そうだ、美術館へ行こう。
東京から友が帰省して、一緒に美術館に行った。家から弘南バスに乗り弘前駅へ。駅で待ち合わせして、駅から普通列車に乗り、新青森駅着。そして、駅の東口からバス「ねぶたん号」に乗って青森県立美術館まで。
「メディシン・インフラ 鴻池朋子展」と「コレクション展(AOMORI GOKAN アートフェス 2024 後期」を見た。
平日ながら、保育園児や学校関係の観客がいて賑やかである。コレクション展のほうからと言われて、おなじみの奈良美智作品を見る。あおもり犬の周りに青い制服?を着た幼稚園児がいっぱいいて、そのブルーがきれいだった。
あおもり犬って、見てる人も作品の一部にしちゃうんだなあ。青空だったらもっと素敵だったなぁ。
この日、私のスマホは充電切れで使い物にならなかった。充電中の私のスマホを途中で充電器から抜いたやつがいるのであった。自由に写真がとれるのに、残念。
コレクション展は、奈良美智、棟方志功と小島一郎の3人で展開していた。特に奈良美智は、小学校の時、机を並べて勉強した友である。小、中、高と一緒だった友が、県を代表する作家になっている不思議と喜び。
「際々無限―つづいていく棟方志功」では、昨年惜しまれて閉館した棟方志功記念館の作品が展示されていた。
友は、「私、(志功が)苦手だったけれど、好きかもしれない」とつぶやく。スタートは、「二菩薩釈迦十大弟子」ダイナミック!!
「さすがねえ」
素晴らしさに、二人してため息が出る。
「昔さ、この十大弟子の中で〇〇が長男に似てるだの、これは次男だなぁなんて勝手に決めてたの」
「へえ、で、旦那さんは?」
考えてもみなかった。自分は、二菩薩のどちらかの菩薩だと思っていたけれど。ふふふ、てきとーだな。
そのあとで、「星座の花嫁」のような繊細なかわいらしく洋風な作品を見た。
「これ好き」
友がうっとりと言った。そうしてわれらは、棟方志功の版画、絵画、書を十分に味わった。満足。
次は、「生誕100年・没後60年 小島一郎リターンズ」
今から15年前に青森県美術館で「小島一郎 北を撮る」(副題 戦後の青森が生んだ写真界の「ミレー」)を見た。その時、写真なのに絵画のような雰囲気に驚いた。空の表情、雲。なんてドラマチック!!
見た時、母の故郷が写真に残されているのでは?とぼんやり思った。当時のパンフレットを読み直すと「青森、昭和30年代、北を撮り続けた写真家の熱く短い生涯」とある。昭和30年代って、私の生まれた頃じゃん。母にとっても懐かしいだろうが、自分にとっても懐かしいのかもしれない。そして、熱く短い生涯とあるように、39歳で亡くなっている。私の父が37歳で亡くなっていることを思い出させる。
今回、リターンズとして約15年ぶりにまた作品と出会うことができた。先日、お散歩クラブのメンバーの一人が、とても良かったよと教えてくれたことを思い出した。彼女いわく、小島一郎の作品に目が引きつけられてしまうのだそうだ。それは、わたしも同じ。友も集中して見ている。
もう母には聞けないけれど、この橋は、母の故郷の橋ではないかしら。
地元にこだわった小島一郎さん。インタビューされて答えた新聞の切り抜きを読むと、中央ばかりを目指すのではなく、自分のいる場所で一流を目指せと言うようなことが書いてある。勝手な私の読み違いかもしれないけれど。その風土に生きた人しか出せない味というものがあると、尊敬する村上善男先生が仰っていたことと繋がる気がした。
小島一郎が東京時代に接触していた民俗学者・宮本常一の下北半島の写真も展示されていた。私の仕事は下北半島でスタートしたから、年代は違えども興味深く見た。
このリターンズ展も、15年前の展覧会も企画に関わっていたのは、学芸員の高橋しげみさんだった。
「高橋しげみ(たかはし・しげみ)1970年青森県大鰐町生まれ。1998年弘前大学大学院人文科学研究科を修了。1999年から青森県立美術館学芸員として戦後美術、写真などを担当。2009年「小島一郎―北を撮る―」、2016年「澤田教一:故郷と戦場」を企画。2017年日本写真協会学芸賞受賞。近年では「奈良美智: The Beginning Place ここから」展(2023-24)、開催中の「小島一郎 リターンズ」展を企画。」(県美のホームページより)
高橋しげみさんの企画した展覧会は全部見ているのだと今さら気がつく。高橋さん推し!!
コレクション展でお腹いっぱいだったが企画展も見る。アートの表し方は、それぞれ。その多様さに驚いた。感じたことを自分の体を通して外に出す。まるで恐山のイタコのような鴻池朋子さんであった。
最後に、外にある森の子を見に行く。
なんたって今年6月、麻布台ヒルズに東京の森の子を二人で見に行ったし。
そしてランチは、カフェ「4匹の猫」でベーグルサンド。友はサーモン、私はあべ鶏のベーグルを頂く。お腹も心も満足して帰途についたのである。
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