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「ありのまま」って何だ?

前に比べて、私、怒らなくなった。

それは、病院で
「怒らないで、叱らないで」
と言われたからかもしれない。

長男の発達障害について、少しずつ、受け入れられるようになってきたのかもしれない。

長男が発達障害だから、少しずつ、諦められるようになってきたのかもしれない。

わかんないけど。


もちろん、イライラはするし、完全に怒らないなんて無理。
絶望感の沼に突き落とされることもある。


怒らない、叱らないために努力していることがあるとすれば、
自分を労わることか。
家事は苦手だし嫌いだから極力やらないとか。
子どものために時間と労力を使わざるを得ない日ばかりなので、なるべく自分の時間を取るようにするとか。
家事よりそっち優先。
時と場合によるけどね。

私が家で働かない分、夫や義母が動いてくれて、申し訳ないなと思わなくもないけど、私は私にしかできないことをやっている。
そして母親が心身共に健康でなければと言うのなら、周りの迷惑など構っていられない。
感謝の気持ちを持ちつつ受け取ろう?
そんなの私からしたら偽善者の建前だ。
私は私の人生削って私にしかできないことをやってるんだとしたら、その他のことなどどうでもいい。
そちらも大人なんだから、ご自分のできる範囲でどうぞ。
がんばるのもがんばらないのも、自分で決めてることですよね?
としか思わない私は本当に定型発達なのか。


私が倒れるわけにいかないので、私は私と子を保つことにしかエネルギーは使いたくない。
私だって強迫なんだぞ。
誰も悪くないことに、私も子も苦しんでいるんだぞ。
ほんとに、生きて毎日人並みに生活してることをもっと褒めてほしい。
強迫性障害者にとって、それがどんなに大変なことか、健常者には想像もつくまい。


子どもが生まれて、私は「賢い子」にしたかった。
私ほどではないかもしれないが、多分夫もそうだと思う。

私たちは教師だ。
いや、私は元、だけれども。
教師の給料は安いので、財産を残してやることはできないから、残してやれるのは「教育」だと思ってきた。
それは夫婦共通の想い。
過剰な英才教育はしなかった、というか私に根性がなくてできなかったけれど、いろいろな刺激は与えてきた。
長男も次男も、こちらの期待以上に賢くなったと思う。


でもさー。
学校入ると、求められる賢さの種類が違うんだよね。
教科書の内容を理解する力。
他に合わせる力。
みんな一緒に、ができる力。
理不尽なよくわからないルールでも遵守する力。

日本の教育って未だ軍隊教育なんだなと感じる。
兵隊は意志を持ってはいけない。
だって駒だから。
勝負に勝つためのピースで、そこに人格なんて存在しなくて、ただ駒を操る人の言いなりになれればそれが最も評価されることなのだ。

怖くない?

そんなの変だ!
って気づいちゃってるうちの息子が「非定型発達」で、
軍隊教育にはまれる子どもが「定型発達」なんだよ。


すげー変。



えーと、何を言いたくて書き始めたんだったか忘れた。

さっきとあるnoterさんの

「ありのままってなんだ」

みたいな記事を読んでなんか触発されたんだけど、
いろいろ書いてるうちに忘れた。


えーと、とにかく、

学校なんて無ければ、うちはもっと平和に暮らせる気がする。
私は本当は、学校に行かせたくないと思ってるんだと思う。




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