たった1年
「たった1年じゃん」
割とよく聞く言葉だ。たった1年なんだから記憶にも残らないよ、とかたった1年なんだから頑張ろうよとか。色んな意味で使われる。
たった1年くらいじゃ何も変わらないよ、とか人生の中のたった1年なんて記憶に残らないよとか。本当にそうなのだろうか?
たった1年といわれるくらい短い時間だからこそ、濃密なものにしたいと思わないのだろうか。
研究室が本格始動してから4ヶ月がすぎた。私たちは1月に卒論を提出して3月に卒業だ。
ということは、今のメンバーで議論できるのも12月いっぱいというところだろうか。もうあと6ヶ月「しか」ない。
このことに気がついてからとても悲しくなった。なぜだろうか。今がとても充実していると感じるからだ。最初はほぼ初対面同士で、議論もあまり活発じゃなかった研究室。できてまだ2年目ということもあり、メンバーも少ないし外とのやりとりも活発でない。
もう大きくなって有名な研究室よりかはこういう小さくてアットホームな研究室を力ある研究室にしたいとの一心で、メンバーとして携わってきた。
最初は私1人がぶっ飛ばしている変人感が強かったが、最近はそういう感じもしなくなってきて、居心地のいいコミュニティができているのかな。と少し嬉しくなっているところだ。
そんな研究室も今のメンバーで活動するのはあと6ヶ月。私は2月から卒業するまでのこの約1年間を、研究室に出入りするみんながここをホームのように思えて、10年後、それからもっと先もあんなこともあったなと思い出し暖かい気持ちになってくれるそんな関係性が続く場所であることを目標に勝手に頑張ろうと思った。
たった1年だったけれど、あの時楽しかったなとかあの時のあの経験は今も生きてるよとか。この1年の記憶の引き出しのたてつけがよいものであればいいなと思う。
たった1年だったら確かに適当にやってても時間は過ぎ去る。でも、どうして1年という短い時間でチャレンジするのか。
初めから四季を経て終わる時が来るのがわかっているからだ。終わる時がわかっていると、その時みんながこんな気持ちでこんな顔でいられたらいいなというゴールみたいなものが自分の中に見える。
なぜだかそれだけは無視できない。
常にそれを想像しながら歩む毎日。どんなに短い時間でも、どんな仕事でも自分の使命ややるべきことをやるのみ。置かれた場所で咲きなさいという高校までの教えが生きているのだなと思う。
置く場所を選ぶこともあるだろうし、そうでない時もある。そのどちらでも咲いて周囲に良い影響をもたらせる花でありたいと思う。