【掌編小説】コンビニの夜#春のゆびまつり2023
※自然災害がモチーフとなっております。苦手な人はご注意ください。
(読了目安4分/約3,100字+α)
どうしてこんなことになったのだろう。私が何をしたの。
唯一動かせる左腕で、泥まみれの髪の毛を顔から剥がした。口元に空間を確保したため、首をねじれば何とか呼吸ができる。だが、右腕はおろか体も両足も完全に土砂に埋もれている。ケガをしているかどうかはもう分からない、冷たすぎて右腕以外の感覚が無い。
この街へ転勤になり、今のアパートに決めた理由は、このコンビニが決め手だった。アパートから徒歩三分、帰り道でもあるため非常に便利なのだ。
もう三日目の長雨で、スーパーまで買い物に行く気を削がれていた私は、三日連続のコンビ二弁当を買いにこのコンビニに入った。昨日と同じラインナップの弁当にしばらく悩み、やっぱりカップラーメンにしようと移動した。
その途端、地震のような揺れと、轟音、背中から突き飛ばされるような衝撃が走る。
次に目を開けたときには、真っ暗だった。何度もまばたきをしていたら暗闇に目が慣れてきて、少しずつ様子が見えてくる。コンビニだ。大量の泥や枝があるが、ところどころ飴のパッケージが埋もれているのが分かる。
口に入った泥を吐き出そうとして、思わずむせた。思い切り泥の臭いを嗅いでしまう。
「誰か、いるんですか?」
すぐ頭上から声がした。男性の声だ。
「え? 誰かいるの? 助けて! 動けないの!」
私は声のした方へ、思い切り顔を向ける。声の主は分からないが、視界の隅に、コンビニのストライプ模様の制服が映る。あの、いつもの店員だ。
「そうですか。すみません。僕も動けないんです」
「そう、ですか」
暗闇の中、雨音だけが響く気まずい沈黙。それを破ったのは彼の方だった。
「僕はうつ伏せの状態で、右手だけ土砂の外に出ている状態です。何とか起き上がろうとしてみてるんですが、多分体の上に棚が被さっているみたいで、上手く抜け出せません。そちらはどうですか?」
「私も同じ感じです。どちらかというと左向きに倒れていて、左腕は何とか動かせます。でも体は全然動かせません」
「そうですか」
「私たち、どうなるんでしょうか」
「大丈夫ですよ、救助されます」
彼は即答した。その迷いのない返事に少しだけ不安が和らぐ。
「見つけてもらえるでしょうか」
「見つけてもらえますよ。必ず。意識さえきちんと保っていれば、絶対に救助は来ます」
「そう、ですね」
力なく、相槌を打つ。
また、沈黙。暗闇の中、冷たい土砂に埋もれ、体が小刻みに震える。春とはいえ、雨の夜の土砂の中だ。寒い。
「あの」
また沈黙を破ったのは彼だった。
「もしかして、いつもリンゴヨーグルトを買って行かれる方でしょうか」
「え?」
「あ、違ったらすみません」
私は再度思い切り上を向いた。今度はストライプの制服と、彼の頭頂部が見えた。30代後半か40代前半くらいだが、まだ白髪も無くふさふさのため、遠くから見ると大学生アルバイトかと思うような風貌だったと思う。彼はこちらを見てはいない。
「いえ、多分私です」
「そうですか。土砂の前、お姿を拝見したような気がしてました」
ほっとしたような声で彼は答えた。
「やっぱり、お客さんの顔って覚えられるものなんですね」
「ええまあ、そうですね。昼間の忙しい時間帯は難しいですけど、夜遅くなると利用者も少なくなりますから」
「なんだか恥ずかしいですね。普段食べている物が知られているのって」
「あ、いえ。そんな全部が全部覚えているわけではないですよ。普段あんまり売れない商品なのに最近やけに売れるようになったから、つい買って行かれるお客様を覚えてしまって」
「ああ、なるほど」
それはそうかもしれない、と思う。在庫管理をしていれば売れないものは他の商品と交換していくはずだ。交換対象になりそうな商品が売れだしたら、気になるのかもしれない。
「あの」
今度は私が声をかける。
「はい」
「あのヨーグルト、低脂肪タイプのものがあるはずなんです。できれば、低脂肪の方がいいんですけど」
「かしこまりました。入荷しておきます」
彼は笑い、約束する。
不思議な気分だった。暗闇で土砂に埋もれ、本当に救助が来るのか、また土砂が来るのではないかと不安なはずなのに、店員の顔を思い浮かべ話していると心が落ち着いた。
「でも、この土砂、どこから流れてきたんでしょう」
「たしか、向かいを流れる川の上流の方に、山肌が見えているところがあった気がします」
「え、ありましたっけ?」
「結構先ですよ。二百メートルくらい」
「そんなに先……。じゃあ二百メートルくらいは土砂の被害があるということですか」
「僕も見たわけではないので、もしかしたら、ですが」
「じゃあ、私の家もきっと」
「お近くですか?」
「はい、歩いて三分くらいのところです」
「ご家族は一緒にお住まいですか?」
「いえ、私は一人なので」
「そうですか。でも、お家の中は大変なことになっているかもしれませんね」
私は家の中に土砂が入っている光景を想像した。家電という家電がすべてダメになるだろう。この引っ越しで新調したベッドとソファはクリーニングできるのだろうか。
柔らかいソファを、温かいベッドを思い浮かべる。家に帰って思い切り体をうずめたい。目を閉じて、想像する。意識が深く底へ落ちていく。
「変なことを言うようですが、ご自宅でなくて良かったかもしれません」
「……え?」
沈んでいく意識が、彼の声で引き戻される。
「もしもご自宅で被害に遭われたらお一人ではこうしてお話することもできませんでしたから」
「……そうですね」
私は手放しそうになる意識を辛うじてつなぎとめ、相槌を打つ。
「……大丈夫ですか?」
不安げな彼の声が遠くから聞こえるようだ。
「大丈夫です。ちょっと眠くなってしまって」
「ダメですよ。寝ないでください。救助はすぐに来ます。それまでは意識を保ちましょう。体が動かせる範囲で大きく動いてみてください。手、こっちに伸ばせますか?」
もう一度大きく上を見ると、彼がこちらへ顔を向けているのがわかった。普段は笑顔で対応してくれる彼が、険しい顔でこちらを見あげている。私と目が合うと、彼は右腕を私の方へ伸ばした。
私は左腕を頭上へ伸ばす。だが、彼までは届かない。
「あと、ちょっと……」
息を止め、思い切りまっすぐに伸ばすと、空を切る私の中指に柔らかいものに触れた。彼の指先だ。中指のほんの先。
もう一度深呼吸をして、思い切り伸ばすと今度はしっかりと届いた。
彼の中指と私の中指がつながる。彼の指先を伝って私の体へ温かい血が流れこんでくるようだった。燃えるように熱い。生命の熱だ。その熱は、私の全身に駆け巡る。頭と左腕しか感覚が無かった私に五体の感覚が戻る。土砂に埋もれてはいるが確かに有る。確かに生きている。
ふと雨音の中に別の音が混ざっていることに気づく。人の声だ。私たちは目を合わせると、大声で叫んだ。やがて複数の足音が近づき、懐中電灯がサーチライトのように私たちを照らす。
救助に来てくれた方は、怪我はないか、動けるか、と問いかけながら体を引っ張り出す。ストレッチャーに乗せられ毛布を掛けられたところで、私は意識を手放した。
次に意識を取り戻したときには天井を見つめていた。病院だった。かなり混乱しているらしく、忙しそうに人が行き来している。私の回りには、点滴を下げた人たちが簡易ベッドが所狭しと並べられ、片寄せられていた。目を覚ましているのは私だけかもしれない。
ふと左側を見ると、コンビニのあの店員が目を閉じて横になっていた。顔や髪にまだ泥が付いているからだろうか。どこか顔色も青白く見える。
私は彼へと左手を伸ばす。彼から受け取った生命の熱を返さなければ、と思う。毛布の下の彼の冷たい右手へと、私は静かに指を伸ばした。
ピリカ様の春ピリカグランプリ2023に関連して、5月は「ゆび」をテーマにしたお話を書き続けております。「#春のゆびまつり2023」と題して、ゆるゆると「指」の掌編をアップしておりますが、なかなか辛いです。自分の首を絞めながら日々を過ごしております。