発達検査を受けて良かったのか
長男の発達検査を受けたのは、約1年前。
2023年の12月だった。
発達検査を受けたいと、発達支援センターに電話をしたのが6月下旬。
「学校と家庭、双方から連絡がないと先に進めない」と言われ、学校に連絡し、特別支援コーディネーターの先生と面談、書類を作成、申請してもらったのが7月の上旬。
検査の日程の連絡が来たのがそれから約1ヶ月後。
聞いてはいたけど、一つ一つ進むのに、ものすごく時間を要する世界だ。
小1の時の長男の行き渋りが最もひどかったのは夏休み前、夏休み明けから徐々に徐々に落ち着いてきた。
だから、12月の検査の時は、最もひどかった状況からは抜け出していた。
それでも、せっかく予約が取れたんだし、発達の凹凸はきっとあるだろうから、予定通り受けておこう、くらいの気持ちだった。
「発達検査を受けたら、無傷では帰って来られない」
と、知人から聞いていた。
一応受けておこうかな、くらいで受けたら、発達障害の診断を受けた、ショックと絶望感で頭が真っ白になった、とその人は言っていた。
なるほど。
そういうものなのか。
とは言え、うちの子は最近落ち着いてるし、勉強にもついていけてるし、やっぱり私の取り越し苦労だったかも、とも思っていた。
結果は、ASD(自閉スペクトラム症)だった。
それなりに覚悟はしていたし、何かしら発達の凹凸的なものはあるうだろうな、とも思っていたので、その判定結果には納得したけれど、「周りの大人の特別な配慮と、環境を整えることが大事です」と言われて、これから先の未来どうやって生きていくのだろうかと考えたら果てしなさすぎて、急に不安が押し寄せてきて、泣いた。
発達検査を受けるからには、覚悟はしていったほうがいい。
そもそも、面倒な手続きを経てその検査に辿り着いたわけだから、発達検査を申し込む時点である程度覚悟はしているはずだ。
それでも、「定型発達です、心配ないですよ」と言われるのではないかという一縷の望みをかけたくなるものだ。
ちなみに、発達検査を受けるまでの周囲の反応だが、私以外の誰も、長男が発達障害かもしれないと疑っていなかった。
夫は「成長すれば大丈夫じゃない?それに、検査を受けて発達障害だったとして、息子は息子だし、何か変わるの?」と言った。
私の母は「発達障害じゃないのに、生活習慣や栄養不足によって発達障害に類似した症状が表れる子どもが増えている」という主旨の本を、ご丁寧に大量の付箋付きでよこした。
義母は「大丈夫よ」と言っていたし、
幼稚園の年中の先生も年長の先生も「大丈夫です」と言った。
夫は現役教員だし、義母は元教員だ。
つまり、何が言いたいかと言うと、発達障害か否かを判断するのは、素人には無理、ということだ。
他の家庭よりも教育に関わりの深い我が家ですらこんな感じ。
強いて言うなら、一番近くで育てている【母としての本能的勘】が一番当たると思う。
長々書いてきて、「発達検査を受けて良かったのか」というテーマへの答えだけど、
私は【良かった】と言い切れる。
発達検査は、親のためではない。
子どもが、生きやすくなるためのものだ。
私がいる世界と、長男がいる世界は、住む星が違うレベルで異なっている。
それを周りにも伝え、手助けをしてもらうことが必要なのだ。
違う星に産み落とされてしまった彼らが、この星でも幸せに生きていけるようになるためには「これができません。助けてください。」を伝えられるかどうかで変わってくる、というのが現時点での私の見解。
「普通」に近づけるのではなくて、そのヘルプを伝える力を育てることが大切なのだと学び、実感している。
それから、さっき「発達検査は親のためではない」と言ったけれど、診断がついたことで、私は救われた。
そして、「助けて」が言えるようになった。
発達障害児の子育ては、手がかかるし時間もかかる。
母と言えど、1人では頑張れないのだ。
発達障害児との暮らしは、確かに特別な配慮や工夫がいる。
それは、私や夫が通ってきた道には
出てこなかったもので、だから私たちに分からないことがあるのは当たり前。
というか、わからないことだらけで、状況が悪かった時は本当にもういっそ子どもを殺して自分も死のうかという気持ちに何度もなった。
ということは何度も書いてるけど。
それでも、「死にたい」と「死ぬ」との間にはすごい距離の隔たりがあると気が付いてからは、とにかく未来に希望を持つために必死で生きてきたし、今も必死で生きている。
でもね、発達障害を持つ我が子は、相当面白いし、相当天才だし、相当笑いのセンスがある。
大真面目に書いてバツをもらってくる学習プリントの珍解答は、そこらへんの大喜利よりよっぽど笑える。
苦手なこともあるけれど、突き抜けて天才的なものも持っている。
それを大事に磨いていけばいいのだ。
発達障害が分かってこれまで、というより、学校への行き渋りが始まってからずっと、奔走した。
本もネットも連日読み漁り、いろいろな人に会いに行き、不登校ビジネスや発達障害ビジネスに「金を払って何とかなるなら」と心が揺れ動き、とにかくたくさん泣いた。
子どもにもものすごく酷い言葉をぶつけてきた。
今も落ちたり上がったり、そしてこれから先もそれは繰り返されていくだろうけれど、そんなぐちゃぐちゃな毎日の中でも必死にもがいていろいろ試行錯誤してきた結果、少しずつ我が家なりの方法が見つかったり編み出されたりしながら日々暮らしている。
そして少しずつ少しずつ頼れるところが増え、私も本人もだいぶ楽になった。
それは、やっぱり発達検査を受けて、診断がついたところから始まった。
辛かったけど、検査を受けて、味方がたくさんできた。
世の中の優しさを知った。
子どもを他の子と比べなくなった。
世の中の「かくあるべき」から解放された。
いかに自分が狭い価値観の中で生きてきたのかということも知った。
私は、就学時健診に発達検査を義務付ければいいのに、と思ってる。
まあそんなことしたら国は破産するだろうけど。
だからやらないんだろうけど。
発達検査を受ける前までの私の子育ては、長男にとっては完全にベクトルがズレていたようだ。
私が良かれと思ってしていたことは、長男にとってはただ辛いだけのことだったみたい。
検査を受けていなかったら、今もそうやって育ててた。
字が汚いことを罵倒し、板書が取れないことに激怒し、「努力が足りない、お前はダメなやつだ」と言い放っていたと思う。
いや、過去に言ってるな、コレ。
そんな風に言い続けて、親子関係がおかしくならないわけない。
私はそれを一番恐れていたのだ。
恐れているわりに自力では変われなくて、もがき苦しんでいたんだ。
診断がついて、すぐ変われたわけじゃなかったけど、少しずつ少しずつ、自分も変わって、長男も変わった。
どっちが先かはニワトリタマゴなんだけど、お互いの化学反応で変わったんだと思う。
発達検査を受けようかどうしようか迷っている人がコレを読んでいたら、それはご縁だと思うので、考えてみてほしい。
発達検査を受ける目的は何なのか。
そこを考えるだけで、発達検査が必要かどうか、自ずと答えは出る気がする。
ラジオやってます。