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【人物月旦 #10】😁ハイドパークのひらめきのはなし
はじめに
このエッセイでは、登場人物のプライバシーを守るため仮名を使用しています。物語や感情は真実に基づいていますが、名前にとらわれず、本質や物語そのものを楽しんでいただけることを願っています。
👇本編要約
「ひらめいた!」その一言が、日常を動かす魔法に変わる。本エッセイは、シドニーで共同生活をしていたイギリス人のスティーブとのエピソードを通じて、「行動することの力」を描いています。彼の特徴は、「まずやってみる」というシンプルな姿勢。サンドイッチ販売の失敗や、漢字Tシャツの成功といった挑戦は、日常に小さな革命を起こし、著者の思考を柔軟に変えていきました。失敗さえも糧に変えるスティーブの生き方は、読者にも「ひらめきを実行する勇気」を綴っています。
P/S:いつも温かい「スキ」をありがとうございます。気に入っていただけたら「スキ❤ボタン」で執筆を応援してもらえると心強いです。これからもよろしくお願いします!
「ひらめいた!」彼のこの一言が、退屈と予想の枠をあっけなく壊していく。
「ひらめいた!」そんな一言で、当たり前と思っていた毎日や、自分で決めつけていた限界のようなものが、意外なほどあっさりと超えられてしまうことがあります。
シドニーで共同生活をしていた頃、そこにはスティーブというイギリス人の男性がいました。(背景について詳しくは人物月旦#4参照)
彼との暮らしは、私の考え方にささやかな刺激を与え続けていたように思います。スティーブは、子どもの頃に誰もが持っていた無邪気な好奇心を、どうやら大人になっても手放さずに生きている人でした。彼はいつも明るい表情で、ちょっとした冗談や皮肉をさらりと口にし、周囲を和ませたり笑わせたりしていました。そのイギリス的なウィットは、私たちが特別なことをしなくても、日常に小さな変化をもたらしてくれたのです。
彼には「まずやってみる」という行動様式がありました。複雑な準備や慎重な計画より、「思いついたらすぐ行動する」ことを重視するため、最初は戸惑うこともありましたが、なぜか不快には感じませんでした。彼が飛び込む先は、別段危険なことではなく、ちょっとした工夫や気まぐれな試みが多かったからかもしれません。その軽いステップを見ていると、自分も少しだけ肩の力を抜いてみようか、という気分にさせられました。
最初は「そんな無理な話があるものか」と冷静に見ていたはずなのに、いつの間にか彼の発想や行動を「面白いかもしれない」と思うようになっていました。私が普段なら面倒だと敬遠するようなこと、たとえば安い材料を工夫してみたり、今まで興味のなかった分野にちょっと手を伸ばしてみたり――そういった些細な挑戦に気軽に取り組めるようになったのです。それは別に壮大な目標を達成するわけではありませんでしたが、日常を少しだけ新鮮な角度から見せてくれるような効果がありました。
彼は単なる同居人以上の存在でした。「ひらめいた」という合図が出るたびに、私の生活は微妙にズレを生じ、そこから新しい展開が広がっていく気がしました。彼が特別な能力者だとか、非凡な天才というわけでは決してありません。ただ、必要以上に悩まず、「やってみる」ことで小さな世界を変えていく。その姿を間近で見ることで、私も少しずつ、自分の行動を見直すようになっていったのです。
それでは、本編をどうぞ。
ハイドパークでの小さな革命の失敗
その日、私たちはシドニーの中心部にあるハイドパークに出かけていました。広い芝生と整然とした並木道が続き、地元の人々や観光客が思い思いの時間を過ごしているのがよく見えました。私たちは木陰で横になり、透き通る青空を眺めながら、特に急ぐこともなく穏やかな午後を満喫していました。空の美しさは心を和ませ、私はその瞬間をはっきりと覚えています。
「なあ、腹減ったな。」と、スティーブが横になったまま軽くつぶやきました。私も同じでした。近くにはいくつか屋台があり、その中から立ち上るピジンパイの香ばしい匂いが私たちを誘っていました。財布を開くと充分な金額はなく、結局パイを一つだけ買って二人で分け合うことにしました。そのパイは想像以上に美味しく、思わず顔がほころんだのを覚えています。
パイを味わいながら、スティーブは「これ、意外といけるよな。俺たちだって安く作れるんじゃないか?」と目を輝かせました。私がどういうことかと問うと、彼は続けました。「パイは難しいとしても、サンドイッチなら簡単だろ。パンにハムとチーズを挟むだけだ。絶対材料費はもっと安く済むはずだ。」
最初は「そんな上手くいくものか」と思いましたが、スティーブの勢いに乗せられ、実際に試すことにしました。私たちはすぐにスーパーへ行き、食パンやハム、チーズを揃え、家で一気に50個のサンドイッチを作りました。その作業をはっきりと記憶しています。確かに単純な工程ですが、不思議と小さな達成感がありました。
翌日、再びハイドパークへ戻り、ブルーシートを敷いて「サンドイッチ1ドル」と書いた手書きの看板を立て、即席の屋台を開業しました。最初のお客さんがやってきてサンドイッチを手渡した瞬間、スティーブは満足げな顔で「ほら、やっぱりできるじゃん」と言いました。その時私も、「これは案外いけるかもしれない」とはっきり思ったのです。
しかし、その期待はすぐに覆されました。遠くから制服姿の人たちがこちらに向かってくるのが見えました。警官と保健所の職員でした。「無許可でここで飲食物を売ることはできない」という指摘は当然で、私たちが用意したサンドイッチはすべて没収されました。ほんの少し前まで感じていた成功の手ごたえが、あっという間に消えてしまいました。
フリーマーケットという再挑戦の場
ハイドパークでの小さな挑戦が警官と保健所の職員によってあっさり阻まれ、正直なところ、私は少し気落ちしていました。せっかく始めたサンドイッチ販売が一瞬で終わりを告げてしまったのですから、しばらくはうなだれていたくなる気分でした。しかし、スティーブはまるでそんなこと気にも留めない様子でした。彼は首をかしげることもなく、「次はフリーマーケットにしよう!」と間を置かずに口にしました。
彼によれば、シドニーには「パディントンマーケット」という有名なフリーマーケットがあり、当時は届け出さえ出せば外国人でも気軽に物を売ることができたそうです。その話を聞き、私は少しずつ気持ちを立て直し始めました。しかし、肝心なのは「何を売るか」です。そこで私が「でも、今度は何を売ればいいんでしょう?」と尋ねると、スティーブは即答しました。
「君、日本人だよな?漢字書けるだろ。それをTシャツに書いて売ればいいんだよ!」
最初は耳を疑いました。ただ文字を書いただけのTシャツが、本当に売れるものなのでしょうか。半信半疑の私を前に、スティーブはさらに続けます。
「日本語ってクールなんだよ。絶対ウケるって!」
その根拠が何なのかはわかりませんでしたが、彼の表情には迷いがありませんでした。そこで私たちは白いTシャツと家庭用のペンキ、太めの筆を用意し、さっそく試作を始めました。最初に書いたのは「富士山」という文字です。しかし、ペンキは扱いにくく、布に文字を書くのも初めてで、出来上がった文字は不格好でとても商品向きには見えませんでした。私は内心、「これで本当に売れるのか」と戸惑いましたが、スティーブは目を輝かせて言いました。
「これでいいんだよ!このラフな感じが逆にクールなんだって!」
彼は失敗や不格好さを全く気にせず、新しい方向へとすぐに舵を切ります。ハイドパークでの失敗にくじけることなく、次の場所でまったく異なる商品を試す姿に、私は新鮮な気持ちになりました。今までなら、こんな突飛な発想には尻込みしていたかもしれませんが、スティーブと行動するうちに「とにかくやってみよう」という気分が湧いてくるのです。
思いがけない成功
パディントンマーケットの当日、私たちは10着ほど用意したTシャツを手に、早めに会場へ向かいました。出店の準備を整え、白いTシャツとペンキで記した漢字を見せると、人々は興味深そうに近づいてきました。最初はどんな反応があるのかまったく予測できませんでしたが、予想以上に好奇心をそそられたようで、数分と経たずに「これを下さい」と声をかけてくる人が現れました。そうしているうちに、10着のTシャツはあっという間に完売してしまいました。
売れ行きを見ていたスティーブは、満面の笑みを浮かべてひそひそ声で私に言います。「な、言っただろ? 日本語、ウケるって!」彼の言葉にはどこか誇らしげな響きがありました。私も驚きと喜びで、心が踊っていました。「いや、まさかこんなに売れるとは思わなかった…」と、自然に言葉がこぼれます。
しかし、それで終わりではありませんでした。「もっと欲しい」という声が途切れずに上がり、追加注文がその場で舞い込みました。材料は白いTシャツさえ手に入れば、現地でいくらでも作ることができます。私は急いで追加のTシャツを調達し、その場でペンキと筆を使って文字を書き始めました。筆先が布をかすめるたびに人が足を止め、何が描かれるのかと目を凝らして見つめていきます。中には写真を撮る人も現れ、ちょっとしたパフォーマンスめいた雰囲気が生まれました。
乾かすためにTシャツを敷地いっぱいに並べると、それはそれで独特の光景となりました。まるで即席のインスタレーション作品のように、白地に黒い文字がずらりと並び、人々は面白がって眺めています。スティーブと私は視線を交わし、笑わずにはいられませんでした。「ほんと、こんなにウケるとはな…」と私が思わずつぶやくと、スティーブは「だろ?」と得意気に返します。
こうして、私たちは思いがけない成功を目の当たりにしました。単純な発想と行動が、こんなにも人々を引きつけ、楽しませるとは想像していませんでした。私たちは、この瞬間をしっかりと胸に刻み、さらに次へ進む自信を手にしたのです。
スティーブが教えてくれたこと
スティーブとの一連の出来事を振り返ると、私には「行動することの大切さ」がはっきりと心に刻まれています。彼は難しい理屈を並べたわけではありませんでしたが、その言葉は非常にシンプルで、そして力強かったです。
「やってみれば、何かは起きる。失敗したって笑えばいいんだよ。」
彼がそう言ったとき、私は頭で考えるばかりで踏み出せない自分の姿を思い知らされました。結果を恐れて立ちすくむよりも、とりあえず行動に移せば、何かが変わるかもしれない――この単純な事実を、スティーブは自らの行動で示してくれたのです。
Tシャツの売り上げは、私たちの生活費の足しになったことは確かですが、それ以上に大きな収穫がありました。それは、自分たちの「ひらめき」と「一歩踏み出す勇気」が、ほんの少しではあっても影響を及ぼし、周囲の空気さえ変える可能性を持っているという感覚です。スティーブはそれを、何のてらいもなく、実践を通じて私に教えてくれました。
「とりあえずやってみよう」という姿勢が、行き詰まった気持ちを解きほぐし、先へ進むエネルギーを生み出してくれます。スティーブが残してくれたことは、その後の私にとって大切な指針のひとつになりました。
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