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【本の紹介】二週目が面白いミステリー『殺戮にいたる病』

 毎回記事のタイトルは本のタイトルにすることにしているのだが、今回は変えてしまった。本書の感想はこの言葉に尽きるからだ。
「二週目が面白いミステリー」
 この十二文字以外に言うことは最早無いのだが、今更の著者・本書の紹介をしておこう。


 

 著者は我孫子武丸。言わずと知れたミステリー作家だ。ウィキペディア情報によればもう還暦になるらしい。

 私が我孫子武丸を知ったのは、テレビゲーム『かまいたちの夜』である。当時はわりとサウンドノベルゲームが流行っていたように思う。というか、私の家では流行っていた。技術が必要なアクション・RPGに比べて、誰でも出来てみんなで楽しめるからだ。

 サウンドノベルゲームというのは、本を臨場感たっぷりに楽しめるテレビゲームといったところだろうか。ゲームブックのように、時々選択肢が現れ、どれを選ぶかでストーリーが変化していく。画面いっぱいに文字が表示され、背景はイメージ画像とシルエット。BGMと効果音が場面に合わせて流れる。

 『かまいたちの夜』は、スキーをしに来た主人公とガールフレンドが止まるペンションが舞台。天候が荒れ、外部との連絡が取れなくなった建物の中で殺人が起こるというクローズド・サークルだ。一人、また一人と殺されていき疑心暗鬼となっていく。その中で主人公に感情移入をしながら必死で犯人を推理する。間に合わなければ殺されてしまうのだ。全員を集めて謎解きを披露する場面で犯人を言い当てる時、今まで三、四の選択肢から選んでいたのに、その時だけ文字入力に切り替わったのは衝撃的だった。軽い気持ちで犯人当てに進んだ我々をあざ笑う演出である。そして仮に当たっていたとしても、続く選択肢を間違えれば捕らえることができない。本格的なミステリーで、犯人が分かった後も、バラエティ豊かな多くのエンディングが用意されており、繰り返し何度も楽しめるゲームだった。

 このゲームのこともあり、家族内で我孫子武丸が認知されるや、彼の本である『8の殺人』『0の殺人』『メビウスの殺人』また、人形シリーズが家の本棚に並んだ。
 そう、並んでいただけで実は私は読んでいない。その頃は中学生か高校生で、ひたすらライトノベルを読んでいた時期だ。私とほぼ同年代の乙一が当時十五歳にして作家デビューしたことを知り、ただただうらやましく思っていた時代。私だっていつかは、と思っていたが、歳を取ってみると、当時の乙一と私の書くものは月とスッポンだ。まあ、そんなことは良い。

 その本棚に『殺戮にいたる病』があったのは覚えている。ただ、家族に勧められたのは人形シリーズだった。それもそのはず、当時読んでいたらトラウマになりそうな話である。

 アマゾンの紹介文を抜き出しておこう。

永遠の愛をつかみたいと男は願った―。東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねるサイコ・キラーが出現した。犯人の名前は、蒲生稔! くり返される凌辱の果ての惨殺。冒頭から身も凍るラストシーンまで恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、とらえようのない時代の悪夢と闇を鮮烈無比に抉る衝撃のホラー。

Amazonのサイトより

 

 紹介文の通り、すでに犯人は分かっている。蒲生稔だ。

 本書は3人の視点で語られる。犯人である蒲生「稔」、息子が犯人ではないかと疑う蒲生「雅子」、親しかった女性を稔に殺された元刑事「樋口」武雄。

 いわゆる犯人がすでに分かっている倒叙ミステリーだ。だが犯人が次第に追いつめられる様を眺めるものではない。犯人はサイコ・キラーである。自分の行いが悪いことだとは一切思っていない。あまり追いつめられて困る様子はない。

 なお性倒錯者のため、とにかく内容がエログロい。稔視点で犯罪者本人の心理描写が克明に描かれるが、読み手によっては吐き気をもよおす内容だ。

 ここまで紹介しておいて恐縮だが、万人にオススメできる話ではない。本書は、台湾、中国、韓国でも出版されているらしいが、韓国では19禁となっているらしい。正しい判断だと思う。それくらい気持ち悪い描写が上手い。

 それでもなお紹介するのは、叙述トリックが素晴らしいからだ。 

 本書の書き出しはエピローグである。犯人蒲生稔が、駆け付けた警察官に捕まるシーン。傍らには最後の被害者の死体があり、樋口と雅子の目の前で犯人は連れられて行く。静かにほほ笑んでいる稔の姿は、これまで考えられてきた殺人鬼像と結び付けがたい。

「……本当に、お前が殺したのか?」と連行する警官が思わず問いかける。

稔は少しびっくりしたように質問者を見つめ、すぐに頷いた。
「え? ……ああ。そう、そうです」
後悔している様子もなく、かといって自慢げでもなく、稔はごく自然に答えた。

我孫子武丸『新装版 殺戮にいたる病』(2017年、講談社)8頁

 

 こんな精神性の犯人が「真実の愛」に目覚め、次々と女性を凌辱し殺害していく。そして、その犯人と同じ家に住む雅子の心境。

 文体は読みやすく、時々描写のリアリティに気持ち悪くもなりながらもシンプルな構成のためグイグイ読める。しかし、終盤に差し掛かった時点で三者の視点に奇妙なズレが生まれ、本書最後の雅子の台詞により、疑うことなく読んできた内容が大きく覆される。

 後から思えば少し引っ掛かる部分はあったものの、全く気がつかなかった私は、読み終わった直後に二週目に入った。

 本書は犯人が逮捕されるシーンの後、本編が始まり犯人の最後の殺人のシーンまでが描かれている。本書の最終頁の次の場面は本書の書き出しだ。そしてそのまま最初から読み進め、ミスリーディングへいざなわれた部分をかみしめる。二週目こそが謎解きなのだ。

 この話は最初からネタバレをしてしまうと面白さが半減してしまうので、核になる部分には触れるつもりは無いが、私が二週目にチェックした部分を列挙しておこう。一度読んだけどどういう話だったっけ? という人にはもしかしたら伝わるかもしれない。

夫とは夜の営みも長らくなく、義父が死んでからは別々の部屋で寝起きし、ほとんど別居状態と言ってもよかった。

同 43頁

初めて女を殺した翌日、稔は大学を休んだ。居間で寝転がってテレビのリモコンを持ち、昨夜の殺人のニュースが始まるのをいまかいまかと待ち構えているところへ、どこかへ出かけたものとばかり思っていた母がのっそりと入ってきた。
「稔さん、大学はどうしたの?」彼女は不服そうに言った。
「……ちょっと熱っぽいから。「どうせ授業は一つしかなかったし、前期は皆勤した講義だしね、一回くらい休講してもかまわないさ」

同 59-60頁

「ぼくは蒲生。蒲生稔と言います。こう見えても大学院で哲学をやってるんです」
佐智子の時についた嘘を、ここでも繰り返した。彼女の年齢に近づける意味合いもあった。

同 138頁

最初の事件が起きたホテルに、少女と入るところを見られている三十前後の中肉中背の男性。第三の被害者が新宿で、タクシー乗り場の列を離れて乗り込んだのは、白のセダン。
違う。そりゃ確かにあの子は少しだけ大人びているかもしれないが、いくらなんでも三十には見えないだろうし、うちの車は白だが、セダンなんていう名前ではない。確かカローラといったはずだ。

同 180頁

庭から消えていた二つのビニール袋。テープを入れっぱなしにしていたビデオカメラが、憶えもないのにテレビ台の中にしまってあったこと。いつも、そして今日もずっと誰かに見張られているような気がしていたこと。
気づかれていたのだ。俺のしていたことをすべて。何もかも。

同 268頁


 ちなみに、本書は1992年に発表された。その新装版が2017年に発刊されている。

 何故、今この本? と思う方もいらっしゃるかもしれない。何故ならkindle unlimitedに入っていたからだ。0円で読めるなら、と思い気軽にダウンロードをして度肝を抜かれたからである。

 エログロ耐性があり、かつ未読の方は是非。


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