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影響を与えてくれた僕のHERO
こんばんは。
BellGです。
今日は少し趣向を変えて、僕の好きなことを書いていきたいと思います。
今日のお題は
「影響を与えてくれた僕のHERO」
僕が音楽を真剣に取り組んだきっかけ、そして海外への移住を決めたきっかけを与えてくれた僕のHEROがいます。
”NUNO BETTENCOURT”
アメリカ、ボストン出身のハードロックバンド「EXTREME」のGuitaristです。
確かなテクニックと、楽曲センス、そしてルックスが最高に僕に影響を与えてくれました。
音楽はここから聞いてもらえれば、彼らがいかに優れたリズムと卓越したサウンドを持っていたかが分かると思います!
僕は21歳で渡米し、大学に進学しました。そう、ボストンに。
そして地元のコンサートホールやライブハウスで当時はソロでやっていたNunoのバンドを観にいったり、帰国間際では再結成EXTREMEのライブに行き、同時にライブdvd撮影に立ち会えました!(下のリンクのライブです!)
そう、そして地元のライブハウスではNunoがその辺りで普通にライブ観ていたり、ビール飲んでいたり。
当時学生だった僕は興奮のあまり、NUNOに話かけ、自分のでもテープを渡し、写真を撮ってもらいました。
今でもその時のことは鮮明に覚えていますが、突然にもかかわらず気さくに笑顔で話してくれる彼の人柄の良さに、同性でありながら、惹かれるものを感じるくらいでした。
そしてそのデモテープに書いておいたメールに返事をくれたりと、たった一人のファンであっても大切にする姿勢にも、感動をしたことを覚えています。嬉しくて、皆に自慢しまくりました。
「アルバムの中でやっている内容は、はっきりとしたヴィジョンを持った上で、全て成るべくして成ったもの。すべきことをしてできた作品。」
「人から気に入られるかどうか、そんなことを心配しても仕方ない。自分のままえいたいだけ」
Nunoが24〜28歳くらいの間でのインタビューでの発言です。
一般的に若いと言われる年代において、すでに完成されているような、
自分自身を持った発言です。
以前のコラムでも書きましたが、こんな素晴らしいことを言っているのに、
今になって彼の言っていることが理解できたように感じます。
「ビジョンを持つ」
そう、どうなりたいか、どうなっていきたいか、見えていなければ、それにむけた動きはできないんです。
EXTREMEは先を行きすぎたサウンドでした。
1995年の「Waiting for the Punchline」では、この後シーンに台頭するグランジなどの音の原点のような楽曲をリリースし、しかし世間の準備ができていなかったこともあるのか、大きなセールスには結びつかなくバンドは一旦解散に入っていきます。
それでもNunoそして他のメンバーも自分自身を表現していくことをやめず、
自分の求める正解を進んでいっていました。
この頃になると、ボストン界隈のライブハウスや、私がインターンに言っていたレコーディングスタジオなどで知り合うなど、私も彼らのライフスタイルにも触れることができ、決して驕らず、自然たいな彼らと接することができることを、自慢に思ったりしていました。
2020年になる今でも、僕のHEROとして存在してくれるNuno Bettencourt。
常に創造し、新しいことにブレずにチャレンジし、多くのミュージシャンにも影響を与えているGuitarist。
そんなNunoに、EXTREMEに一つお願いがあります。
「もうそろそろ新しいアルバム、出してくれ!」
今日も読んでいただきありがとうございました。