モリーが建てた館:Wehrlegig Gamesから出版される「Molly House」に関する対談(The House That Molly Built)
長いまえがき
本記事は、ボードゲーム等のデジタル雑誌として最近刊行された「Conflicts of Interest」第1号の特集記事である「The House That Molly Built」の翻訳したものである。
本記事は、「パックス・パミール:第二版」や「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」を手がけたCole Wehrleと、Wherlegig Gamesから出版予定の「Molly House」のデザイナーであるJoseph Kellyとの対談記事である。
本文中にはタイトルであるモリーハウスや、モリーに関する説明があるので、このような対談がされた経緯について説明したいと思う。長いので、適宜飛ばしていただいても構わない。
「Conflicts of Interest」という雑誌は、San Diego Historical Games Convention(SDHist)が刊行するデジタル雑誌(e-zine)である。SDHistは、2015年にSan Diego地域でウォーゲームに関するゲームグループとして活動を開始した。規模が大きくなり、こういったデジタル雑誌の刊行、Summit Conと呼ばれるコンベンションの開催といった活動の幅を広げたようだ。歴史ゲーム界隈に多様性をもたらすこと、歴史ゲームから学ぶこと等を重要視しているようである。
本記事の中心となるゲーム「Molly House」は、Zenobia Awardの最終候補作として選出されたボードゲームである。Zenobia Awardとは、白人男性のデザイナーばかりの歴史ボードゲームにおいて、もっと多様性のあるデザイナーを輩出するために生まれたボードゲームの賞である。独自性がある点として、選考過程において、名の知られたデザイナーをメンター(指導者)として指導を受けられることができるし、受賞者には、賞金だけでなく、ゲームの出版プロセスについても案内してくれるとのことであった。
「Molly House」のデザイナーである Joseph Kellyは、Zenobia AwardにおけるメンターとしてCole Wehrleが割り当てられた。そこで、Coleは「Molly House」に惚れ込み、出版契約に至ったということである。なお、先日、「Molly House」が、Coleが主催するWehrlegig Gamesで出版されることがアナウンスされた。
本記事は対談を通して、Coleが「Molly House」に惚れ込んだ理由や、あまり詳らかにされていない「Molly House」のメカニズム等の一端が明らかにされていることから、有意義であると考えた。ところで、Wehrlegig Gamesの「パックス・パミール:第二版」はテンデイズゲームズから日本語版が出版されたものの、「John Company: Second Edition」は日本語版が出版されなかった。残念ながら、この作品についても、おそらく出版は見込まれないだろう。
BGG等の反応を見ると、あまり上品でないコメントと評価が見られる。これについて関心がある方は、自分の目で評価やフォーラムの議論を参照いただきたいと思われる。ここから、ボードゲームのテーマについて考えるところがあるように思われる。
元記事は、以下のリンク先から参照されたい。本記事中に用いられている画像は、BGGにアップロードされているもの(ゲームのプロトタイプの画像のみ)や、引用できるものに限られている。現時点のゲームの画像等については元記事を参照されたい。)ヘッダー画像は、BGGから引用した(クレジット: Joseph K)。なお、本記事の翻訳にあたり、複数の文献を読んだが、それでもなお、訳者はLGBTQ+関係の文化に深くはないことをお断りしておく。誤りや誤解があったら適宜指摘していただけると、訳者のためにもなるので遠慮なく御指摘いただけると幸いである。
進化するジャンル
自分のことを歴史ボードゲーマーと呼ぶことには、どのような意味があるのだろうか。大抵の場合、このジャンルのファンは、このジャンルに合致するボードゲームにはどのようなものがあるかについてだけでも大きく異なる意見を持っている。ただ、歴史ボードゲームのコミュニティが、その内部の定義を多く変更しており、その(変更後の)結論が注目に値するという素晴らしい証拠がある。
言い換えると、過去10年間で、私たちが"歴史ボードゲーム"という時に頭に思い浮かぶものが飛躍的に拡大している。その言葉は、もはや、主に軍事的な見方を通して歴史を眺める傾向にある"ウォーゲーム"や"紛争のシミュレーション"に限られるものではない。その代わり、今では、私たちは、ボードゲームという趣味界隈の片隅で、もっと視野の広い見方や、歴史的には取り上げられることが少なかった包括的な見方を通じて人類の歴史とその紛争に着目する、わくわくして革新的なゲームの発売を見るようになった。
こういった変化の素晴らしい例は、直近のZenobia Awardだった。伝統的には社会から無視されてきた(marginalized)グループに属する人たちによるゲームの提案を奨励し、最終的な目標として、評価の高いデザイナーからの指導を受けるとともに、ゲームの出版プロセスの案内(navigating)を手伝うことだった。Zenobia Awardの最終候補作についてはこちらで読むことができる。
「Molly House」の登場
この賞の過程の中から生まれたユニークなゲームの1つが、Joseph KellyによりデザインされたZenobia Awardの最終候補作である「Molly House」だった。「Molly House」では、プレイヤーは、18世紀初頭のロンドンにあった"モリーハウス"で密会する、ジェンダーの枠組みにとらわれないクィアとして協力していくこととなる。風紀改革協会(the Societies for the Reformation of Manners)の敵対や、密告者、逮捕されて死ぬという現実の危険に直面しながら、クィアたちは一緒に予定を立てて喜びを分かち合った。歴史的には、モリーハウスは、酒場、パブやコーヒーハウスといった出会いの場であって、クィアの男性が、ひっそりと会って社交をすることができた。"Molly"というのは、女性のような男性又はクィアな男性という意味のスラングとして広く使われていた。
Zenobia Awardの審査過程において、審査員は、"この作品は他とは非常に異なる主題であって、革新的な方向にLGBTQIAの歴史の範囲を拡張するものだ。この作品は、こういった活動や歴史にとって成功したモデルである。カードの詳細やマップにおいて上質な作業量が注ぎ込まれている。社会の主流から外れた文化(subculture)の嗜みに関することを学ぶことができる。"として取り上げていた。
「Molly House」について
「Molly House」は、2人から5人用の協力要素が入った対戦ゲームだ。このゲームでは、モリーハウスにおける祝祭を開催するためのドレス、アルコール、仮面のようなリソースを収集して、他のモリーと出会うための"クルージング"グループを訪れる必要がある。しかし、プレイヤーは、自身と他のプレイヤーに対する負担も生み出している。クルージング(性的なパートナーを探し求めてあちこちを回ること)や、ゲーム内の様々な行動を通じて近隣の人たちに怪しまれることで、プレイヤーは逮捕につながり、今度は実刑判決となり、時として死刑判決を受ける。そういった行動は、ゲームに勝つためには必要不可欠だが、祝祭に興じることによって、最終的にはモリーハウスに立ち入って、全キャラクターを逮捕してしまう内偵捜査官の目に留まってしまう。勝つためには、プレイヤーは、(集団的な喜びとして表現されるモリーハウスの欲求と、個人的な喜びとして表現される)自己の欲求のバランスをとらなければならない。
コンポーネント
ゲームボードは、どのアクションが利用可能かを示すためのアクションのマスが記載されたロンドンのマップや、モリーがどこでクルージングをしていて捜査官がどこでパトロールしているかを示すクルージングの領域としてレイアウトされている。
モリーハウスのボードは、プレイヤーがゲーム全体を通じて興ずる祝祭によって生み出される、モリーハウスにおける集団的な喜びを表す。プレイヤーの駒は、どの祝祭が常にパトロールを行なっている内偵捜査官による立入りの危険があるかを示している。コミュニティは、追加の能力とプレイヤーに集団的な喜びをもたらすとともに、刑事裁判で有利になる可能性をもたらす証人トークンも2つ与えてくれる。
プレイヤーボードには、各モリーのキャラクター、地域、関係性が記載されている。駒はアクションを実行して、モリーとクルージング活動との関係を追跡調査するために用いられる。約束は交渉の際に用いられる。ついたてによって、プレイヤーの評判(esteem)がお互いに秘匿されるようになっている。
ゲーム内のキューブは喜び(このゲームの主要な通貨である。)と評判を表す。喜びは、個人的なものか集団的なものかのどちらかになり得る。評判は、プレイヤーが交流をするモリーハウスにおいて、どの程度、それぞれのモリーが尊敬されているかを表すものだ。
カードはこのゲームの不可欠な要素であり、モリー、運命、アクションという3つの異なる基本となるカードと、賞、正会員、リソースという3種類の小さめのカードがある。
以下は、「Molly House」のデザイナーであるJoseph Kellyと、「パックス・パミール:第二版」(Wehrlegig Games, 2019年)や「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」(Leder Games, 2018年)で受賞したことのあるデザイナーであるCole Wehrleとの間の対話である。Conflicts of Interestの編集者が、文量と明確性の観点からこの会話に編集を加えている。
「Molly House」に関する対話
歴史的な起源
Cole Wehrle(以下「Cole」という。):「Molly House」のようなゲームが今まで存在しなかったのはなぜでしょうか。
Joseph Kelly(以下「Joseph」という。):Zenobia Awardの発表を見た時に、今までクィアのボードゲームを見たことがあるのだろうかということを考え始めました。そう、ほとんどなかったんです。けれど、こういった主題を真剣に取り扱ったものがなかったという事実が、クィアのボードゲームがどのようなものになるだろうかということについて考えるのを駆り立てました。それに、もし、歴史的なトピックに着目するのであれば、どのようなものが主軸となる(build it around)適切な歴史的なトピックになるのでしょうか。今、そうであるという理由はわかりませんが、Taylor Shussは「Stonewall Uprising」(Catastrophe Games, 2022年)と「The Sacred Band」(Joseph Schmidtとの共作, 発売時期未定。※これもWherlegig Gamesから出版予定)をデザインしている。
Cole:今、それが起こっているかもしれないというのには、政治的・文化的な理由があると思います。けれど、記録に残っていないという観点からの理由もあると思います。つまり、クィアの歴史は、特に20世紀以前ということになりますが、非常に断片的で、後世がその跡を辿ることが難しいのです。それに、普通の場所を探したとしても、探し方を知らない限り、クィアの歴史が見つからないことが多いです。しかし、もし、正しい方法で探し始めたら、(完全に異なる主題に関する既存の歴史の中で)こういった驚嘆すべきクィアのテキストを見ることができる。そして、そういったテキストは、みんなが生活し得る場所であったり、散歩し得るような場所であったり、気づかないうちにクィアの歴史を発見する場所であったりするので、全て心動かされるものです。
しかし、これらすべての点が、デザイナーとして扱いにくい課題となっています。つまり、もし、歴史ゲームを製作している場合において、あるテーマを詳細に調べるときは、一次資料や優れた二次資料を必要とします。よろしければ、「Molly House」に用いられている種類のテキストを発見するに当たって、あなたの研究・調査手法(research practice)について、少し話していただけませんか。
Joseph:私は歴史学者ではありませんが、最初に読み始めた文献は、「Mother Clap’s Molly House」(Rictor Norton, 1992年)でした。この文献はとても手に入りやすいのですが、問題もいくつかありました。この文献が90年代前半に書かれたというのが非常に影響しています。クィアの歴史について検討している人たちであれば、今では否定するであろう多くの事柄が載っていると思います。例えば、この本では、具体的にゲイの歴史に関するものであって、トランスの歴史に関するものではないという強い主張があります。
Joseph:Rictor Nortonの著書は、モリーが女性らしいものであったという考えも否定しています。しかし、モリーの文化の大部分には、ロングドレス(ball gowns, ※ 正装を要するパーティーなどに女性が着るドレス)で着飾り、女性らしさを追求することが含まれています。このことは、より最近の著作である「The Making of the Modern Self」(Wahrman, 2004年)で裏付けられています。研究したい人なら誰でもオンライン上で無料で利用できるアーカイブであるProceedings of the Old Baileyにおいて読みことができる一次資料といった中には、もっと重要で興味深いソースがあると思います。Old Baileyでは、どんな種類の罪が裁かれたかを検索することができます。キーワードとして"ソドミー"を用いると、刑事訴追が可能であった違反行為としてのソドミーの歴史を見ることができて、モリーハウスに関する研究の一次資料とすることができます。他の一次資料としては、その当時に書かれて、後に書籍化された大量の新聞記事がありますが、ゲームとしての「Molly House」に関連する資料が含まれていることがほとんどありませんでした。
例えば、18世紀に、Edward Wardという名のジャーナリストが書いた「Satyrical Reflections on Clubs」(1790年)は、その時代における社交クラブに関する、ある種のアンソロジーととなっている。しかし、モリーハウスに触れているのは、たったの1項目だけでした。
Cole:あなたが読んだ資料に関するいくつかの文献において触れられた1つのことは、あらゆる歴史的なテキストは、それが記載された主題に関するものであるのと同じくらい、現代に関するものであるということですね。みんな、それを避けることができず、あらゆる種類のクィアの歴史を取り扱う際に特に緊迫した領域になると思います。
具体的には、アイデンティティという主題に関してどのようにアプローチするのでしょうか? 私としては、過去を振り返って、今ある記録を現代の理解に合致させようとすることは容易いように思えます。他方、この種のカテゴリでは避けられていて、私たちのアイデンティティに対する意識(sense of identity might)が時間が経つにつれて変化していく程度を書き留める(preserve)というアプローチもありますね。
Joseph:クィアの歴史を解釈するに当たって重要なことは、当時と現在の人々のアイデンティティが、必ずしも一対一関係で対応する(map onto)わけではないということです。「Molly House」では、特に押し付けないようにすることが重要だと考えました。"ゲイ"や"トランス"といった用語や、ゲームそれ自体に内包される現代的な専門用語を用いるのは、際立って有益とは思いませんでした。18世紀初頭のジェンダー、セクシャリティ、アイデンティティの変容に対する態度には、捉え損ねかねない繊細さがあります。今日の態度とは異なる点というのは、同質的な点と同じくらい重要なことだと思います。
クィアの歴史
Cole:クィアの歴史をテーマにしたゲームとはどういうものでしょうか。この作品は、イラストだけ変えた(re-skinned)「The Princes of Florence」(※フィレンツェの匠)ではありません。この作品は、一連の優先順位や主題が異なる全く別のゲームですね。あなたにとってこのトピックを選ばざるを得なかった理由というものについて、少し話していただけますか?
Joseph:ゲームのためのクィアの設定について考えているとき、頭に思い浮かんだ多くのアイディアというのはアメリカを中心としたものでした。ストーンウォールの反乱は明確な選択肢の1つでした。というのは、それは、今日のクィアの権利に関する大きな転換点だったので、人々がクィアの歴史について考える際に思いつく事柄だからです。しかし、具体的に何を語ればいいのかに関しては見当がつきませんでした。それに、私にとって重要だったのは、英国の歴史について考えることでした。モリーハウスに関して特に興味深かったのは、何百年も前に起こった出来事という点でした。
多くの人たちが見過ごしていると考える、この魅力的な歴史の断片を認識してもらう要素があります。私の元々の意図は、1人のプレイヤーがモリーハウスのオーナーとなり、モリーのために祝祭を開いて可能な限り彼らを楽しませるという内容の2人用ゲームを作ることでした。したがって、喜びというのは、常に、デザインスペースにおける不可欠な要素でした。しかし、もう1人のプレイヤーは風紀改革協会として、モリーハウスを閉鎖させるために、捜査官を送り込み、内通者を雇い入れるのです。
しかし、Coleと最初に話した後で、考え直したことは、
- Coleの提案に基づいて
- 最初に取り掛かる際のテンプレートとしての機能を果たすかもしれないゲームを考案するべきだ
ということでした。
そして、私が拠り所にしたゲームは「インカの黄金」(Eagle-Gryphon Games, 2018年)でした。特に、プッシュ・ユア・ラックに関するアイディアが、非常にうまく合致するように思えたのです。「インカの黄金」では、プレイヤーは、お金(宝石)を得るために欲張ったことをします。しかし、モリーハウスの歴史においては、喜びを生み出すことが信じ難いほど危険な世界において、それを生み出す方法としての役割を果たすのです。当時、ソドミーという"罪"への刑罰として死刑を宣告されていたかもしれないというのに、なぜ、命を危険に晒したのでしょうか? えぇ、たった1つの理由でそうしたかもしれません。それは、喜びのない人生に喜びをもたらすために。
Cole:ここで、プレイヤーの地位(positions, 役割)の選択について話を戻しましょうか。プレイヤーの地位の選択というのは、あらゆるデザイナーが行う最も重要な意思決定の1つだと思います。重要となる理由は、ゲームが共感性を操ることが全てであって、プレイヤーが"間違っている"とか"悪"とかと考える地位に対して共感させる適切な理由があるからかもしれません。そういった地位に対して同情を寄せているときは、他の地位から同情を奪っていることとなります。
そして、それは非常に合理的な営みになり得ると思いますが、常に自分自身に問いかけなければなりません。私が語ろうとする物語はどのようなものなのでしょうか、その物語はどんな種類の禁止命令(injuction)を出すのでしょうか。私自身が手がけた作品から少し例を出して、モリーハウスと関連づけてみましょう。
「An Infamous Traffic」での教訓
Cole:私が、アヘン戦争をテーマとしたゲームである「An Infamous Traffic」(Hollandspiele, 2016年)の製作に取り掛かっていたとき、当初は、非対称のゲームを想定していたのです。3人のプレイヤーがいて、1人が英国の商人、もう1人が中国の小さな密輸会社、最後の1人が中国政府です。個人的には、この3つの主要な勢力の間の対立から、アヘン戦争がその勢力がした形で起こった理由を説明できると思ったからです。そして、私がわかったのは、このゲームをプレイすると、プレイヤーはこのゲームがどのように動いていくかを誤解し続けたということでした。さらに、結果として、プレイヤーは、このゲームから伝わる物語を誤解したんです。英国のプレイヤーは、寡黙になりすぎるか、邪悪になりすぎるかのどちらかでした。また、2種類の中国側のプレイヤーは、占領者のようにふるまい、風刺画の類の状況になりました。さて、プレイヤーには、そんな意図はなかったわけです。そして、こういったキャラクターが、必ずしも人種差別的であると責められるものではないということはわかってますが、そのプレイヤーの地位というのが糾弾されるものとなっていました。
私は、"ああ、これじゃ、全くうまくいってないな"と考えました。そこで、その代わりに、ゲームの条件を道徳的に同等な立場にプレイヤーを置くように変更しました。そうすると、このことによって、非常に扱いにくい地位の選択になりました。単純化すると、もし、私が、中国に在住する英国人をテーマとしたゲームを作るとしたら、私は、アヘン密輸一家や、これを解決しようとする中国政府の役人の問題をテーマとしたゲームを作っていないことになってしまいます。
結局のところ、私に専門性がある分野であったことから、「An Infamous Traffic」においては、他者からの視点(the vantage point)として英国人を使うこととしました。しかし、また、ボードゲームスペースにおいて非常に多くの場合、プレイヤーは、口髭を生やした上流階級に属する産業界の有力者としてプレイしていますが、自分の地位が"悪い輩"であるという経験があまりないのです。私は、作品の本質や文脈に関する誤解をひっくり返すために、そのレベルの話を用いたかったんです。それに、プレイヤーはそういった種類の地位のほうがより親しんでくれるだろうということがわかっていました。このことは、「John Company: Second Edition」(Wehrlegig Games, 2022年)で生ずる仕掛けと少し同じですね。プレイヤーは、ゲームが終了するまでの間は何をしているかに完全には気づかないまま、社会を解き明かしていきます。
そして、終わりには、幕を下ろすことになる手品のようなものに少し似ていて、あなたが作り出したこの混沌とした状態をご覧なさい、プレイヤーはその混沌の中に卓を落とし込ませることができるのです。
私は、「Molly House」が2人用ゲームとしてうまく機能するという点に全面的に賛成しますが、あなたが調整したことで私がいたく気に入ったところは、最も語られることがなかった物語に着目したという点です。そして、それを昇華させてプレイヤーに理解させる方法を見出しました。もし、私たちがデザイナーとしてプレイヤーの共感性を利用している(spend, ※消費している)とすれば、物語の中の最も重要な部分を強調する形で利用しなければなりません。結局のところ、プレイヤーが権力を実行する者(enforcers)の役割をプレイする多くのゲームがあります。警察組織は、歴史上の異なる時点においても同じように見えてしまいます。しかし、そういった人たちが権力を行使していた人たちに着目すると、その特定の時代に関する多くのことが判明するのです。そういうことで、私は、あなたのプレイヤーの地位の選択が興味深いと思います。個人的には、他のあらゆることが二の次の問題なのです。
"喜び"というコンセプト
Cole:あなたのデザインでは、主たる勝利の測定基準(metrics)として"喜び"を選択しています。そして、これはゲームですので、その選択によって、非常に現実的な用語としての"喜び"を数値化することを迫られました。そして、この言葉は、軽率に用いる気楽な会話で使う(loosey-goosey)単語ではありません。喜びを評価して、プレイヤーに喜びがどのように生活に入り込む(又は立ち去っていく)かを理解する方法を提供するために、実際に努力を要しましたね。
このことは、モリーが自分のしたことの危険を引き受ける理由を説明する端緒になることから、強力な枠組みだと思います。あなたが構築したものの中で素晴らしい部分であるといえます。
私たちは、18世紀に関することを話しているのではありません。私たちは、18世紀初頭のことを話しているのです。そして、私たちは、クィアの歴史について話しているのではありません。私たちは、18世紀のことが好きな人たちであってさえも、おそらくあまり多くの時間をかけて考えたことがない時代の片隅に潜む都会のクィアの歴史を話しているのです。デザイナーとして、あなたが即座にそれを実現してプレイヤーをその世界に引き込ませようとするために、どのようなことをしましたか。
Joseph:この設定においては、プレイヤーは、あらゆる種類の"クルージング"の場が設けられていて、当時のロンドンが発展している大都市であることを表現しています。こういった同じ場がクィアの人気の場所(hotspots)として知られているという事実は、非常に興味深いことですね。祝祭は、この時代にかなり特有のものでした。例えば、仮面舞踏会というのは、歴史上、この時代における象徴的な特徴の1つです。洗礼式は、ジンで捧げられました。これは、その歴史の中で非常に特有のものであったように思います。別の興味深い人物として、1720年台のロンドンに住んでいた黒人であって、モリーハウスの経営者であったJulius Cesar Taylorがいました。ほとんどの人は、クィアの黒人が、モリーハウスとして用いる財産を所有していたなんて思いもよらないでしょう。
Cole:このゲームは、動詞の使い方やこのゲームが強調する事柄だけでなく、プレイヤーに提示される様々な課題が非常に慎重でよく考えられています。プレイヤーは、すぐに馴染む(grounded)ために背景について多くを知る必要がありません。
Zenobia賞の選考過程で、あなたのメンター(mentor, ※指導者)になれて幸運でした。その過程は素晴らしいものでした。私は、生計を立てるためにゲームデザインをしているとみんなには言いますが、それはつまり、生き方としてはうまく機能しないゲームをプレイしていることになります。一旦、ゲームがうまく作動してしまうと、私はプレイするのをやめないといけません。
注目すべきことの1つには、デザインの初期バージョンは常に失敗するということです。しかし、「Molly House」が失敗したとしても、それでもまだ機能しているんです。実際の車輪が荷馬車から抜け落ちてバランスを失った時でさえも、このゲームはメカニズム的に荷物を運ぶことできていたのです。そして、こういったことは、デザインにおいては稀なことです。大抵の場合、それが意味することは、伝えようとする根本的な物語が強力、つまり、人の心をしっかりとつかむものであることです。
Joseph:このゲームの初期バージョンには、プレイヤーが、非常に早くモリーを使い切ってしまいました。メカニズム的には、アクションが危険すぎてモリーが死んでしまい、プレイヤーが別のモリーを選ばなければなりませんでした。そういった早い展開では、プレイヤーは、自分たちが宿っているモリーとの関係性をほとんど築くことができませんでした。そこで、私は、重要な関係とリスクを引き受けることとのバランスを取る必要がありました。
このゲームにおける重要な要素は、目の前にあるこのカードを手に取り、カードに描かれたキャラクターがゲームの中の自分自身であるということであると考えました。リスクと関係性のバランスがある程度取れて、プレイヤーがキャラクターに愛着を持ち始めてしまえば、モリーが死んだり、逮捕されたり、本当に素晴らしい祝祭に立ち会えたことで大喜びしたりすると、気分が大きく動く(upset)ことになります。そして、その時から、このゲームが本当にうまく機能し始めたと思います。
非常に悲劇的な歴史ですが、喜びも満ち渡っています。したがって、こういった2つの相反する事柄である悲劇と歓喜との間のバランスを達成して、プレイヤーがプレイしている間にこの2つの感情をもたらすことが本当に重要です。
Cole:そうすると、歴史ゲームをデザインしているだけでなく、信じ難いほど悲しいトピックに関するゲームもデザインしているということですね。あなたは、物語のどの部分を(※ゲーム的に)修正したのでしょうか。あるゆる歴史ゲームは、現実のものをゲームに落とし込む作業を要します(adaptations)ので、常に、強調したい部分と前面に出さない部分に関して選択しなければなりません。モリーハウスの歴史を修正するかもしれない部分と、修正なんてできないと考えている部分について伝えられることを少し話していただけませんか。
Joseph:モリーハウスの歴史について考えると、18世紀の社会ではほとんどの人たちが犯罪であるとみなしていたために、裁判にかけられて処罰された人たちの記録が非常に限定されていることから、難しい話です。こういった人たちは、単に、親密な関係性や愛情があったというだけで、刑罰として、さらし台にかけられ、収監され、死刑を宣告された人たちでした。イングランドでクィアでいることが例外的に危険な時代だったのです。
しかし、そういった事態は逮捕された人たちにとってのものです。おそらく、風紀改革協会により嫌がらせをされたモリーハウスよりも、嫌がらせをされなかったモリーハウスのほうが多くあったように思われます。法の執行を行う(enforcement)リソースが、全てのモリーハウスを訪れて捜査するほど、十分に組織化されていたなかったと思います。
そういうことで、世の中には、可能性として素晴らしい暮らしをして全く嫌がらせを受けなかったというモリーの物語が様々な種類であるのです。「Molly House」には、多様で広い物語を受け入れる余地があると考えています。それらの物語全てが、当時の人々に起こった結果となる可能性があるのです。
最近のインタビューでは、私が単純に「Molly House」を喜びの祝祭にしなかったこと(※負の側面を出したこと)を質問されました。なぜ、ゲーム内に危険というものがなくてはならなかったのでしょうか? なぜ、ゲーム内に警官がいなければならなかったのでしょうか?
しかし、私は、そういった危険を含めないと、不誠実になると感じました。その危険というのは、物語にとって非常に重要だと感じられました。
本質的に、「Molly House」は、クィアであることを称賛する(celebrates, ※祝福する)ゲームですが、同時に、今日でも世界中の多くの場所で存在する抑圧(oppression)をテーマとするゲームでもあります。抑圧や不当さの感覚がゲーム内にあるということが重要だと思います。プレイヤーには、そういったことをよく考えてもらって、今日の自分たちの世界において、いまでもあるかもしれない類似点を引き出して欲しかったのです。
以上
※ボードゲームのテーマに関する記事としては、ほかに以下のものがある。