27 パワーレススポット
2013年58歳で始めてやめるまでの7年間、Facebookのカバー写真はこれでした。一人旅にやっと使い方がわかったスマホを持参し、Facebookは不思議なツールですよ」という友人のひとことに乗って投稿を始めました。
青森県のガイドブックで、八戸の屋台・下北半島の恐山・津軽三味線を下調べして行きました。特に恐山については、同世代でお葬式の先生でもあった女性社員から「友達に薦められて読んだら素晴らしかった」という恐山のお寺の住職の書物に惹かれて、ワクワクして訪ねました。世の中にパワースポットというところはいくらでもあれど、そうではなくパワーレススポットだというのです。実際に足を踏み入れてみると、パワーを吸い取られるというか気持ちの中にある「歪みや懲り」みたいなものが剥がれる感じがしました。
このかざぐるまは、究極の悩みや苦しみを抱えた人が恐山に救いを求めてやってくるお話しに登場しますが、実際に目の前にすると何とも言えない気持ちになります。ある友人は「この世とあの世の境を持つ場所」が具体的に日本のある場所に存在すると教えてくれました。関心が無いではないものの不気味な感じがするので積極的に行こうとは思いませんが、恐山でも十分そのような感じを味わいました。その独特の世界はおそらく唯一無二ではないかと思ったので、Facebookのカバー写真は最後まで恐山で通しました。
立ち止まって考えると、パワースポットと言われるところはすべからくパワーレススポットなのかもしれません。ある宗教家の方と女性タレントさんの対談では、宗教施設に入ると「負の感情がデトックスされる」とか「精神がチューニングされる」と表現されているのを読みました。
いずれにしても大宇宙とか大自然とかいう言葉では表せない無限の何かに奇跡や有難さを感じて、頭(こうべ)を垂れ身を委ねるのは自分には必要な経験であり、間違いなく恐山はその典型的な体験だったと思います。