ルネサンス建築15世紀~16世紀
ルネサンス様式
15〜16世紀、大きな変革の時代に、イタリアで生まれた新たな様式。 ルネサンスはフランス語(Renaissance)で、イタリア語ではリナシメント(Rinascimento)になります。
ネサンス様式のざっくりキーワードは次の3つ。
〇古代神殿風
〇ドーム型の天井
〇基本的にシンプルなデザイン
パラッツォ・ファルネーゼ(ローマ)。端正で華麗なルネサンス様式の特徴を表している。
様式が生まれる歴史的背景-1 〜歴史のおさらい〜
ローマ帝国が東西に分裂(395年)し、西ローマ帝国が移動してきたゲルマン民族に滅ぼされる(476年)と、その後のヨーロッパは数百年にわたって芸術どころではない不安定な時期が続きます。
やがて9世紀になり、イベリア半島北部の聖地サンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼が盛んに行われるようになると、西ヨーロッパ各地からのこの地へ向かう巡礼経路上に、数多くの修道院がつくられました。それが「ロマネスク様式」でした。
さらに12世紀以降、キリスト教会の勢力のさらなる高まりとともに、各地におびただしい数の教会が建設されます。これらの教会の多くが「ゴシック様式」でした。
このように、ロマネスク様式とゴシック様式は、そのほとんどが教会建築もしくは修道院建築ためのものでした。
様式が生まれる歴史的背景-2 〜神のための建築から、民のための建築へ〜
ところが14世紀以降、世の中は大きな変化の時代を迎えます。
それは、ルターの宗教改革に代表されるキリスト教会勢力の相対的な低下でした。そしてもう1つは、大航海時代前夜、海運、交易で財を蓄えた大商人の発生です。中でもフィレンツェのメディチ家は、総合商社+大銀行のような会社であり、さらに政治まで担当することになります。
そのような世相のもと、作られる建築の主流は教会や修道院のような「神様のためのもの」から「世俗の民のためのもの」にシフトしていきました。この時代、メディチ家がパトロン(建築の注文主)となり、パラッツオと呼ばれる都市建築(オフィスや住宅)、ヴィッラと呼ばれる郊外の別荘や荘園の中心をなす邸宅が独特の展開を見せることになります。
ところが、神聖なる神のための建築と民のための建築が同じ様式ではあまりに恐れ多いですから、急きょ、ロマネスクやゴシックとはちがうスタイルが模索されることになりました。
しかしながら、短期間に全く新しい様式を発明することは困難です。一方で、ご当地イタリアには過去の傑出した古典、即ちローマ様式の遺構が豊富に残っていました。しかもそれらローマ様式は、内部に“ギリシャの遺伝子”も含んでいる。
そのような状況下で、多くの建築家たちが「この伝統を元に発展形を創造しよう」と考えたであろうことは、容易に想像がつきます。こうして、ギリシャ、ローマを下敷きにした「再生=ルネサンス」という名の創造活動が始まったのでした。
ルネサンス様式の特徴
ルネサンス様式の特徴を一言で表すと「端正でしかも華麗」。フィレンツェから始まったこの様式は、ローマやヴェニスに広がるに従って少しずつ変化していきます。
パラッツオ・メディチ・リッカルディ(フィレンツェ)
この建物は、メディチ家の発注によってつくられた初期ルネサンスの代表的な建物の一つで、ルネサンスの特徴をよく表しています。
(1) 外壁の石積みが1階が荒々しくごつごつとした石で、上の階に行くにしたがって表面が滑らかな仕上げとなること。
(2) 2階と3階の窓が、半円アーチの複合形
(3) 最上部の分厚いコーニス(軒蛇腹)
さらに、時代が下って場所はローマになると、ルネサンス建築のアレンジが広がります。
パラッツォ・ファルネーゼ(ローマ)
パラッツォ・ファルネーゼはルネサンス期のローマの代表的な建物ですが、大きな特徴として、窓回りの装飾的要素が挙げられます。テュンパノン(破風=はふ)と呼ばれ、家の形をした窓回り飾りです。三角屋根形と弓形の屋根形と平らな屋根形があります。
さらに細かい部分を見ると、中庭の柱は下からドーリア式、イオニア式、コリント式と使い分けられ、これはローマの作法です。
ホテル ヘルヴェティア & ブリストル
(フィレンツェ/イタリア)
外観は“教科書的な”フィレンツェ・ルネサンス・スタイルでまとめられています。低層階のラフな石積み、上層階が滑らかな外壁面、窓回りのテュンパノン(破風飾り)、最上階の存在感のある軒蛇腹です。
ラディソン マルティニーク オン ブロードウェイ
(ニューヨーク/アメリカ)
日本の大規模百貨店 日本橋三越本店 ( 日本橋 / 東京 )