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午後の陽光はぽかぽかしている、初冬の風は少し肌寒い、陽光と風で、いってこいだ。

私は、一度出窓を踏み外しそうになりながら石畳の地上に降りた。自慢のかぎしっぽを水平に靡かせ、威風堂々と歩く。
"Holly Night"「聖なる夜」 Nero

ちょっと気に入ったかもしれない。シヴァ王ロッソの行軍もかくあらん・・・
肉球で石畳を叩いて歩く。爪をほんの少し出すと、猫のカスタネットがリズムを刻む。
時々、小石が飛んでくる。闇に溶ける、この身体も陽光の下では返って目立つが、気を張り巡らせていれば当たる気遣いはない。 皮膚がひりひりする緊張は生きている証。
私は基本的に群れない。 恋をするときは、行儀良くデートを申し込むが恋の季節が終わればまた、新しい出会いの季節まで独りだ


ブルーダのところに暫く逗留したのは白黒猫ホルスが怪我をしていたからだ、そろそろ春に向けて結婚の季節なのだ。
さぁて・・・どうしよう・・・
ちょっとうきうきした気分で、飛んでくる小石をタップダンスを踊るように避けながら歩いていたら、広場に出てしまった。
やたらに人が多く集まっている。皆、一方向を見ている。
視線の先には裁判に使う台があった。台は白銀の甲冑をつけた兵に囲まれている。
兵は偉丈夫ぞろいで、それぞれが長い槍を持ち、あたりを睥睨していた。ドミニカニス、神の犬、司祭の近衛だ。
組まれた台の上に逆L字の絞首刑台、逆Lの横辺はこちらにむけて突出し、ロープが台の方へ取り込まれている。取り込まれたロープは逆Lの柱に括り付けられ各1m四方ほどのそこに二人の女が立たされていた。

魔女裁判。

一人は、あのユーカリだった。 先日と違って贅を尽くした服を着ている。
エデンの街でも王侯や貴族を相手にする店があり、そこの商品だと思われる高級なものだ。
はて、それらの店は、ある程度客を選ぶので、いかがわしい占い師には買えないはずだが。
私はユーカリの心のネットワークを覗き込み、金の稼ぎ方とその奥にある思いを見て、怖気を振るった。
ネットワークを繋ぐと、その人間の精神の奥底まで覗き込むことになる、意識の奥座敷にある本当、そして時に生まれてこの方の、越し方さえ見せつけられる。
ユーカリは1/4、オリエントの血が混じっているのを誇りにしていた、家は、そこそこ裕福な市民で、子供の頃は蝶よ花よと育てられ、その頃は容姿も人並み以上。


成程、客を選ぶ店で買い物も出来るわけだ。ちやほやされ愛されるのが当然の生活を送っていたらしい。
ラティンの音楽アカデミーに留学し、学生生活を送ったが、そこで自分をちやほやしてくれる妻子ある教師と恋仲になり、身籠った。
当然、教師は妻子を捨て自分を取ると思っていたが、彼は職を辞してまで妻子を守り、ユーカリを捨てた。
ユーカリの最初の挫折だった、それ以前、彼女の思い通りに為らないことは無かった。


傷心のユーカリが故郷のカウントベリーに戻ると、当時の異端審問に掛かり、実家は没落していた。
オリエントの神を崇拝していると言うのがその理由で、財産は没収、家族はバラバラになって居た。
ユーカリを救ってくれたのは、父と縁の有ったエデンの商人だった、彼はスファラドと言う砂漠の民とラティンのハーフで、サラサドからコーヒー等の珍しい物品を仕入れ商っていた。


彼はユーカリの腹の子供ごと、ユーカリを妻に迎え、やがてユーカリは女の子を産んだ。
女の子は音楽教師に似て、黒髪に大きな目の可愛らしい子だった。
亭主はユーカリと子供を大切にし、大抵のわがままも大目に見てくれた。それがユーカリの元来の我儘を増長した。
それから、エデンに住んで十数年、今そこに有る有り難さを忘れ、亭主を蔑にしだした。
亭主の稼ぎが良いのを良い事に、散財をし、窘められると、亭主の稼ぎが悪いと詰り。
自分は商才が有ると勘違いをした挙句、もっと自分が散財できる金を増やそうと商売に口を挟んだ。
亭主はユーカリにやんわりと釘を差し、商売に口を挟めないように人の配置を変え、奥方として祭り上げた。 育った娘も商売と手伝うように為る。


自信過剰なユーカリはそれが面白くなくて、人員の配置転換で閑職へやられた、口ばかりの若い手代と姦通した。
なさない仲の娘が懐いていることも有り、亭主はユーカリを離縁することを考えていなかったが、やがて手代にそそのかされたユーカリが仕入れ先の帳面を商売敵に売り渡すに及んで、店を叩き出さざるを得なかった。
ユーカリは当面の生活に必要な金だけ渡され離縁された。
娘は亭主に懐いていたし、ユーカリに似ず謙虚で、また賢く店の看板娘として甲斐甲斐しく働いていたから、そのまま残った。

店を叩きだされたユーカリは手代の子供を身籠っていて、借りたアパルトマンで男の子を生み落した。
年増女が金を持っているうちは一緒に暮らしていた手代も、金が尽きれば寄り付かなくなり、やがてユーカリの前から消えた。
それ以来ユーカリは酒に溺れ、美しかった容姿も年とアルコールのせいで衰え、口癖が
「私を愛している?」
男にしなを作り、媚を売り、その時だけの甘い声で聞く。


 愛していると言われさえすれば、相手を繋ぎとめる為に、持っているものを与え、子供を部屋の外に〆だしてまぐわう。
荒れた日々と荒んだ心を刹那の快楽の中に、誤魔化しながら過ごす。
(そういう意味での)穴が有ったら入りたい年頃の男や、女と金に不自由している男しか寄り付かない。
ユーカリに媚びへつらい、上手に機嫌を取る相手等、醜い身体と金目当てだが、殆どの男が見向きもせず、わずかな占い料のみの経済を充てにする者の等素性が知れようと言うもの。
付き合ううちに、ユーカリは何度もヒステリーを起こし、男を取り換える度に自尊心が崩壊して、更に肩肘を張る。
容姿の衰えと金が尽きたことでユーカリの孤独はますます深まっていった。
孤独は蠱毒を産み、ユーカリの心は愛されることだけを求めるブラックホールと化し、それに伴って容姿も更に醜く変わっていった。

ユーカリは金が切れると、亭主の店へ無心に行っていたが、余りにたび重なった時、実の娘に激しく拒絶され、それ以来亭主の店に近づけなくなった。


想いが全てを創り、身体も容姿も想いに添い、環境も何もかも、自らの想いと選択によって創られていく。
寂しいとしか思わない心は、けばだち、蠢いている、ユーカリの彷徨う思いは彼女を魔に変えた。
ユーカリは、自分が何故、ここに立っているのか解っていない、ただただ、他者に責任を転嫁し、神を呪い不満と不安でいっぱいだ。
人から愛されることだけを求め、愛を乞うだけに生き、人に愛されない自分を愛すことが出来ない、そんな思いが今のユーカリを創り、ここに置いている。


そして、台の下から、彼女を心配そうに見上げる娘とエデンの貿易商に気づくことも無い。
ユーカリの顔は真っ青で、唯でさえめくれ上がった唇がめくれあがりすぎて、鼻の穴につきそうだ、甜菜(てんさい)大根のように太い足をぶるぶるとふるわせている。


もう一人の女は地味な出で立ちで地味な顔つき、その表情からは、あまり覇気を感じない。
台の上にいても、なにも感じていないように無表情だ。
人付き合いの良くないほうだろう、簡単に言うとコミュニティのはずれもの、多少感情の動きに壊れのある人間かも知れない。
他とコミュニケーションをとることが苦手で人に言い返せないそんな性格でそこそこ財物を持った人間が魔女や、男の魔女として裁かれる難に遭う事が多い。
病気や、天災、なにか説明のつかない理不尽が有ると、不満や不安の捌け口として、こういう生贄が必要だ、実際、大陸では、魔女狩りが、その目的のために機能している。

だが、ブラバスでは神皇庁が、実権を神皇から奪ったシヴァやマサカドをはじめとする、王族諸侯連合を批判し、貶めるために、魔女がいる乱れた土地と言い募りたくてやっている。


かつての属国に不安の種をまいて、捲土重来を期しているのかもしれない。
金ぴか坊主が金糸で飾ったブルーの法衣を纏い、台の上に置かれた、豪華なデスクの上で書き物をしている。
横に、貴族の侍女と思しき、それなりにきちんとした身なりの中年の女。
坊主が、隣の女と二言三言、話をすると、立ち上がった。
兵の中で楽器を持ったものがファンファーレを鳴らす。3台のドラムが打ち鳴らされる。
「これより、神皇紀1191年、発布、同年執行の異端審問法により、異端審査を取り行う」
坊主は良く通るバリトンで厳かに言った。
ユーカリの顔がますます白くなった。隣の女の無表情は全く変わらない。
「私は、神皇教会、カウントベリー教区、エデン支部司祭、シュテルベン・クライネサンプである」

んなもん、知らねぇぞぉ、ひっこめ、金ぴか坊主等と、群衆から、エデン弁のヤジが飛ぶ。
台を囲むドミニカニスが、槍を揃えて、とんっと地面をついた。ヤジが止んで静寂が戻る。
「まず、ユーカリ・マグノリア」
クライネサンプが書類を前にして、ユーカリに向き直った。
私はユーカリが名字を持ち、その名字がとても可愛らしいのを、今はじめて知った。
そんなことに関係なく、ユーカリは怯えて、膝を震わせている。
「汝、神皇の教徒でありながら、異端のような占いを生業(なりわい)にしていると訴えがあったが、間違いないか」
インチキ占い師ぃいい、群衆からヤジが飛んだ。
ユーカリは大きく目を見開いた、歯の根が合わずに、口をパクパクしている。
「占いを生業にしているのか、聞いておる」
ユーカリは肉の垂れ下がった、太い首を振る、喉の下で余った脂肪が左右に揺れる。
「してません、してません、占いなんてしてません」
 大声で叫んだ、叫び過ぎて喉を傷めたか、激しく咳き込む。
「うそつけぇ」
 大声で糾弾された。
そいつぁ、インチキ占い師だ、人が不安になるようなことを言い募り、御守りだといっちゃあ、そこいらで拾ってきた石に力を込めたと言って、法外な値段で売るのさ。
また、群衆からヤジが飛んだ。
「この、声は本当か?」
クライネサンプの声にユーカリは震えるばかりで声が出ない。
「異教徒であれば、神の寛大な慈悲を持って、占い師も大目に見るが・・・」


 それだけじゃねぇぞぉ、更に声が続く。
男女のもつれでもめていた、ハイブリッジてぇ、ヤクザのごくつぶしを呪い殺しちまったんだ。
いくらチンピラヤクザだって、かわいそうに、苦しがって胸をかきむしって、血まみれで死んだぜ。


魔方陣、生贄にされた鶏の断末魔と血。
血文字のハイブリッジ、呑み屋街の石畳でのた打ち回る、ヤクザ者。
ほくそ笑むユーカリと、依頼者の中年女が私に見えた。

「汝、黒魔術をするか」
 群衆の声を聴いていた司教が、微笑みながらユーカリに問う。
「してません、してません、してません」
ユーカリの声は声にならなかった、絞るように声を出すと、また激しく咳き込む。
嘘つくなぁ、ユーゲノーのあばずれ女房から、付きまとって困るヤクザを殺してくれと頼まれたじゃねぇか。
金20枚で請け負って、呪い殺したって自慢してたじゃねぇかぁ。 殆どんの群衆が同意の雰囲気を発している。
どうやら、周知の事実らしい。
「あたしに、そんな力はありません、そこにいる連中が嘘を言っているのです」
ユーカリが絶叫した。
力があろうとなかろうと、ウソツキはてめぇダ、歯切れのよいエデン弁が次々飛んでくる。
ハイブリッジを呪い殺した後に、それだけじゃツバメに貢ぐのが足りないと、ウィステリアのばあさんに、病気が何でも治る魔法の薬だと言って、おかしなものを金10枚で売りつけやがって、藁をもつかむ気持ちで大枚はたいた、ウィステリアのばあさんは、ユーカリの薬を飲んで3日で逝っちまったぃ
「ユーカリ・マグノリア、どうやら汝の有罪は揺るがぬようだの」
クライネサンプの声は冷たかった。
ユーカリは、ひっと言ったまま固まっている。
「殺せ!」
「つるしちまえ!」
「有罪!」
「魔女」
ヤジがまとまり、大きな音になり物理的な圧力さえ持った。
「やれやれ、相当、街の衆に疎んじられていると見える」
クライネサンプがうすら笑いを浮かべた。
「あたしは、皆のために、力を使って占いをしただけ、民草に幸せをと願い、そのために尽力した。何も悪いことはしていない」
「先ほど、力は無いと、言ったではないか、嘘か?」
矛盾を突かれユーカリは固まった。
クライネサンプはデスクの上で書類を広げ、羽ペンでサインを入れた。
「ユーカリ・マグノリア判決を申し渡す」
書類を目の前にかざす。
「主文、有罪」
観衆から、どっと歓喜の声が上がった。
足踏みが始まり、それが徐々に揃っていく、だんだんっと大地を叩くドラムのように石畳を踏みならす。
「異端審問法、ブラバス特例により」
クライネサンプは声を切った。
ユーカリは一縷の望みにすがろうと、特例のところに瞠目した。
民衆の脚が刻む大地のドラムが激しくなる。
「絞首刑に処す」
ユーカリは崩れ落ちて膝をついた、歓声と拍手。
「神皇の本国ガリアなら、神皇教徒でありながら、異端のような占いを行い、魔法を使った罪は、最も重く、本来なら、薪継ぎ足しの、とろ火による火あぶりであるが、神皇庁とブラバス諸侯連合との申し合わせで、残酷な刑罰が禁止されているから、2等減じて、慈悲を持って絞首刑である」
ユーカリが豚のように這って逃げようとしたが、後ろ手に縛られているうえ、執行人ががっちりロープの端をつかんでいた。
逃げるんじゃねぇ
どれだけ、嘘を重ねて人を苦しめた
天罰だ
ちゃんと神様はおいでになるぞ
笑い声が湧いた。
「嫌だ、私は死にたくない、皆、うそつきだ、神なんて呪われろ」
ユーカリはあらん限りの声で喚いた、膨らんだ顔が余計ふくらみ、赤い唇から涎と泡を吹いている。
見苦しく暴れるが、屈強な執行人には逆らえず、抑えられた。
四つんばいのユーカリは、その時、群衆の中に自分から離れて行った娘とかつての夫が、息子を連れてこちらを見ているのに気付いた。
そして、今までの自分の生き方に気付いた。
ユーカリは抵抗を辞めた、自ら不満に肥満した身体を起こし、背筋を伸ばす。
かつて蝶よ花よと大切にされていたころのように、せめて姿勢だけでもと思った。
刑の執行官がユーカリの後ろに立つ、頭からすっぽり黒い布を掛けられ、首に太いロープを掛けられた。 逆L字の先端からロープが斜めに為る。


「ただちに執行する」
執行官がユーカリを突き飛ばした。 ユーカリの身体が台から飛び、
逆L字の横棒に掛けられたロープがブランコのように触れ、横棒に添って身体が揺れる。観衆からわっと歓声が上がった。
靴だけ小さく、象のように太い脚がぶらぶらと揺れる、体重に横棒は折れそうだ。
娯楽の少ない時代、公開死刑は格好の娯楽だ。

ユーカリは後生の良くない行いばかりしていたのだろうが、よってたかって、リンチのようで、なんとなく後味が悪い。
ユーカリの娘は異父弟の肩をしっかりつかみ、母の死にざまをじっと見つめていた。
私も群衆の足元で現場を見つめていた。皆、裁判に夢中で私に気づいていない。
 黒い布を被せられた、太くぶよぶよとしたユーカリは5分ばかり身体を揺らし、横棒をしならせるために、バラストになったユーカリの身体はロープの結びを中心に独楽のようにくるくると回り、もどりつしながら、ユーカリがのけぞり暴れる度に不規則に揺れる。
不意に大人しくなった。
揺れの収まった肥満した女の身体を執行官が二人係でロープから下し、巨体を台の下に寝かせボロを掛けた。
 愛されたいと言う妄執に生きた女、しがみつく様な妄執が創った醜い身体を纏い、寂しさゆえに悪行を為し、その死を残酷な娯楽として供され、還って行った。
 ユーカリに元の家族たちが付き添った。

「モーリー・モンセギュール・オクシタニア」
横たわっているユーカリと元の家族を見届けてから、クライネサンプが向き直った。
「汝、本国ガリアの民にありながら」
そう言ったとき、群衆から猛烈なブーイングが発生した。

ブラバスはガリアの植民地じゃねぇぞ。
そうだそうだ、唐変木
いつまで、本国面しやがんでぃ
 今じゃ、王族だってブラバス語をしゃべってらぃ
 ガリア語をしゃべるのは、てめぇらみたいな、こんこんちきとしゃべる時だけだぃ
 おいらたちを田舎もん扱いしやがって、てめぇらガリアだって、ロマーナにゴールっていなかもんあつかいされてんだろうが!
 帰れ!
帰れ!
帰れ!
シュプレヒコールが湧いた、足をふみならし、腕を突き出す。
大した迫力だ、警護のドミニカニスも無表情でいられなくなっている。
「ガリアの民にありながら」
クライネサンプがシュプレヒコールに負けないように、大声で言った。
その、姐ちゃんはブラバス人だぞ!エデン子だ。
また声がかかった。
「隣家、ロシュフォール家に赤子ができたのを妬み、井戸に微量な毒を入れ、赤子だけをまんまと殺したものである」
 ユーカリみたいな悪い奴といっしょにすんな!
 その姐ちゃんは、とっつきが悪いだけで、悪さはしたことがねぇ!
 群衆の叫びは正直だった。
「ここにいるロシュフォール家の侍女どのが、井戸端でぶつぶつ独り言を言っていたのを見ておる」
「私は何もしておりません」
モーリーは、何も感情を込めない声で言った。
ほら、見ろやってねぇって言ってんじゃねぇか
 侍女と坊主が組んでいるだろう、
なんたって、有罪になったやつの財産は密告者と山分けだからよ!
 金のために人を吊るすのか?
大した神様だなぁ、ぉい!

クライネサンプの顔色が変わった。慌てて判決文にサインする。
「汝、悔い改めよ」
 クライネサンプが印を切った。
「私はやっていない」
 モーリーは前をぼぉっと見つめ、ぼそっと呟く。
「絞首刑に処する」
「やってない」
 また、静かに反論する、その時、顔色が朱に染まった。
坊主のおごそかだが押し付けがましい台詞に女が反発した。
やってない、やってない、やってない、井戸から水を汲んでいただけ、考え事が独り言になっただけ。
目が据わっているヒステリーだ。大声でやっていないと繰り返す。


モーリーは子供の頃から、現実より想いの中に生きていた、人からはぼぉっとしていると言われ、苛められたことも有り、ますます想いの中に閉じこもり、外界と接触を遮断して行った。
コミュニケーションを取るのが上手くはないが、放っておいてくれれば、誰に害も与えない。
モーリーはそう思っていた。
だが、周りは放っておいてくれない、あれこれと要らぬ世話を焼き、世間並の結婚とか、家族の体面を保つためにとか、おためごかしを言い、モーリーを苦しめる。
そんな時、モーリーの中で何かが弾け、身体の外へほとばしっていく。
「やってないやってないやってない、きゃあああああああ」
モーリーの喉から脳天を突き刺す錐のような高い声が飛び出した、引き抜かれたマンドラゴラの叫びに似て。
それに合わせて群衆が騒ぎ立てる。
無罪!
無罪!
無罪!
群衆は足をふみならし、先ほどと同じように腕を突き上げる。
モーリーのヒステリーがヒートアップして瘴気を発散する、方向の定まらぬ思いは見ていて怖い。
坊主もたじたじだ。その坊主が、不意に持っていた杖で私を指した。
坊主の表情はしめたっと言う笑みさえ浮かべている。
「見よ、この女が魔女である証拠に、そこに、悪魔の使い、黒猫が」
 群衆のすべてが私を見た。
おいおい、人を、そんなことの演出に使うんじゃない、もとへ、猫だ・・・肖像権の侵害だ。
群集が一斉にこちらを見た。こっちみんな!と言ったが通じない。
やばい・・・身を翻して走った、坊主に言われて、ドミニカニス、神の犬という名の衛士が追ってくる、群衆の真ん中がモーゼの海のように開いた。
私は走った。

猫と比して如何にのろまな人間と言えど、リレーで多勢に追われたらわが身も危ない。
飛んでくる石の数も半端じゃない、足元を石が跳ね、跳弾が足に当たる、あちらこちらに石が当たり、そのたびにスピードが落ちる。

猫は、犬ほど早く走れない、持久性も無い、樹上生活が主で、平地を走るように進化したわけじゃないのだ、私は自分の進化に正直に飛び上がる事を選んだ。
木組みと石で造られた建物の壁に爪を立てて、後ろ足で壁を蹴り上っていく、私が飛んだ跡の壁に石が当たり漆喰が落ちる。


痛みを感じて、背中がのけぞった、肺から空気が絞り出される。礫(つぶて)の一つがあたり、私は3階の高さから地上に落ちた。
前脚、後ろ足を大きく開き、身体を宙で何度も回転しながら、なんとか身体をひねって足から着地したが、被害は甚大だ。


石を投げながら、人が来る。つかまったら、どうなる? 体重は私の10倍?20倍? 力も私より強い。
飛んできた石に足を払われ転んだ。直ぐに起き上った。
身体が痛くて思い切り跳躍する力はない、白銀の兵装のドミニカニス、神の犬、親衛隊が私を捕まえようと腕を伸ばした。
その時、1階の窓が開いた、私はそこへ力を振り絞って飛び込む。


浅黒い肌をして赤い紅をさした、若い美しい娘が、驚いて窓から飛びのいた。そこは画廊だった。
壁に絵が掛けられ、カーペットの敷かれた部屋を突っ切り奥にあった階段を駆け上がると、ドアのあいた部屋、匂いから察するに、さっきの娘の部屋らしい。
かすかにブルーダの部屋と同じ、テルピン油の臭いがした。
飛び込むと窓が開いている。窓から外へ出て、出窓に乗る、出窓越しに上へ上へ。
下でドミニカニスが怒り、娘を怒鳴っているが、怯えた娘は1階の窓を閉めてしまった。
私は屋根から屋根へ逃げる。5階建ての建物の屋根。
わざと身を晒す、石が飛ぶが5階まで届かない、そこから離れた所まで屋根伝いに飛ぶ、とどまれば助けてくれた娘に迷惑が掛かる、陸屋根の建物、そこで一息入れた、満身創痍だ。
人目につかないように暗くなるまで待つことにする。

あちらこちらが痛む。気が抜けたら急に痛みが増した気がする。
礫がいくつか、命中したのだ、人には礫でも、猫にしてみれば、人が10kg近い石をぶつけられたに等しい。
体中を舐める。舐めることによって落ち着く、焦っても仕方が無い。
こういうときは気持ちをゆっくり・ゆったりにすることだ。
焦ると余計に時間が掛かるし良いほうに行くことは無い。屋根に爪をかけ身体を支えて首を伸ばした。少し冷たい風が鼻先を撫でる、くしゃみが出た。ひげが、ふるふると震える。

さぁて、どうしよう・・・吹き上げる風が騒ぎを伝えてくる石畳で石造りの家の屋根。まだ、陽は落ちていない。
音は上へ広がる先ほどの広場で人間同士が言い争っているようだ一体何が有ったのか
そっと見に行くことにした。もう、石をぶつけられるのは願い下げにしたい。

屋根伝い、下から見つからないように注意して広場を見下ろせる屋根から首を伸ばして下をそっと見る。
あの女の居た公開裁判の台。松明を持った軍属が台を囲み、芝居のように浮かび上がらせている。

モーリーという女は吊るされていなかった。金ぴか坊主が台の上で胸を張って居る。その姿は半ば虚勢に見える。
守るように白銀の軍装の兵隊が20名ほど、ドミニカニス。
それに対して10名程の黒い兵隊、胸に、踊るイノシシ紅い線で描かれ人のように立ち上がり、後ろ手を組んで右足を上げている。


黒い10名が銀の20名を気力で押している、ドミニカニスは皆落ち着かないように、剣の柄に手を掛けたり、槍を握りしめたりしている。
シヴァのイノシシ武者達は、皆が皆落ち着き払って壇上を見上げている。
指揮をしているのは、同じ黒い軍装でイノシシの武具をつけた黒髪の女、背は大男ぞろいの男共と変わらない、その前に、栗毛の小さな女。
少女のように小さいのだが、その威厳はクライネサンプを怯ませていた。
言い合っているのでは無く、金ぴか坊主が一方的に喚いている。
「異端審問を邪魔立ていたすか」
「そも、ブラバスに異端審問はありえません」
小さな女は静だが通る声で言った。


 ヒルダさまぁ!
役者に呼び掛けるように声がかかる。
別嬪だねぇ
いよっブラバス1
世界一
「なんと」
 クライネサンプは眼を剥いた。
「なんとではありません、王族諸侯連合と、神皇皇帝の間で取りまじわした約定により、ブラバスでは信仰は自由、よって異端はありません」
ヒルダ様の言うとおりだ。
引っ込め、金ぴか坊主!
目障りだ、マスチフ面の悪党!

群衆のヤジにクライネサンプは、闘犬のような頬をふるふると揺らした。
ヒルダ=ヒルデガルド、シヴァ国大臣は、小柄だからとても若く見える。
ヤジに反応せず、大きな瞳で、じっと状況を見つめ、相手の言い分をゆっくりと聞き、的確な答えを返す。静かなヒルデガルドにクライネサンプは為すすべもない。


「貴殿は神皇の教えをないがしろにされるか、神皇教徒の風上にも置けぬ」
 クライネサンプは激高していた。
「どこへ置いていただこうとも、わたくしは神皇教徒です」
 ヒルダは極普通の声で受け答えをしている。
「ならば」
 クライネサンプが唾を飛ばす、汚い。
「誤解召されるな、クライネサンプ司祭」
飛んできた唾をハンカチで拭き、ヒルダはまっすぐ前を見ている。
ヒルデガルドの声は静かだが威厳に満ちていた。
「シヴァクロノス国大臣ヒルデガルド殿、正しい信仰の為に、貴国のご協力を仰ぎたい」
 クライネサンプが、下手に出た。


「信仰は人が生きるためにあるのです、信仰の為に人が死んではなりません。正しい信仰とは、教えの数だけあります」
「神皇こそが神だ」
 クライネサンプのメートルがまたぞろ上がりだした。
「それはわたくしもそう思います」
 ヒルダは全く意に介さない。
「ならば、何故、邪魔立てをいたす」
「神皇が神と思うのは、わたくしが神皇の教徒だから。他の神もまたある筈です。いえ、それはそれぞれの神ではなく、神に至る道。サラサドにはサラサドの神へいたる道が有り、スファラディにはスファラドの、オリエントにはオリエントの」
群衆はヒルデガルドの声に聞き入り、クライネサンプも反論ができなかった。
「神が全てであるならば、見るものによって様々な名前が有り、姿が有る筈、西から見る山と東から見る山の稜線が違うように」
 小さなヒルダが完全に大男のクライネサンプを押していた。


「神を大きな山と考え、そこへ至る道は自由にしよう、神皇帝国との戦争以後、そのように王族諸侯連合で取り決め、神皇皇帝ハドリアヌス様と決まり事を取り交わしたはず」
クライネサンプはぐうの音も出ない。
ドミニカニスが動いた、衛士が剣を抜いた殺気を放つ。
黒い兵たちも腰の剣の柄に手をかけた。ヒルデガルドがそれを制す。


「神皇は再びブラバス連合との争いを御望みですか?衛士が剣を抜き、それを司祭様が止めないという事は、そのような解釈でよろしいですね」
クライネサンプが衛士を叱りつけ、剣をおさめさせた。


「今は、我が主人、ルナ・アテーナ・シヴァ・クロノスが外征中の為、戻りましたら、詳細を改めて御打ち合わせいたしたいと存じますが、ご異存は?」
 クライネサンプは無いと答えるしかなかった。
「では、モーリーの身柄は私どもシヴァが御預かりしてよろしゅうございますね」
「いや、異端以外に、モーリーは赤ん坊殺しの嫌疑があるゆえ」
「異端以外とおっしゃる」
 クライネサンプが頷いた。


「なれど、それは通常の刑法犯であり、権限は神皇庁にはございますまい、私どもで一度身柄を預かり、しかるべき折に、エデンの取り締まり方にて、証拠調べを指示しましょう」
金ぴか坊主、ざまぁ見ろ!
もう、宗教裁判じゃないから、儲かんないぞ!
オクシタニア家のモーリーを はめても、財産没収できないぞ!
クライネサンプは群衆のヤジに、わなわなとふるえた。涼しい顔でヒルデガルドが、すっと前に出る。
白銀の兵が左右に割れ、ヒルデガルドと黒髪の女軍司令イシュタルが、台に上がる。台にいたモーリーに優しく声をかけ、手を引いてシヴァの兵の中へ。
ユーカリの死骸を数人がかりで抱え上げ、ユーカリの元家族も保護した、そのままそこへ置けば、異端の眷属として貿易商の財産が狙われかねないからだ。
ヒルデガルド一行は、そのままシヴァ屋敷へ去った。

面白いものを見せてもらったが、人同士のやりとりを何時まで見ていても仕方が無い。
私は傷だらけの身体を抱えて、ブルーダの部屋へ戻ることにした。
暗くなってから石の出窓に上り、屋根伝いにブルーダの部屋の窓に、たどり着く。
肉球でとんとんっと扉を叩くが、気づかないので爪を立てると、木製の窓扉ががりがりと啼く。爪が木にかかり、筋肉が引きつるたびに、身体中あちらこちらが痛みに悲鳴を上げた。


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紅=猫の瞳に恋する執事 Ti amo♡ #キジトラ #note #小説 #エッセイ #猫がいる幸せ
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