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猫に眠りを妨げられた日の朝(は幸せ)。

 深夜3時に猫にしつこく起こされて、というか私が起きないから延々と起こされてその後は寝たような寝なかったようなまどろみの中だった。そういう朝はだいたいすっと起きられない。8時の朝ドラの時間を過ぎてもダラダラし続け、やっとの思いでゴミ出しを済ませた。

 疲労感が心地よい朝。昨日は一日立ち仕事だった。昨年仕事を辞める前から半分冗談で「五足の草鞋がいいなー。」と何も決めてない状態で言っていたけど、今三足。四足目もそろそろはじめたいなと思っていて、言っていたことがあながち冗談ではなくなってきているのかもしれない。あちこちで働いていると、器用だねーマルチプレイヤーだねーなどい言われるのだけれど、その方が、私はいい。一つの仕事を集中して毎日するのが楽な人がいるように、色んな仕事を少しずつする方が私は楽なのだ。確かにはじめは覚えることがたくさんあるし、場所に慣れるために気が張るから負担は大きい。けど一か所に居ると、すぐ煮詰まってしまうのだ。色んな場所に行くことで、風穴があいてすべて繋がっていく感じがする。それから、業種が違っても、根本は同じところに行きつくような気がしている。

 ここまで書いて、珈琲がないと気づいた。気づいたら珈琲がないことが心許なくなってしまい、淹れた。豆はケニア。この間何の豆にするか迷って、友人にお任せで決めてもらったのだけれど美味しい。もう一種類エチオピアもあるのだけれど、後から買ったケニアばかり減っていく。頭で決めるより、味覚や嗅覚で好ましいと感じるものは、本当に好きなのだなと思える。自分の思考とは離れた器官のような感じで、体に決めてもらっている感じがするので信用できる。
 やっぱり自分のことだって何にもわからない。今持っている感情も、長らく持っている感情も、絶対なんて言えない。ましてやこれからも続くなんてわかるわけない。

 NHKプラスで朝ドラの配信を見た。結婚をする時の苗字の話だった。結婚=星家に入ることと思っている花江ちゃん、別に星優美になってもいいと思っている娘、早く猪爪の姓になりたい直明の婚約者、星の姓を名乗るのが当たり前のようにされることにフリーズする寅子。
 これ、今と一緒じゃん。周りにも同じような人がそれぞれに居る。私は寅子に近い。頑なに結婚したくないわけでもなく、苗字を変えたくないわけでもないけれど、意味が分からない、という感じ。自分の苗字を変えないまま婚姻できる選択肢ができるのならば、それを選びたいし、もしパートナーになる相手がそれに異を唱えたとしても、我を通さずに対話する準備がある。
 何よりも世界中で、夫婦同姓なのは日本だけだという現実があるのにも関わらず、政権与党が「選択的夫婦別姓を通すと家族の絆がこわれる」なんて言っていることにプロテストしたい。飲み込まれたくないという気持ちが人よりも過度に強い。同姓でないと、壊れる絆なんて別姓でも壊れるよ。だし、世界中で同姓なのが日本だけで、それが絆を強くしているのだとしたら、世界各国の別姓の人たちの絆ってどうなっているんだ、と問うてみたくなる。

 最近、TBSラジオ荻上チキSessionで不定期におこなわれている「哲学対話」をPodcastで過去から順番に聞きなおしている。その中の、”思想が強いってなに”という回の中で、チキさんが「誰かが結婚するということに対して”おめでとう”というのだってイデオロギー」と言っていた。
 いつも思っているし、昔から思っている。結婚=お祝いするという空気に違和感がある。結婚自体は否定しない。ただただ、その人が結婚と言う制度を使ったに過ぎない。と思っている。けれど、お祝いをする人たちに何かの矛先が向くことはなく、異をとなえる側には矛先が向く。

 選択的夫婦別姓についても同じだ。制度に沿って同姓にする人には何も言われず、私のような人には別に苗字くらい変えればいいじゃん、とか、苗字を変えたくないのなら相手に変えてもらえばいいとか言われる。マジョリティに飲み込まれる。説明する気力を削がれるし、する気ももう湧かない。

 けど、ふつふつと自分の中にはそういうものがあるんだぞという気持ちは常に持っていている。最近私のことをまだあまり知らないコミュニティに行くことがあるのだけれど、そういうところで、誰かの夫のことを「旦那さん」ではなく「夫さん」など言ってみて相手の反応をみている。これがなかなかに楽しい。何かこの人、聞き慣れない言いぐさするぞ、と思われたい。

 あっという間に昼。今日は、オーダーの刺繍をがっつりとすすめるー。その前に買い出しに出かけます。喫茶店に吸い込まれないように本は持って行かない。

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