのが坊主と呼ばれておる」

才蔵と和希はそれぞれ馬に跨っている、由良は抱き上げられ晴明の前に抱えられるように馬に乗った。男物の筒袴を穿かされ鞍に跨る。

「お題目で、あの世に幸を求める本願寺が大きくなったのも、浮世が辛いからであろうよ」
 晴明がぼそりと言う。

「浮世が楽しければ、あの世の幸は二の次になる」
 由良は本願寺の大伽藍を見上げながら言った。

「夕刻までには都に着くだろう」
晴明が手綱を緩め、そう言った、背中を晴明に預け由良は暖かかった。馬はゆっくりと歩きだした、風間、服部両家の荷駄隊が連なって都を目指す。

 

都に入り、大路を進んだ、都へ来て由良は驚いた。大路は片付けられ、何もないが、なにやら脂の様なシミが、そこここにある、それは大きな動物が腐れた時のものらしく、なんとなく臭った。

ふいに、由良の目にシミの上の骸が現れた。

骸は腹を減らし、減らしすぎて痛みを感じ、その痛みを我が子に感じさせることを悲しみ、やがてぼぉっとしたまま意識を失くしていく。

そんなシミがいくつもあり、中には子供が寝かされていただろう小さなシミが形を作り、由良は体を震わせた。

「もう、見ずとも良い」

晴明の息が耳に掛かり、由良は息を吐き出した。

 

馬上から見ても話に聞いていたように都大路のそこここに死体が転がっているわけではないが、裏道からはずれた広場に死体はまとめられている。

一本細い道を入ると、そこここに、やせ細り、腹だけ突き出たものがうずくまっていた。虫の息の者、すでにこと切れているもの。

そこから荷車に乗せられてどこぞへ運ばれていく。

「都の丑寅の方角に鳥辺野と呼ばれる野がある、そこに門徒衆が居て、炊き出しと供養をしている」

荷車に乗せられるのを待っている死体のせいで、秋なのにあちらこちらで異臭がする。

その中には、赤子を抱いた母親の骸も有った、骸は皆一様に肋骨が浮き、閉じた瞼に眼球が大きく膨らみ、腹も膨らんで、腐れた所から白い蛆がぼろぼろとこぼれおちていた、寒いので、蛆の動きも鈍い。

由良は赤ん坊の骸から目が離せない。
「何故、摂津の本願寺があんなに大きいかわかった」
由良は晴明の腕の中で呟いた。坂東では食べ物に困ることがなく、十分と言えなくても浮世は楽しい。 

三方を山に囲まれているせいか、都は何となく陰気な所だった。 大陸での戦に負けた数代前の白鴎が大陸から押し寄せるかもしれない軍勢に怯え、山の中に逃げ込んだのが、この都だ。

橋げたの有る大橋を渡った後、朽ちた船の上に板を渡したような仮橋を渡り、都のはずれを目指す。宮殿に直接、馬や織物を届けるのかと思ったら、そうではなかった。

「それが、瑞穂たちは、この国の伝統やら、しきたりとか言うから、ややこしいのだ」
仏頂面をしているときの晴明の声が由良を包みこんでいる上から聞こえた。

「あいもかわらず、面倒くさいのう」
才蔵が言い、和希が笑っている。

到着したのは都の西のはずれの大きな屋敷だった。大門に蝶紋が刻まれていた。
供が馬を下り、くぐりにおとないを入れると、小者が出てきて、大門を開けた、荷駄隊がその中へ入って行く。

「晴明、才蔵、早かったな」
気さくな物言いで出て来たのは、相馬小次郎、平将門。坂東と伊賀の守護だった。

「小次郎様?」
由良が目を丸くして驚いた。坂東の北にいる小次郎は、よく、その父に伴われ馬責めにやってきた、由良は小次郎とは子供の頃から、坂東の野で一緒に遊んだ仲だった。

「驚く事は有るまいよ、相馬殿は白鷗の系統から降家した、さぶらいの家柄だ、元々は坂東の守護で、ここが相馬の本家だ」
晴明が笑った。

税は守護が徴収し王の役所に集める、秋津と良い関係を築けるものが少ないので、そう言う者に一任される。
坂東の晴明の風間家の地頭としての耕作地も伊賀の才蔵の服部も相馬小次郎の預かりにされている。

「汝らを怒らせると命が危ないと言われているからな」
「相馬殿まで、我らの呪いとか祟りとか仰るか」
 才蔵が不敵に笑う。

「汝らの忍び技を存じて居るまで」
才蔵と晴明が顔を見合わせ、にやりと笑った。そう言いながら小次郎も才蔵や晴明に交わるうちにカンナギの体術を良くするようになっている。

「相馬も一族が多いでな、わしは傍流じゃが、坂東の家は守護の役所と言うところか、もっともこの家より、あちらの方が大きいし、過ごした時間も長い」
小次郎は自分の端正な顔を大きな手でぺろんっと撫でた。

「まぁ、長旅でお疲れであろう、とりあえず荷を解き休まれよ、お供の衆にも部屋を用意して有る故」 

一同はそれぞれ部屋をあてがわれ、着替えを終えた後、夕餉に小次郎の屋敷の居間に通された、敷き畳に、ご馳走が並ぶ。

「いやいや、足元が明るいうちに、到着するとは祝着な事じゃ」
小次郎は秋津の流儀に合わせ男女席を同じにして、上機嫌で都の酒を皆に振舞った。都の酒は白く濁り、発酵のせいで発泡し、ほんのり甘い。

「これ、おいしい」
由良が盃を舐めて嬉しそうに言った。

「さもあらん、都の酒じゃ」
 小次郎は嬉しそうに瓶子(へいし)を由良に向けた。

「漉さずに、そのまま発泡させているのだ、これはこれで美味い」
晴明が由良に言った。

「さよう、カンナギの酒は漉すので水の様に透明であったな」
「時に相馬殿」

「何を改まって、小次郎で良い、晴明」
「何故、この時期に徴税なのだ、いつもなら春の筈だ、いくら徴税時期は守護の指示通りとはいえ、この時期に」

「晴明も才蔵も妻女を娶ったと聞いた故、今呼べば、必ず供なってくると思うた」
「幼馴染だから、お見通しか」

「でも、それだけでもござりますまい」
和希がにこにこしながら口をはさんだ。

「才蔵の妻女はお見通しか」
「おぼろげながら」

「はっきり、お見通しで有ろう、宮殿に都病が流行っておる事を」
 小次郎がかわらけを空けながら言った。

「それを祟りのせいにして、都の護摩炊きで間に合わず、白鷗様が伊瀬(いせ)の大社へ参られようとしている事も」
 才蔵が口をはさむ。

「それで馬なのですか」
由良が言った。

「牛車を支度してござるが、供の替え馬が必要だし、いざのときには名馬でないと困る」
 小次郎が言う。

「それで牛車に使う狐の毛皮の敷物が必要だったのだな」
晴明が笑った。

「そして、病の白鷗を包む為に織物さ、縁起もので初物じゃないといかんらしい、縁起物の白米だけ喰い続けて病を得たくせに」
才蔵が笑った。

「伊瀬へ行って快癒しなければ、災いを狐が下手人と仕立て、無辜の民を処断するのだろう。小次郎は関白から睨まれているから、小次郎の預かりの狐の誰かだ」
晴明が言う、都病は脚気だ。

「稗や粟を一月食わせてやれ、それで治る」
 才蔵が言った。

「主上に稗や粟をお勧めする事は誰にも出来ない」
小次郎が苦い顔をした。

「薬師に、やらせればよかろうず」
 才蔵が酒を飲みながら言う。

「下々が食す雑穀を主上は召し上がらない、前にお勧めした薬師は関白から、お仕置きを受けた、陰陽師の見立てで雑穀を喰うと気が下がるそうだ」
小次郎は真顔で言った。

「陰陽師、我らと同じ秋津の祈祷師か」
 才蔵が言うと和希が頷いた。

「祈祷師の御託を信じて病を得たいなら、閻魔の側へ行けば良い、最後は心の臓を掴まれた様に痛がって、のたうちまわって死ぬそうだ」
晴明が淡々と言う、小次郎は黙ってかわらけを空けた。

「小次郎も辛い立場だな、俺達の言う事を理解しているだけに尚更だ、四つ足も召し上がらないと言うのだろう」
 才蔵が気の毒そうに言った。

「主上が召し上がらないので、関白をはじめ、左右の大臣、女御に至るまで、今は四つ足を食えない」
「白鷗が死ぬまでに側近が何人死ぬかだな、賭けるか、晴明」

「どうせ、白鷗以外は自分の屋敷で必要なものを喰っている、賭けにはならん」
「これっ」

 小次郎が慌てて窘めた。
「面白くもない」

 晴明がボソッと言う。和希が咳払いをすると才蔵が困った顔をする。
「お二人とも、小次郎様が真剣に悩んでいらっしゃるのに」

由良が晴明に言った。
「手立ては有るのに、あれも嫌だ、これも嫌だでは助かるものも助かるまいよ」
 晴明が笑う。

「まぁ、そう言わず知恵を貸せ、俺は晴明、才蔵と仲よう暮らしたい」
「俺達もだ、小次郎がこちらに来ればよい」

才蔵が笑う。
「無理を言うな、いかに宮中がうつけだらけとはいえ、国中を相手に戦っても勝ち目はない、俺もお前達と同じで女房子供が可愛い」

 小次郎はややうろたえている。

「勝ち目はある、百姓を瑞穂として秋津より上に置くは、税が重すぎて不満が溜まっているからだ。だが、そんな事で胡麻化されない瑞穂も居る、不満を突いてみれば面白いことになる」
 晴明が言う。

「面白くはないわ」
小次郎は必死に止めようとする。

「そのような者たちは、正しき王が出て、正しく導けば、古き悪しき者を正すのに付いてくる、大陸では天命の尽きた王を倒すは正義と言うではないか」

 才蔵が言うと小次郎の頬がひくりと動いた、晴明が続けた。
「そして、おまえが新王になって国を治めればよい」

 皆、晴明と小次郎の話を聞いていた。
「主上を廃すと言うか」

小次郎が赤くなった。
「主上とやらが、民の為にならぬのなら、倒さねばならぬだろう、それにしがみついている権威、建前第一を壊さなければ、にっちもさっちも行かない、そも大陸では悪王は王に非ず、倒す事こそ仁とされるそうではないか」

「大きな戦になる、田畑が荒れ、民が死ぬ」
小次郎が渋い顔をした、白鷗の軍は反乱を起こした領主の領地に居る民まで殺す。血に飢えた兵は略奪、凌辱等、狼藉の限りを尽くす。

「戦は嫌です」
由良が訴えた、全員が由良を見た。

「晴明や才蔵様が怪我をするのも死ぬのも嫌、民も殺されるのは嫌」
「戦になって負ければ、反逆だから一族郎党、命は無いな」
才蔵が右の頬で笑う。

「命があるうちに逃げればよい、誉などに縁の無いカンナギならば出来る」「無茶を言うな晴明」
 小次郎が眉をひそめた。

「更に衆寡敵せずでは無く、寡兵で大軍を打ち破るのがカンナギの醍醐味だ。おお、思い出した荷物に醍醐があるぞ、酒の肴に美味いぞ小次郎」
 思い出して晴明が言うと、小次郎の給仕人が荷物を取りに行った、牛の乳で作ったチーズだ。

「悪王が天孫ならば、悪神だ、悪神を薙ぐから我らは神薙と呼ばれている」
才蔵の笑顔は不敵だ。

「二人で小次郎様を苛めて」
和希がくすくす笑った。

「するだけの事をして、どうにもならず、戦なら仕方有りませんが、私たちはまだ、遣りつくしていません、ねえ由良」

和希に言われ、由良も頷いた。
「何をするのだ」 

才蔵が言った。

「小次郎様、私と和希様が配膳係の女中として御殿に上がれるようにお取り計らい下さい」
 由良が頭を下げた。

「お二人の様な見目良きおなごは、右大臣様に言上すれば何とかなると思うが」

「それから、晴明と才蔵様が賄い方として厨房に入れるよう」
「確かに秋津の男は殿中に上がれぬから、厨房が吉じゃ」

小次郎は女の童の様な由良がとても賢いので舌を巻いた。

「おいおい、俺達も付き合うのか」
 晴明がかわらけを持ったまま笑う。

「晴明、私を都に置いて帰るの?」
「無理を言うやつじゃ」
晴明は空いた手で目を覆った。

「尻にしかれておるの」
 才蔵が冷やかすように言った。

「おまえもだ、才蔵」
 小次郎が口をはさんだ。

「夫達に任せていると戦を始めかねないから、敷いてさし上げているんです」
 由良が胸を張って言った。

「由良様、やんや、やんや」
和希が手を叩いた。

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