【人物月旦 #18】😁ペンキ倉庫の達人のはなし
昨年、日本年金機構から珍しい封書が届きました。「何だろう?」と思いながら開封すると、"特定できていない年金の支払い期間がある" という通知でした。
確認してみると、約30年前に8か月ほど年金の支払い記録があるとのこと。しかし、そんな昔のことはすぐに思い出せません。記憶をたどりながら会社名をインターネットで調べると、それは倉庫会社でした。そして、住所は実家の近く…。
「ああ、あの時のことか」と、一気に記憶がよみがえりました。
それは、私が3DCGを学ぶために学校へ行くことを決意し、実家に戻って資金を貯めていた頃に働いていた倉庫会社でした。結局、その倉庫での仕事だけでは学費が足りず、以前「人物月旦 #16」でお話しした新聞奨学生として働くことに続くわけですが、それはまた別の話です。
驚いたのは、私はアルバイトとして働いていたつもりでしたが、会社はしっかりと厚生年金を支払ってくれていたことです。たった8か月の勤務だったのに、こうして30年後に通知が届くとは、不思議な気持ちになりました。
そのことを思い出したと同時に、あの頃大変お世話になったある人のことも思い出しました
さて、そんな昔の記憶がよみがえったところで、今日の話は、その倉庫で出会ったフォークリフトの達人についてです。どんな話なのか、早速、本編へどうぞ。
3DCGを学ぶために
当時私は、イギリスでの経験から映画業界に進みたいと思って東京で就職活動していましたが、とある映像制作のプロダクションでの面接で、映像監督に「映画の世界に入りたいなら、何か技術を身につけろ」と言われた言葉がずっと頭に残っていました。カメラか、照明か、編集か。そんな中、偶然目にしたテレビで放送されていた映画のメイキング映像が決定打になりました。画面に映るピラミッドやナイル川の壮大な景色や建造物がすべてCGで作られていると知ったとき、「これだ」と直感しました。
そうして、3DCGを私は学ぶことを決意しました。(詳しくは人物月旦#03)
3DCGの専門学校へ入学に必要な費用は約150万円。しかし、食費を切り詰めながら貯めた貯金はわずか35万円ほど。このまま東京で日本語教師として細々と働きながら貯めるのは、どう考えても無理がありました。
そこで、地元に戻ることを決めました。
東京のボロアパートを引き払い、久しぶりに実家のある街に帰ってきました。荷物はリュックひとつとスーツケースだけ。狭い部屋での暮らしは長かったものの、結局のところ生活に必要なものなど限られています。
久々に実家の玄関をくぐると、懐かしい香りが鼻をかすめました。壁の柱には子供のころからあった古い掛け時計がかかり、リビングには変わらず両親がいつものように座っていました。
とはいえ、定職にも就かずフラフラしている息子が突然戻ってきたとなれば、両親にとってはさぞ厄介者だろう……。
「また何かやるって言い出すんじゃないか」「どうせまたどこかに行くんだろう」そんなふうに思われているかもしれないと、少し気まずさを感じながら、おそるおそる事情を話しました。
「しばらくいてもいいが、食事代くらいは入れろよ」
父は新聞をめくりながら、ちらりとこちらを見て言いました。母は特に何も言わず、黙ってお茶を入れてくれました。
思わず拍子抜けしました。もっと嫌味のひとつでも言われるかと思っていたのに、意外にもあっさりと受け入れてくれたのです。
オーストラリアへ突然旅立ち、約1年半。帰ってきたと思ったらすぐに上高地で10か月働き、さらにイギリスへ渡り約3年半―。
その間、何度かは数日程度帰省したことはありましたが、こうして落ち着いて実家で過ごすのは実に7年ぶりでした。
久しぶりに向かい合った両親の表情は、思いのほか穏やかでした。
もしかしたら、これまでも私がふらりと家を出るたびに、どこかで「どうせまた帰ってくるだろう」と思ってくれていたのかもしれません。
やはり、いくつになってもダメな息子ほど、かわいいというのは本当なのかもしれません。
仕事探し
とはいえ、家族の団らんに浸っているほどのんびりしているわけにはいきません。目標の150万円まで、あと115万円。
入学は4月。8か月ほど猶予はありますが、余裕をもって半年で貯めるつもりでした。そうなると、毎月20万円は貯金しなければなりません。家賃は両親に甘えるとしても、食費や雑費を考えると、手取りで23万円ほどは欲しいところです。
しかし、田舎の現実は厳しいものでした。
東京にいた頃は、アルバイト情報誌を見れば、すぐに何かしらの仕事が見つかる環境でしたが、ここでは状況がまるで違います。そもそも求人情報自体が少ないうえ、条件の良い仕事はすでに地元の人たちで埋まっていることが多いのです。
「英語を活かせる仕事は……ないか」
漠然とそんなことを考えて求人を探してみましたが、案の定、求められているのは工場の作業員や運送関係、スーパーのレジ打ちなどの仕事ばかり。英語を活かせる職なんて、見当たりませんでした。
「まあ、そりゃそうか……。」
ここは観光地でもなければ、外国人がたくさん住んでいるわけでもない。英語ができることが役に立つ環境ではないのは分かっていましたが、実際に仕事を探す段階になって、その現実を改めて突きつけられました。
英語以外に特別な資格もスキルもない。学歴を活かせるような職種にも縁がない。となれば、体を使う仕事を探すしかありません。
それでも、「せめてもう少し条件のいい仕事はないか」と、地元のハローワークにも足を運びました。
ハローワークの職員は親切でしたが、紹介される仕事はどれも決して高収入とは言えないものばかり。田舎ではそもそも給料相場が低く、高くても時給900円程度の仕事ばかりが並んでいました。計算してみると、これでは1日8時間働いても、月に15万円程度にしかならず、とても目標額には届きません。
「やっぱり、もっと稼げる仕事を探さないと……。」
焦りながら求人情報を見ていると、ふと新聞の折り込みチラシが目に留まりました。
「基本給25万円」
目を疑いました。
田舎の仕事で、これだけの金額がもらえるものがあるのか?
何の仕事かと思って詳細を読んでみると、それは ペンキ倉庫での荷受けと荷積み の仕事でした。
工場勤務や倉庫作業は大変な仕事だというイメージはありましたが、未経験でも歓迎とのこと。特別な資格もいらず、条件も悪くない。
「これなら…。」
やるしかない。
私はすぐに連絡を取り、面接の予約を入れました。
フォークリフトの達人
面接は、拍子抜けするほどあっさりと終わりました。
倉庫の仕事というと、体力勝負で大変なイメージがあったため、どんな厳しい質問をされるのかと身構えていましたが、面接官は終始気さくな態度でした。
「主にフォークリフトを使った作業だから、車の運転ができればとても簡単な仕事だよ。」
そう言われ、少し拍子抜けしました。フォークリフトというと、大型の工場や倉庫で器用に荷物を積み上げる職人技のような仕事を思い浮かべていましたが、面接官の話ぶりからすると、特別な技術は必要なさそうです。
「1日もあれば覚えられるし、すぐ慣れるよ。」
簡単そうな仕事なら安心だと、ほっとしたのも束の間、ふと疑問が浮かびました。
「フォークリフトって、免許が必要なんじゃないですか?」
「倉庫の敷地内で使うぶんには免許はいらないよ。でも、うちは倉庫がいくつか点在していて、公道を移動することもあるから、その場合は免許が必要になるな。」
なるほど、敷地内の作業だけなら問題ないものの、公道を走るには資格が必要なのか。
「免許を取らないとダメですよね?」
「まあ、1か月くらいの間に取ってもらえばいいよ。フォークリフトの免許なんて、1日で取れるから心配いらないさ。」
1日で取れるなら大したことはなさそうだ。普通免許を持っているのだから、それほど難しくはないのかもしれない。
思ったよりもハードルが低そうで、何となくやれそうな気がしてきました。実際の作業はどうなるか分からないが、とりあえず体力があればこなせるだろう。そう思うと、急に気が楽になり、その日は安心して帰宅しました。
初出勤とフォークリフト初挑戦
翌日、初出勤の日がやってきました。
朝、倉庫の敷地内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは、大きなトレーラーが何台も往来する光景でした。エンジン音が響き渡り、ひっきりなしに荷物を積んだトラックが行き交っています。倉庫の中には、ペンキの一斗缶が山のように積まれ、作業員たちが忙しそうに動き回っていました。
「おい、新人!」
大きな声に振り向くと、がっしりとした体格の40代くらいの男性がこちらを見ています。
「高木だ。お前の指導を任された。」
この倉庫でフォークリフトの扱いに関しては右に出る者はいないと言われる達人らしい。そんな人に教えてもらえるのは心強いと思いました。
「まずは倉庫の仕事の流れを覚えろ。午前中はフォークリフトに慣れるところからだ。」
仕事の内容は単純でした。到着したトレーラーからパレット(木製のすのこ状の台)に載せられたペンキの一斗缶をフォークリフトで荷下ろしし、倉庫内の指定された場所に運んで積み上げる、という流れです。ただし、積み上げる高さはかなりのもので、最上段に積むには慎重な操作が必要でした。
午前中は、フォークリフトの基本操作を覚えるために、敷地内をぐるぐると運転することになりました。実際に動かしてみると、フォークリフトの操作は思ったよりも簡単で、すぐにハンドル操作や爪の上げ下げを覚えることができました。
「おお、なかなか飲み込みがいいな。」
高木さんの言葉に少し自信を持ちました。
しかし、午後からは実際にペンキ缶の積み下ろしを行うことになり、状況は一変しました。
フォークリフトの爪をパレットに差し込み、慎重に持ち上げて運ぼうとしましたが、感覚が思っていた以上に難しく、少しでもバランスを崩すとペンキ缶に爪が当たり、すぐに缶がへこんでしまいました。ひどいときには缶が破れて、中のペンキが漏れ出すこともありました。
「慎重にやれ!そんなに雑に動かすな!」
最初は普通に接してくれていた高木さんも、私の不器用さに次第に苛立ちを隠せなくなってきました。
結局、何度も失敗し、練習用のペンキ缶をいくつもダメにしてしまいました。高木さんの表情も次第に険しくなり、ついには疲れ果てた様子で、「もういい」と言い残し、そのまま帰ってしまいました。
このままではまずい。そう思いながらも、うまくできるようになる兆しはなく、不安だけが募っていきました。
崖っぷちの決断
翌日も、その翌日も、私は一人でフォークリフトの練習を続けました。しかし、なかなか思うようにはいきません。操作を誤ればすぐにペンキ缶を傷つけてしまい、微調整の感覚がどうしても掴めなかったのです。
焦りが募るなか、気がつけば3日が経っていました。その日の夕方、作業を終えた倉庫内で、ついに人事の担当者がやってきました。
「さすがに現場に入れられない人をいつまでも雇っておくことはできない。あと1週間後にもう一度判断する。それまでにできるようにならなかったら、申し訳ないが辞めてもらうしかない。」
厳しいが、当然の判断でした。私はただ頷きながら、心の中で覚悟を決めました。
「…とにかく、やるしかない。」
それからの私は、これまで以上に必死でした。倉庫が閉まってからも、会社に許可を取り、夜遅くまで練習を続けることになりました。静まり返った倉庫で、たった一人、フォークリフトを動かし続ける夜が続きました。
最初の数日は、いくらやっても上達している実感が持てませんでした。持ち上げるたびにバランスを崩し、荷物をずらし、思うように積み上げられない。ペンキ缶を破損することこそ減ったものの、最上段への積み上げは依然として苦手なままでした。
疲労と焦りで頭がいっぱいになり、何度も投げ出したくなりました。しかし、ここで諦めたら確実にクビ。もう後がない。そう自分に言い聞かせ、ひたすらリフトの操作を続けました。
そんなある夜、倉庫内に誰かの足音が聞こえてきました。こんな時間に誰かいるはずがない。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは高木さんでした。
「お前…こんな時間まで何やってんだ。」
私は、ばつが悪そうにしながらも、ただ「練習してます」と答えました。
「…バカかお前は。さっさと帰れ。」
そう言いながらも、高木さんはその場を離れることはありませんでした。むしろ、私の動きをじっと見つめていました。
「…ったく、不器用なやつだな。付き合ってやるから、ちゃんとやれ。」
そう言うと、高木さんはフォークリフトに乗り込み、模範となる動きを見せ始めました。
「まずはな、爪を入れる角度が悪い。ここをこうするんだ。」
言葉はぶっきらぼうでしたが、今までのどの説明よりも分かりやすかった。そして何より、こんな時間にわざわざ来てくれたことが、私の胸を熱くしました。
その日から、高木さんは夜の特訓に付き合ってくれるようになりました。彼の厳しくも的確な指導のもと、私は少しずつコツを掴んでいきました。荷物を持ち上げるタイミング、重心のとり方、微調整の仕方——全てが目から鱗でした。
「もっと優しく操作しろ。力任せじゃダメだ。フォークリフトは繊細なんだよ。」
高木さんの言葉を噛み締めながら、必死に操作を繰り返しました。そして、ついに。
「よし、今のは合格だな。」
高木さんのその一言に、私はようやく安堵しました。
そうして迎えた1週間後の約束の日。私は何とか、一人前のフォークリフト作業員として認められ、辞めずに済むことができたのです。
成長と信頼
予告された約束の日、私はなんとか辞めずに済むことになりました。正直なところ、ギリギリのラインだったと思います。それでも、ここまで諦めずに努力した甲斐があった。そう実感できる瞬間でした。
それからも、これまで通りの業務をこなしながら、時間が許す限りフォークリフトの練習を続けました。以前のように夜遅くまでというわけにはいきませんでしたが、仕事終わりには必ず自主練習を続けました。時折、高木さんも付き合ってくれました。
「少しはマシになったな。」
そんなぶっきらぼうな言葉の中にも、以前とは違う柔らかさを感じました。今ではミスもほとんどなくなり、最上段への積み上げもスムーズにできるようになりました。
「おい、たまには家に寄っていけ。」
そう言われ、高木さんの家へ招かれることも増えました。奥さんは料理上手で、手作りのおかずをたくさん並べてくれました。仕事終わりの疲れた体に染み渡る温かい食事と、お酒。高木さんとは仕事の話をしながら、ときには冗談も交え、次第に親しみのある関係になっていきました。
仕事の面でも、フォークリフトの操作は格段に上達していました。荷受けや荷下ろしの作業もスピードが上がり、無駄な動きが減ったことで効率的に作業を進められるようになり、
私はフォークリフトの資格試験を受けることになりました。
試験は倉庫の外にある指定の会場で行われました。実技では決められたコース内での操作技術が試されました。すでに実務で何百回とこなしている動作なので、特に不安はありませんでした。
結果は無事合格。これで私は正式に公道でもフォークリフトを運転できるようになりました。
資格を取ったことで、仕事の幅も広がりました。これまでは敷地内での作業だけでしたが、倉庫間の移動や外部の取引先との運搬作業も任されるようになりました。より広範な仕事をこなせるようになったことで、周囲の評価も少しずつ変わっていったのを感じました。
葛藤と告白
しかし、どれだけ仕事に慣れ、高木さんとの関係が深まったとしても、心のどこかで常に引っかかるものがありました。それは、高木さんに本当のことを伝えていないという後ろめたさでした。
私がこの仕事を選んだ理由は、短期間でまとまったお金を稼ぐため。そして、それは最初から決まっていたことでした。3DCGを学ぶための学費を貯めたら、この仕事を辞めて東京に戻る。その事実を隠してここまで来たことが、ずっと心に重くのしかかっていました。
面接の時に正直に話せばよかったのかもしれません。しかし、最初から「短期間しか働けない」と伝えたら、採用されることはなかったでしょう。そのため、あえて言わずに仕事を始めたのですが、今となっては後悔しかありませんでした。
退職の日が刻一刻と近づいてくるにつれ、罪悪感は増すばかりでした。
「もう言わなければならない。」
そう決意した私は、ある夜、高木さんの家を訪ねることにしました。
「なんだ、どうした?」
突然の訪問に、高木さんは怪訝そうな表情を浮かべました。私は何か言おうとしましたが、喉が詰まったように言葉が出てきませんでした。
その場に立ち尽くす自分を奮い立たせるように、私は玄関のたたきに両手をつき、深々と頭を下げました。
「高木さん、今まで伝えられなかったことがあります。とても大事なことです。」
そう言うと、私は頭を下げたままの姿勢で、これまでの経緯をすべて話しました。3DCGの学校に行くためにお金を貯めていること、本当は長く続けるつもりがなかったこと、そして、こんなに良くしてもらっているのに、その事実を隠していたこと。
「だから…あと2か月で辞めなければならないんです。」
そう言った瞬間、高木さんの表情が変わりました。
「帰れ。」
短く、しかし強い口調でした。
次の瞬間、肩をつかまれ、玄関の外へ押し出されました。そして、無言のままドアが閉じられました。
私はしばらくの間、玄関の前に立ち尽くしていました。
自分の都合でここまできてしまったこと、その過程で高木さんを欺いてしまったこと。その重みが改めて心にのしかかりました。
「明日、辞めると会社に伝えよう。」
そう決意し、重い足取りで家へと帰りました。
思いがけない伝言
家に戻り、何も考えられずにベッドに倒れ込んでいると、玄関のチャイムが鳴りました。
扉を開けると、そこには高木さんの奥さんが立っていました。
「高木さん…」
私は、また怒られるのかと思い、反射的に頭を下げました。しかし、奥さんは静かに首を振りました。
「違うの。そうではなくて、うちの人から伝言を預かってきたの。」
私は、思いもよらない展開に驚きながら、奥さんの言葉を待ちました。
「あなたがすぐに辞めるって言い出すんじゃないかって、心配しているのよ。」
「え?」
「高木は、あなたの事情を理解した。でも、だからこそ、ギリギリまで働いてほしいって言ってるわ。会社には、あなたが一番いいタイミングで辞められるように話を通すって。」
私は、言葉を失いました。
「だから、辞めるなって言ってたわよ。」
胸の奥から熱いものが込み上げてきました。
「本当に…ありがとうございます。」
何度も頭を下げる私を見て、奥さんは少し困ったような笑みを浮かべました。
「でもね、高木はまだ怒ってるの。それは変わらないわ。」
「…そうですよね。」
「あなたのことを買っていた分、余計に腹が立ってるのよ。でも、あなたの事情もわかるし、若い人の夢を潰すのも違うって言って、私に説明しに行けって。」
涙が溢れそうになりました。
それでも、私がどれほど謝罪をしたくても、今は行かない方がいいと奥さんは言いました。
「時間が経てば、気持ちも落ち着くわ。だから、ちゃんと働きなさい。」
私は、その言葉に深く頷きました。
気まずさが漂う日々の救い
翌日からも、私は変わらず仕事を続けました。しかし、それまでとは違い、高木さんとはほとんど言葉を交わさなくなりました。
「おはようございます。」
「おう。」
「おつかれさまでした。」
「おう。」
それだけでした。
倉庫の中ではフォークリフトのエンジン音が響き、トレーラーが荷物を積み降ろす音が絶え間なく鳴り続けていました。仕事の流れに大きな変化はなく、私もまた、いつも通りにフォークリフトの操作をこなしながら、次々と運ばれてくるペンキ缶を積み上げていきました。
けれども、高木さんとの間には、目には見えない壁ができてしまったように感じました。私が話しかけると、高木さんは短く「おう」と返すだけ。以前のように細かくアドバイスをくれることもなくなり、気まずさが漂う日々が続きました。
それでも、奥さんから聞いた伝言があったこと。それが、日々を過ごす何よりの救いでした。
退職前の報告
退職を1か月後に控えたある日、人事から呼び出されました。部屋に入ると、人事担当者が落ち着いた口調で切り出しました。
「東京に戻らなければならない事情ができて、退職することになったそうだね。高木さんから聞いたよ。残念そうにしていたよ。」
その言葉を聞いて、私は申し訳なさで胸がいっぱいになり、「本当にすみません……」と、頭を下げました。
すると、人事担当者は優しい口調で言いました。
「事情があるんだから仕方ないさ。でもね、最初に高木さんに相談したとき、私は彼に『引き止めたほうがいいのでは』と頼んだんだ。でも彼は、頑なに『そんなことはできない』って言ったよ。」
私は驚いて顔を上げました。人事担当者は続けます。
「彼はこう言っていたよ。『彼は若い。自分のやりたいことをやらせなければ、こっちが後悔することになる』ってね。高木さんは、本当にお前のことを思ってくれている。しっかりお礼を言うんだぞ。」
私はその場で涙をこらえるのが精一杯でした。
最後の挨拶
高木さんが、私の事情をすべて理解し、私のために会社に話を通してくれていたことを知り、胸が熱くなりました。
退職の日がついにやってきました。しかし、高木さんはその日、有給を取っていました。
人事の人が、少し笑いながら言いました。
「高木さんが君に『よろしく』って伝えてくれってさ。きっと、不器用な人なんだろうな。お前に合わせる顔がないんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、目頭が熱くなりました。
「そういう人との縁があったことを、忘れないようにな。」
私は最後に倉庫を見回し、深く一礼しました。
涙がこぼれそうになりましたが、ぐっと堪えて歩き続けました。
それが、フォークリフトの達人と過ごしてきた、最後の日でした。
通過点で得たもの
この仕事に就いたのは、あくまで短期間でお金を貯めるためでした。最初はただの通過点のはずだったこの倉庫での時間は、思いもよらず、かけがえのない出会いと経験をもたらしてくれました。
フォークリフトに乗るのも初めてで、失敗ばかりだった私に対して、最初は厳しく、やがて根気強く指導してくれた高木さん。その背中を見て学び、仕事を通じて成長できたことは、私にとって大きな財産になりました。
それでも、最後まで言い出せなかった本当の事情。それを知ったときの高木さんの怒り、そして彼なりの不器用な優しさ。それらは今でも私の心に深く刻まれていることを思い出しました。
自分の夢を叶えるために去るしかなかったけれど、そこで得たものは確かに未来へとつながるものでした。
「やりたいことをやらせなければ、こっちが後悔する。」
その言葉の意味を、私はこれからも忘れないでしょう。
そして、高木さんのように、誰かの背中を押せる存在になれたらと思います。
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