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30 座禅の誤解が解けた

数年前の夏休みに山あいの保養施設に、娘や孫たちと6人で泊まりに行きました。秘かに尊敬している方がプロデュースし経営されていることもあって、興味津々でした。

グリーンツーリズムというカテゴリーがあるらしく、他で味わえない体験や経験を楽しみたくて訪れました。建物は元から存在していてデザイン性も高かったようですが、ソフト面の設計は譲りうけた時にリボーンされたそうでホームページの作りこみから見ても一種独特の空気感を漂わせていました。それを意識しながら訪れると、食事も入浴も睡眠もほかとはちがった次元にセットアップされたことを実感しました。

一人旅をしている若い女性を見かけましたが、その環境にぴったりと溶け込んでおられました。聞くところによるといわゆる自分探しの女性に人気だということ。「チョーわかる」って感じです。でも案外ファミリーユースも少なくないとのこと。たしかに芋掘りや土いじりを体験させてくれるのですが、孫は大喜びでした。

そしてこのわたし。器具を使ってのストレッチと座禅の2つのメニューを体験しました。ストレッチの器具は初めて使ったもので極めてリーズナブルな感じがしました。でもやはり最高にリーズナブル感を味わったのが、意外なことに座禅でした。

初めての就職先は創業者が禅や写経にもご熱心で、お寺を運営し禅堂があり、入社研修では座禅を体験しました。でもためになった思い出は持っていません。恥ずかしながらいきなり風疹にかかり、1日だけで回避したので経験しなかったのと同じです。さらにはるか後のことですが最後の就職先の仏壇屋では先輩から「座禅なんてやっても無の境地なんてなれない」「悟りなんてほど遠い」と聞き、あげくのはて、親しく聞いている僧侶の方々から「座禅は限られた能力のある人の修行」と聞かされていたので、頭の中に固定した「縁のうすい座禅像」がこびりついておりました。

話を戻すと、このグリーンツ-リズム施設で教えてくださったのは近所のお寺のご住職。そしてその時間は、苦にせず禅の本質を体験できる凝縮された時間でした。それがこれまで数10年も誤解していた座禅に対するイメージをガラッと変えてくれました。つまり「無の境地」とか「空の世界」は自分の日常を捨てて入り込まねばならない世界ではなく、自分の体と呼吸と頭の中を、そーっと自然に沿うようにあわせていくそれこそチューニングの方法だったのです。

それは恐山をパワーレススポットということと、スケールの大小は別にして同じ世界だと実感しました。また哲学者の博士であり浄土真宗の僧侶の先生が書かれていた「禅が動き出せば念仏になる」という難解な言葉が、多少理解できるような気がしました。