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その生き方でいいのか?


主婦
仕事人
わたし

既婚子持ち女性の役割を大きく分けると、おそらく多くの人がこんな感じ。

あなたは、どの役割を大事に生きているだろうか?

均等に25%ずつ、という人は恐らく稀で、どこかに偏っているはずだ。
私の場合はどうかな。
母60%:主婦15%:仕事人+自分25%
くらいかな。

仕事人+自分
と書いたのは、私の場合は、仕事と「自分時間」の境界線が曖昧だからだ。
個人起業家、しかも自分のやりたいことで起業している場合、仕事も自分時間のような気がする。
いや、そうじゃない気分の時もあるけど、とにかく母でも主婦でもない、「私」という人間で勝負?している時間なのだ。

ちょっと話は逸れるけど、その自分時間とは何ぞや、ということに悩んだことがある。
個人起業なのに、しかも自分で選んで決めた仕事なのに、「自分の」時間という感覚が持てないのはいかがなものか。
もちろん、コーヒー飲んでボーっとする類の時間とは違うけれど、仕事の時間が「自分らしくいられる時間」と言い切れないのは悲しいな、と思った。
個人起業するなら、仕事の時間も「自分時間」と言い切れる方が楽しいに決まってる。


話を戻すと。
どの役割のウェイトが自分にとって大きいのか、これは人によるよね。
母の時間が最も自分らしいと感じる人もいれば、主婦業が好きでそれが自分時間と感じる人もいる。

昭和に育った私たちは、結婚したら主婦業と母親業が完璧にできた上で仕事、みたいな前提があるけれど、いやいや、死んでまうわ。
昭和生まれ昭和育ちの私だけど、昭和の常識の中では生きられなかった。

そもそも、小さい頃から毎日ピアノと勉強がんばれ、つって、家の手伝いはほとんどさせられず(甘やかされたというより、母が自分のペースを乱されたくなかったのではないか、と、孫とのやりとりを見ていて思う)、家の中ではなく外で勝負することに尽力してきた私が、結婚したある日、別人のように家事ができるようになるわけない。
勉強もピアノも仕事も家事も、上達するには練習量と経験が必要なのだ。


そんなわけで、私は他のことに比べて家事の経験値が少なく、おまけに楽しいと思っていないので、得意になるわけがない。
イヤイヤやっているので効率も上がらない。
おまけに、家事=主婦業ってのも気に入らない。
いやそれは私の個人的な思い込みかもしれない。
でもこの思い込みは昭和な教育による刷り込みで、私世代の大半の人はこの思い込みを持っている。
そしてその呪いのせいで苦しんでいる。


でさ。
ここからがようやく本題なんだけど、時間もエネルギーも、ウェイトを置きたいのは『自分の時間』だと、感じられる時間なんだよね。
家事が好きならそれもよし、子どもといる時間が好きならそれを確保するためにどうしたらいいのか考えればいい。

要は「自分の人生生きてんな〜!」って、実感できる時間が多い方が心が満たされる。

これは絶対。
例外なし。


じゃあどうしたらそれができるのか。
そのために考えることは2つ。

①「やらされている」ことを減らし、『自分の時間』をなるべく多く取る。
それには、生活のどこにメスを入れる必要があるのか。
時間は1日24時間で、1年は365日。
これだけは人類に平等に与えられた基本枠。
その積み重ねが人生。
そんなことみんなわかってる。
いや、本当にわかってる?
私はわかってなかった。
だから「今は」何を優先してやるのかを考えないと、ずっとモヤモヤしたまま。

②そもそも、自分にとっての『自分時間』とは何か?をちゃんとわかってるか。
主婦業嫌いなのに良い奥さん(世間一般でいうところのね)になろうとしたり、なんだかわからないぼや〜んとした「良いお母さん」になろうとして、育児書に出て来るロールモデルのできる風ママと比べて自己肯定感ダダ下がりしたり。
それは本当にあなたが、あなたの本心が「やりたい」と思ってることなのか。
世間に合わせて「こうしなければならない」と勝手に思い込んでいないだろうか。
誰かにそれを強要されたのか(だとしたらとんでもねぇけど)。
仕事や趣味の時間だけが「自分時間」ではない。
家事も子どもと遊ぶことも自分で選んでやっているなら「自分時間」。
やらされてる感ならそうじゃない。
要はそれを自覚できているか。
もちろん、自分時間:やらねばならないこと=10:0にはできない。
できないけど、「これは私は好きこと、これはなるべくやりたくないこと」と、自分の心に嘘をつかずに認識できているか。
これだけでも結構変わる。
分析ができれば対策が打てる。


私たちは、教育の中で「みんな」とか「普通は」とか「常識的に」を意識するように、いや、無意識的な感覚として育てられてきた。
それがなければ社会の秩序は保たれないのかもしないけれど、過剰になりすぎてはいやしないか。

ちなみに発達凹凸のあるうちの長男はそんな枠組みの中で生きてないので、好きなことをとことん追求し、自分に必要だと思うことをちゃんと選び取って生きている。

私も本当は苦手だったのだ。
そういう枠に入れられることに。
と、最近わかった。
学生時代も組織で働いていた時も、誰よりもその秩序に従ってきた。
それははみ出ることを恐れていたからだ。

日本という社会ははみ出ることを嫌う。
幼少期の経験から自分の価値の尺度が完全に他人からの評価だった私は、当然他人から良く評価されるように生きてきた。

組織から出て、フリーランスになったら、「自由」という世界では、自分で自分を乗りこなし、自分の人生に責任を持たねばならないと知った。

それでも、自由はやはり楽しそうだ。
だって自由な長男は楽しそうだもの。
「みんなと同じように、常識的に過ごす」ことから解放したら、彼は毎日本当に生き生き暮らしている。


主婦だから、母だから、って、我慢してること、誰でもあると思う。
それは仕方ないよね。
いろいろSNSを見てると、時々ぶっ飛んだ、というか、振り切れたすごい女性起業家がいるけれど、その域まで達するのは凡人には難しい。
本気で目指せば何にでもなれるかもしれないけど、自分の心が本当にそれ望んでいるのか。望んでいるならきっとできる。ナビ設定の目的地がそこになるからね。

そう。
今日の結論はここだ。

自分の心が本当は何を望んでいるのか。


「本当は」が大事。
はいここアンダーライン。
テストに出ます。

ごまかしてるからいつまでもモヤモヤ。
一度認識したら、もうそこに向かって自動的に動くようになるんだわ。
これはスピの話じゃないんだわ。
わかっちゃったらもう自分の気持ちごまかせなくなるってだけの話。

これ、私、経験済み。
経験してるけど、それでもまだごまかそうとするもう1人の自分がやってくるの。
こいつも手強い。
なんでごまかそうとするのか。
私の場合は、自分の存在価値をまだ「他人軸」で評価しているから。
あるいは、目先の損得勘定。
そこもしっかり向き合わないと、結局悶々とした自分に引き戻されるの。
私今ここ。

これは今私の今後の人生を左右する大問題なので、しっかり向きう所存です。

あなたも自分の心と向き合ってみませんか?



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