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「あの夏の川のうた」から14年、再リリース
2010年、私の地元である山口県山陽小野田市厚狭地区が豪雨災害に見舞われた。多くの場所で浸水が発生し、被害は甚大だった。家々や道路、線路が壊れ、地域の人々は不安に包まれていた。そんな中、不意に一つの歌が生まれた。
その瞬間、湧き上がったのは自己嫌悪だった。音楽なんて、こんな時になんの役にも立たない。人々に必要なのは、安全な家と清潔な水、そして食料だ。小高い場所に住んでいて被害を免れた私は、一体何をしている。
それでも、この曲が生まれた以上、何か意味を持たせたいと思った。どうにかして地域に還元できないか。そう考えた私は、音楽を使った寄付活動を始めることにした。
当時、Twitterを通じて協力を募ったところ、予想以上に多くの人が手を差し伸べてくれた。ミュージシャン、技術者、広報に関わる人々など、さまざまな分野の方々が協力してくれたおかげで、ミニアルバムとシングルが完成した。それぞれ1,000円、500円という価格で販売を開始した。
正直なところ、販売が振るわなかった場合には自分で5万円程度を補填する覚悟だった。しかし、地元をはじめ全国の方々が応援してくださったおかげで、最終的に40万円(制作費実費を除く)の売り上げを達成し、その全額を市に寄付することができた。豪雨災害に対しこの金額が大きいとは思えないが、無名のミュージシャンのプロジェクトとしては想定を超える結果だった。市長に直接寄付金を手渡したとき、このプロジェクトはそれで一旦完結したと思っていた。
しかし翌年、東日本大震災が発生した。地元の災害とは比べものにならない規模の、日本中に衝撃を与える震災だった。そんな中「ネットラジオでこの曲を流しても良いか」という問い合わせが届いた。快諾すると、その番組が思いがけず反響を呼び、通販での注文が東日本から相次いだ。
「知り合いがまだ見つかっていません。この曲を聴きながら無事を祈ります」
そんなメッセージを受け取ったとき、私はただ奥歯を噛みしめるしかなかった。実は「あの夏の川のうた」は地元を思って書いたにもかかわらず、具体的な地名を一切入れていない。それは、どこに住む人にも自分のふるさとを思えるようにしたかったからだ。しかし、こんな大きな災害がこんなにすぐに起きるとは、想像もしていなかった。
その後、この曲の収益は全て東日本大震災の被災地に寄付した。
これらの出来事をきっかけに、私は地元のラジオ局のパーソナリティとして新たな道を歩むことになった。職場で出会った人と結婚し、子どもにも恵まれた。
もし、あの豪雨災害のときに何も行動していなかったら。
世の中には何の影響もなかったかもしれない。しかし、私自身の人生には大きな変化があったと言える。もしかすると、娘は生まれていなかったかもしれないのだ。
その後、私は「あの夏の川のうた」以降、一曲も曲を書くことなく、10年以上を過ごした。家庭と教室の運営に専念し、ラジオパーソナリティも引退。創作やライブ活動からも完全に退いた。
しかし、2024年、私は思いがけない形で創作活動に関わるようになり、ラジオにも復帰。久しぶりにライブも行った。そして「あの夏の川のうた」のことを覚えてくださっている人の話を聞いたとき、この曲をもう一度別の形でリリースしたいと思った。
多くの人に聴いてもらうことを目的にしているわけではない。このリリースに意味を持たせようというつもりもない。
ただ、曲が生まれた時に感じた自己嫌悪や無力感を、今振り返って思うのだ。
音楽には目の前の現実を変える直接的な力はないかもしれない。
けれど、この曲は間違いなく私の未来を変えたのだ。多分、良い方向に。
2024年11月 小夏 鮎
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