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興味深いことにブルーダは気づいていない、面白い観察対象だ。
「ステキな子だった、綺麗で可愛くて、そして、なにより賢かった。ネロ、聞いているかい」
 私は右耳だけそちらへ向けて自分の腹を舐める作業を再開した。凄く深く知っている気がする、何故かは今、解らぬ。
「初夜権を司教がフリッツ・フォン・フィッケン司教が行使すると、つまり、ヒルデガルドを差し出すように言ってきたんだ」
 何度聞いても、すっきりしない話だ。
 

まず、司教とやら、紙の代理人、もとへ、神だ。が居ること自体、変だ。
司祭は神をまつることを司り、司教は神の声を教える事を司る。


神の声は自分のハートで聴くものだ、誰かに通訳してもらうものじゃない。
更に聞こえ方は十人十色だから、人に押し付けるものじゃない、教わるものでもなく、自分で感じるもの、そんな、自明の理がわからない奴輩だ。


いや、分かっていて、金や名誉のためにしているのか? 自分が特別だと思いたくて思われたくて、全てであり唯一である神と言う慈愛の存在が人を従わせようとしていると、おためごかしに言うのか?
 しかも、そいつらが仲睦まじく、一緒に暮らそうとしているオスとメスを引き裂こうとしている、愛し合っている一つのつがいを引き裂いた。
神とは愛、そのものではないのか?二人の間に生まれている愛も小さな神の筈、それを司祭や司教が引き裂く。


ここが得心行かないし、もっと得心行かないのはブルーダの行いで、坊主に言われて、はいそうですかと、どうしてメスを差し出そうとする?
 自分のパートナーが他のオスにちょっかいを掛けられたら猫族は黙っていない。
戦いを決意し猛然と鉤爪を振るうだろう。実際、それで命を落とすオスも居る。
ただ、結婚した後は、自由で、メスは、一度の出産でいろいろなオスの子供を産む。
これは、猫族のやり方だから人間は批判しないで貰いたい、本来自由な動物の猫には猫のやり方が在る。
ただ、メスをとるにしろ、自分の実力で奪おうとし実力で阻止しようとし、自らが傷つけ傷つきする。その辺、実に神の摂理に適っている。
神の代理人などと、責任を自分以外のだれか、ましてや神に転嫁しない。

私はブルーダに話を促した、順序立てて、とっくりと聞いてみる気になったのだ。

聴いてくれるかい、ネロ。 ヒルダと僕は幼馴染だった、親同士の商売が近くて取引をしていて。僕の家が造り酒屋、ヒルダの家は穀物一般を扱う商人。
シヴァは穀物の取入れを国中でして、城壁の中の倉庫にしまい、国民皆に平等に配る、食べる分は、そうなんだ。
でも、酒を造ったり他にもいろいろ必要だろう、そのために穀類を扱う商人が居た、それがヒルダの家。
リヴェットという名のウィスキー、麦で創った宝石のような酒、私の鼻がひくつき、喉が鳴った。少なくても猫に生まれて、酒を飲んだことはないのに。 カップで鼻を覆い馥郁たる香り 遠い記憶のような。

彼女の家は手広く商売をしていて、僕の家とは家族ぐるみの付き合いだった。
彼女は僕の3つ下だけれど、幼いころは彼女の方が身体が大きかった。今じゃ想像も出来ないだろう。
時々、互いが親にくっついて互いの家を訪ねて良く一緒に遊んだものさ。女の子だけどお転婆だった彼女。
僕と、一緒に駆け回り、どうかすると僕より運動が得意だった、チャンバラをしても僕が負けて泣かされた。
年頃になっていつの間にか僕は彼女より大きくなった。
身体は小さいけれど、決して小さく見えない、可愛くて美しい3つ年下の女性がそこに居た。
小柄だけれど女の子らしく丸みを帯びた身体、お転婆は知性の陰に隠れ
意地っ張りに見えた強い性格は知識を得る事それを使う智恵を着ける事に
向けられて。
ねえ、ネロ知性を帯びた女性の美しさがわかるかい?
見た目だけじゃない、立ち振る舞いまで無駄が無く踊るように美しく唇から零れる言葉は優しく賢い。
そんな女性を好きにならない男が居ると思う?
僕が素直に そういうとヒルダは笑って、買い被りよ、両目を開けて良く見なさい、まぼろしを愛しちゃだめよと言ったんだ。

 でも、それは幻なんかじゃない、彼女の賢さ美しさは本物だ。
本物だからこそ僕は自信を無くした。
僕みたいな男が彼女にふさわしいだろうか、僕がいくら好きだと思っても彼女に届いているんだろうか、届いても相手にされるだろうか。僕はそんな事ばかり考えていた。

ねえ、ネロ。シヴァって不思議な国でさ、王族が民と一緒に麦の取入れをするの。 先王ロッソも子供の頃悪さをすると、街の古老に拳骨を貰っていたりしたから国民皆が友達付き合いなんだ。

ヒルダは、妃のルナ様や騎士の娘マリアとつるんでいて、一緒に花壇を造ったり、お菓子を焼いたり。
だけど、ヒルダが一番好きだったのは、あの城の西の塔に有る書庫の最上階で親友二人とお茶をすること。
後の二人はヒルダが、どれほど本を好きか解ったら、花壇づくりやお菓子を作るのに参加しなくても笑ってつきあってくれた。
それぞれが好きな事をしていても、友達でいられるのが親友だよね。
ヒルダはそれを良い事に、朝から晩まで書庫に籠り、とうとう城の誰よりも書庫にある書物に詳しくなった。
二人の女友達は、そんなヒルダの為にお茶を入れ、お菓子を運び、たまに、気晴らしで外で剣術の稽古をしたり。
そう、シヴァでは妃まで剣術の稽古をするの、ガリアなんかじゃ信じられないだろう。
 とてもリヴェラルな空気の国、それがシヴァだった。
そんな空気の中で書庫の書物の知識、知恵、そして、ルナ様を通じてロッソ王から得た諸国の知識でヒルダは女だてらに、シヴァ一の賢者になって居た。
僕は、だんだん置いて行かれるような寂しい気持ちでいたんだよ。

ある日、僕は塔のてっぺんから飛び降りる覚悟で、彼女に結婚を申し込んだ、だって言葉にして、身体から出さないと思いは伝わらない。
うん、本当は親同士、決めた許婚だったんだけれど、そのまま、ずるずる結婚なんて言うと彼女は必ず蝶みたいに飛んで行ってしまうと思った。
家と家の事じゃなくて男として、女のヒルダを愛したかった。
ねえ、ネロ、その時、僕の心臓がどれだけ跳ねまわっていたか、わかる?
頭の毛の生え際が汗だらけになって、きっと息も荒くて声はかすれ、ぜいぜいしていたはずなんだ、何を言ったか自分でも覚えていない。シャツの脇がぐっしょりさ。

その時、マルハナバチが飛んで、花が咲き乱れていた。春のシヴァの城の花壇。ヒルダが友達と育てた花々。
風が彼女の栗色の髪を優しく揺らし、それだけで、僕に世界一の安らぎが与えられた。
ヒルダは黙って僕の言う事を聴いて、澄んだブルーグレーの瞳で、まっすぐに僕を見た。
思わず、僕の唇から言葉が零れた。
「なんて綺麗な目をしているの」
ヒルダの目がすっと細まって口元が綻んだ、そして、言ってくれたんだよ
ありがとう・・赤ちゃんは、何人ほしい?

僕とヒルダが初めて結ばれたのは、ルナ様が貸してくださった春の家。春のコテージと皆が呼んでいた美しい建物。
それは、ルナ様が王と遊ぶために拵えてまだ、一度も使っていなかった。
小さなコテージだけれど、分厚い石の壁と気持ちの良い窓と花に囲まれた庭が有って。
2階の寝室は、それはそれは気持ちの良い風が通った。

そう、神皇教は結婚まで童貞・処女で居ることを求め、性交は生殖のためのもの、快楽などもってのほかと言うけれど、男女のまぐわりと言う最高の人間関係を、そんなくだらない事で邪魔されたくない。
だって、僕のパートナーは、あのヒルダなんだよ。
僕が早く一つになりたくて、ヒルダを押し切ったものだから、ルナ様も最高のシチュエーションの為にコテージを貸してくださったのだろう。

御日様の光の中に美しいヒルデガルドが横たわっていた。
恥ずかしそうに頬を染めて、腕をクロスさせて胸を隠して、産毛は金色に光り、僕の目の前にあるのは神がつくりたもうた、この世で一番美しく愛しいもの。
彼女を見た途端、意馬心猿だった僕の心が静まって、心から温かい物だけが溢れだした。
 僕はこの世で一番大切なものを目の前にしている、誰にかは分からないけれど、心の底から感謝した。

神皇教?
それがどうしたという気質のシヴァの国だったから、婚前に結ばれている男女は多かったと思う。

神皇教の司教達が、ガリアの属国だと思っているブラバス諸島の国にだけ課した初夜権にしたって、それまでは初夜税として金5枚を払うことで済んでいた。
フリッツ・フォン・フィッケン司教。
彼がシヴァに来てからさ、全てが狂ったのは。

王は事前の情報収集で彼を嫌い、シヴァの国内にある教会にフォン司教がいるのを良しとせず、森とヒースに阻まれた場所に神皇教会の街を造り司教をそこへ住まわせた。
王が抜け目なかったのは商都エデンや聖都カウントベリーからの街道を整備し神皇街に繋いだこと。
さらに、神皇街を一大歓楽街にして人が集まるようにした。
人が集まるところには当然沢山の商人が住むようになる
僕の実家も、シヴァの城壁に囲まれた街から、そこへ移ったのさ、フォン司教が実権を握る、神皇街へ。
 元々、街道筋にある綺麗な泉の水を酒の仕込みに使っていたから、シヴァよりも泉に近い神皇区の方が便利だった、それまでは水を樽に組んで荷馬車で運んでいたが、神皇区に移ってからは泉に樋をかけ、仕込み蔵まで流れるようにした。
そんな風に実家や国がうつろい動いていても、僕はヒルダを求め、彼女は出来るだけ応え僕を受け入れてくれた。
僕達はめくるめくような愛を確かめ合っていた、本当に彼女が好きだったんだ。
 互いに初めて同士だったのに、賢い女の人は、すぐに床上手になる
もちろん、それは淫乱なんてのじゃなくて、僕を愛してくれているが故
僕が喜ぶことに心を砕き、互いに恥じらいを押しやり確かめ合いながら、そう、僕も彼女を愛していたから彼女が喜ぶことを・・。
あぁ、そうだよね、淫乱で良いんだ。
愛し合っている者同士なら、むしろ、淫乱なほうが幸せなんだ。
そのために、身体が有り、身体と言う境界線をはねのけるために、快感をばねにして、強く抱きしめあうことで男女と言う違う生き物でも、身体が一つになることを確かめ合って、我を忘れ、我を無にし、我を空にして
やがて、小さな命を産みだすために・・。

どうして彼女は、こんな僕を愛してくれたのか、とても不思議で理由を聞いた事があるよ・・
女々しくて、可愛いってさ、どんなに雄々しく肩を這っても、垣間見える女々しさが素直に表に出ているって。
それって・・王の属性でもあったりして・・。
あの頃、ロッソ王はシヴァの男の理想で、彼を真似して彼みたいに雄々しく振舞う奴が多かった。
かくいう僕もその一人だった、今の僕からは想像もつかないだろう。
でも僕は彼女を裏切った。

フォン司教が初夜権を税では無く、本来のもので治めよと布告を出したのは、僕達が初めて抱き合ってから3ヶ月目の事だった。
神皇区では彼の布告に逆らえば神皇教を破門にされる。


それは、当時、まだ王ですら抗えない、聖なる権力だった。
布告を見て、僕は悩んだ、部屋に閉じこもり布団を被って唸りまくって。
だって、王も逆らえない神皇の権威、愛するヒルデガルドを差し出せと言われて、一介の商人の倅に何が出来る。
実家は、殆ど財産をはたいて、シヴァの城塞の内側にあった店と家と蔵を神皇区に移している、今更戻れないし、破門にされた酒屋の命の水なんて、誰も買わないだろう。
家を離れてヒルダの手を取って逃げたところで、いずれ野垂れ死にすると思った。
そう、僕はクズさ
命とそれより認められるための信仰なんて軽い物を重んじて、一番大切な想いと言う奴を蔑にしてしまった。

ヒルダに呼び出されたのは初めて結ばれたルナ様が貸してくださった春のコテージだった。
僕より困っている筈のヒルダは落ち着き払っていた。
もし、教会で初夜権を行使されて処女じゃないのがばれたら彼女の家も破門されると言うのに・・・
そして、僕の脳裏に浮かんだのは初夜権の行使、ヒルダが裸になって僕以外の誰かに抱かれる・・
落ち着き払ったヒルダを見て、僕は怒りを覚えた。僕がこんなに不安なのに何故、そんなに落ち着いている。
僕の唇から自分の耳を疑う言葉が出た。
「ヒルダ、別れよう」
何か言いかけたヒルダの動きが止まった、まるで見えない何かに殴られた様に目を見開いて、止まっていた息がゆっくりと戻り、大きく息を吐いた時、美しいブルーグレーの瞳が、まっすぐに僕を見つめていた。

「だって、婚約を解消したら司教だって初夜権を諦めるだろう、今はそれしかないよ」
僕は慌てて言い募ったけれど、その言葉に本当は無かったし、そうならないことは、良くわかっていた。
フォンは執拗なので有名だった、婚約を解消したって初夜権を行使しようと、ドミニカニスと言う教会の衛士か、テンプル騎士団を動かすに決まっている、ヒルダはフォンの毒牙に掛かる。
ただ、彼女を切り捨てることで、僕と僕の実家は助かる。
言葉に出来る意識のうんと奥底に、そんな思いがあったのを魂の奥底で恥じているし、悔やんでも悔やみきれない。
そして、あの時の青い瞳。あんな哀しい色を見たことが無い。

稽古不足だ。私は後足で耳の後ろを掻きながらブルーダの戯言を聴いていた。 恋と言う夢芝居の為に、人と言う種族は稽古が必要。 それは上手く演じるためだけじゃない、演じるための強さを得るため。


ひとしきり身づくろいを終えてブルーダを見た。
此奴は夢芝居を途中で降りたのだ。
恋と言う奴は、いつだってぶっつけ本番の夢芝居、それをどう演じるかで男も女も人としての器量を問われる。
何かあった時、何を投げ出し、何を差出し、どうやって相手に対する想いを守るか? 芝居では無く本当に死んでしまうかもしれない、それでも演じる熱い芝居。
恋の熱さは、後に続ける愛の深さを作り出すため二人を結びつけるため。
男女と言う違うものを溶接するための物、溶けて合わせて盛り上がり、けばだったところを、二人の手を合わせて磨き上げ一つにする。
それが男女の愛情。親の知らないところまで互いに知り合い、互いを育て合い魂が成長していくこと。
此奴は半分溶かして、醜くなった部分を放り投げて舞台を飛び降りた。
見下げ果てた奴だ。
不機嫌そうな私をブルーダが機嫌を取る為、撫でようと伸ばしてきた手を猫パンチで払いのけた。
一人で舞台に残されたアクトレスの心情を想え。
今、おまえに寂しがる権利など無い。
こいつ、あの時唐竹割にしてやれば良かったと、猫になって初めて思った・・・あの時?
 そう、何かが私の中で蘇りつつある、私は何かから猫になった。

恋と言う芝居、必死に演じ、演じ切ったらこれほど美しい宝石は無い、共白髪になり、身が果てるまで愛し合えるのに・・・。

ネロ・・
ブルーダの呼びかけをうるさいと私は思った。

彼女はその時、にっこり微笑んだんだ、そして、本当に優雅にお辞儀をして。
ありがとうと一言
泣き叫びもせず僕の裏切りを詰ることなく、毅然と背筋を伸ばし
コテージを出て行った。
思わず後を追った僕を振り返りもせず、ルナ様が貸してくれた馬車に乗ると、馭者席に座り、自分で手綱を取って。
左に顔を傾げて、もう一度微笑んで唇だけで

さようなら・・と

馬車の上で、まっすぐ前を見て手綱を使って、馬車が走り出す。
シヴァの街へまっすぐに・・・。
その後、彼女はどこで僕に逢っても僕の顔を見ても、微笑んで会釈するだけ、どんな時も同じ、顔色を変えるでなく、何事も無かったかのように、女の人って強いね


ぶっ飛ばしてやろうか、前足を硬めた、爪も良いな 私は自分が体重4kgの猫なのを忘れそうになった。

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