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お金のブロックの外し方のヒントはスタバにあり。

市の発達支援センターが主催している、先輩ママとのお話サロンへ行った。

とりあえず、私は自分が思っているよりも疲れていることがわかった。

こういう風に自分で言うと、
「甘えてる」
「悲劇のヒロインぶっている」
と思われそうで怖い。

「疲れた」と家で言っても、同じく疲れている夫との「どっちがより疲れてるか競争」みたいになっちゃって、お互い認め合わないからスッキリしないしね。

だから、他人に言われて、
「私、疲れてるって思ってもいいですか!?」
と、初めてホッとした気持ちになる。

子どものため、と、あちこち駆けずり回って学んだり相談したり。
あるいは、少しでも収入を増やしたいと、収入を増やせそうなことを増やす努力。
空いた時間は、ほぼほぼ、そのどちらかに使っている。


サロンで、子どもが成人している先輩ママさんに、

「療育とか使わなくても、家で教えられることがもっとある」
「母親が子どもをよく見て、どんな子になってほしいかという理想のために、今何をしたらいいかを考える。」
「今が我慢のしどころ」
「手伝いをさせた方がいい」

というような話をされた。

ちっとも救わた気持ちになれなかった。

むしろ
「努力が足りない。もっと母親として努力しないと。」
と言われている気分だった。


単発的な相談は、経緯や状況や背景がわからないままに話が進むから、時として逆効果になることもあるんだなと思った。

継続的な相談は、よくわかってもらえるので安心感がある。
でも、相談を聞いてもらう人の影響を受けすぎる場合もあるから、自分にどちらが合っているかは選ばなければならないなと思った。


話を戻すと、先輩ママさんにそんな風に言われて、まだ努力が足りないのか、こんなに日々子どものことばっかり考えているのに、まだ私は見れていなかったのか。
と、がっかりした。
不甲斐なくて、涙が出た。

涙が出たのは、「私、こんなに頑張っているのに!」と言うことがわかってもらえなかったこともある。


でもとにかく、
「疲れてるよ。疲れてる時は子どもを観察する心の余裕とか持てないけど、心の余裕がないと続かないよ!」
と言われて、冒頭の話に戻る。


ところで私は、何のために稼ごう稼ごうとしているのか。

数分前にスタバに寄った。
今日のご褒美である。
ランチも兼ねて、サンドイッチとケーキとコーヒー。
1,500円程度のお会計。
ちなみに昨日も星乃珈琲店で同じくらいの金額を使った。

昨日は
「たまにだからいいよね。」
と思い、
今日は
「2日連続でこんなにお金を使ってしまった。」
と罪悪感が湧いた。

働くことの中に「自分のための要素」があるとしたら、私は日々、このカフェ代のためにお金を稼いでいると言っても過言ではない。

じゃあこのカフェ代を稼ぐことは難しいことなのかと問われれば、そんなことはないのである。

今日1,500円を使ったら、今からまた1,500円生み出せば、動ける限りは永遠にその循環は回っていける。

私はそれができるのに、なぜそんなに「なるべくたくさん稼がなきゃ!」と執着するのか。
俗に言う「お金のブロック」である。

私は、
「増えるのはいいけど、減るのは不安」
なのである。
体重以外は。

減らさないために、稼がなきゃと思う。
じゃあいくらあったら安心かと問われれば、それは明確に答えられない。

多分ここのループが解消できないと、私は永遠に「なるべくたくさん稼がなきゃ」の闇の中から出られない。

本当は私はなるべく働きたくないのだ。

疲れているから。

健康な体と心を取り戻したい。

だけど、何もしなければお金が足りたくなるに違いないという不安。

だけど、「稼ぎたい」が先に立つと、
「自分が満足する働き方」
から遠のくだろうという感覚もある。


絶対に働かないと暮らせない!
と言うほど切羽詰まってるわけでもなく、
働かなくても大丈夫!
と言い切れるほどの余裕もない。
このグレーな感じが私の最も苦手とする状況である。
ね。
私も自閉の傾向あり。

カウンセリングも受けているので、カフェ代だけは言い過ぎだけど、
本当にマジで、体と心を休めることに時間を使おうかな。


と、スタバの会計でそこまで思いを巡らす私、きっと天才。


あなたの「お金のブロック」を解く鍵も、きっと身の回りのどこかに落ちていますよ。
てゆーか私もまだ解けてないから、今後どうなるかな。

変化があったらまた書きます。


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