音に救われた私の感情
『走れメロス』という吹奏楽の曲がある。
福島弘和さんが作曲したもので、私はこの曲に救われたことがある。
救われたときのあの心地よさを思い出したくなって、曲を爆音で聴きながら勢いで打ち込んでみる。
深夜だし、きっとまともな文章にならないけど、ペンを握るとすぐに腕が疲れて集中が途切れてしまう。せっかくなのでここに書かせてほしい。
この曲に出会ったのは高校1年の秋。年度末の定期演奏会で演奏する曲だった。
この曲の幕開けは怒り。
ホルンとアルトテナーの突き刺すような旋律で始まる。
私の担当はホルンの1st。誰よりも激しい感情に満ちた雄々しい音色を求められるパートだった。
その曲の指揮者は中学の頃から私を知る外部講師。
私の演奏技術もこころの成長も、ある程度の距離から見守り続けている人。
その先生が定期演奏会にこの曲を選び、指揮台の上から私をまっすぐ見つめた。
初めての合奏、はじまりの第一音。
「叫べ」
そう命じられているように感じた。
演奏を止めては「ホルン足りない」「もっと怒れ」「お前の怒りはそんなものか」「すべてぶつけろ」「死ぬ気で音を割れ」「汚くていい」「汚ければ汚いほど美しい」ホルン奏者に先生は言葉を投げつけ私たちを煽った。
隣の先輩やその隣の同級生から苛立ちが滲んでいく。
重なっていた三音は一度離れ、指揮者という同じ相手への苛立ちから再びまとまり最高速度で殴った。
先生は満足しなかった。私にだけは満足しなかった。
「他二人はいい。お前はもっとやれるだろう、お前の怒りはそんなもんじゃないはずだ、殻を破れ、自由になれ。」
その時の私は、どうしても怒りを感じられなかった。
中学3年の秋。
私は部活の昼休みに倒れた。
突如鉛のように重くなった体は立っていられず倒れると、自分の意思ではピクリとも動かせなくなった。
顧問と外部講師、二人の先生によって別室へ運ばれた。
顧問は親に迎えに来させなくてはと自宅に連絡しに職員室へ。外部講師の先生と二人きりになった私は、動かない体をソファに投げだし呆然としたままぼろぼろと涙を落としていた。
壊れていた。こころが限界だった。
部活を引退することが恐ろしくて、受験の先には初めて見つけた居場所もなくなる未来が待ち受けていることが受け止められなくて。
「私を出せる場所はもうなくなるんですね。」
自身を馬鹿にするように吐き捨てた私に、先生は問いかけて対話をしてくれた。
「○○(本名:以下”姫伊”)は部活で自分を出せてんの?」
「多分。でも、100人の前で100通りの自分がいて、その100人の組み合わせ次第で何万通りまた違う私がいて…本当の自分がわからないです。どこに居ても疲れる。」
「へえ、そう」
中学生らしい悩みなのだろうと信じて、あえて正直に打ち明けた。
家にいる時間がじっとしていられないほど苦しいこと。
部活の時間だって自分は相手にとって都合のいい性格になっていること。
それでも音楽を心の底から愛していること。
ただ唯一、演奏している時間だけは、
音楽に乗せたい感情を音に込めて放つ瞬間だけは、今を幸せだと思えること。
だからこそ引退が恐ろしく、卒業が受け入れられないこと。
「本当の自分って、どうすれば見つけられるんでしょうね」
そう締めくくると、先生はすこしの間黙って私の目を見つめた。
「姫伊」
「はい…?」
「その中に姫伊の嫌いな姫伊はいる?」
「います」
うんざりするほどたくさん。というかほぼ全員大嫌いだった。全員に心の中で何度も攻撃した。消えてしまえ、お前なんて私には要らないと。
本当の自分でいたいのに。一瞬で仮面をかぶって、誰とも距離を取って、関係性を切り取って。勝手に一人で疲れて。そんな自分が弱くて馬鹿げていて、とても嫌っていた。
先生は口の端を釣り上げながら言った。
「でも全部が本当の姫伊だよ。大変だね。」
「最悪ですねそれ」
吐き気がするほど気分の悪い言葉だった。
ははっひどい顔、と先生は笑った。
「姫伊が好きになれる自分を探して、それだけ守れば。」
楽観的な提案だけど、簡単なことではなさそうだった。
好きになれる自分がいたらどれだけ生きやすいか。
「好きな自分…見つけるの時間かかるやつですね」
遠くを見つめながらため息をつくと、がんばーと先生は適当に返した。
私との対話に飽きたのだろう。自分の軸をしっかり持った、悪く言えば自分勝手な人だから。
不快感どころかその自由な振る舞いにほんのりと羨ましさを感じた。
同時に自分には難しい生き方だと感じ、なんとなく先生の言葉を突っつきたくなった。
好きな自分だけを守る。
「…それでいいんですか。」
「いいんじゃない?今は。」
先生は適当に、でも少し言葉に体重をかけて私に投げた。
そっか、いいんだ?
気付けばわたしは笑っていた。大声で笑っていた。泣きじゃくっていた。大号泣しながら大爆笑していた。やっぱり私は壊れていた。
中学を去って居場所を失っても、この先生に見守っていてほしい。
この先生の居る場所で音楽を愛し続けていれば。
そうしたらきっと、私は。
その出来事をきっかけに外部講師が指導している高校へ入学した。
高1の夏、先輩たちのスタイルに合わせて練習をした。
部の方向性がどうであろうと、合奏に自分の席があれば私の大切な時間は守ることができたから。本気で音楽ができないのは寂しかったけれど、居場所が守れるならそれでいいと自分に言い聞かせた。
ぬるく、楽しく、いい思い出に。それが先輩たちのスタイル。けれど掲げる目標は金賞。
無理だろうな。
無理でも別にいいんだろう。金賞を目指している体であればいいんだろうな。
そう思っていたのに、本番の後先輩たちは泣いた。
金賞が取りたかった、去年の悔しさを晴らしたかったと。
「ふざけんな!全力で音楽と向き合わなかったくせに!」
私は叫んでしまった。
楽しんでいい評価を得たい。そんな身勝手な感情を正当化する甘えきった姿が許せなくて、私は上級生に目標と行動の矛盾を乱暴に突き付けてしまった。
その場には同級生も上級生も、高校の顧問も外部講師もいた。
誰も本気でなかったわけではない。努力の方向が違った。先輩たちは1年前に人間関係で苦しんだ。だから平和に練習をすることにばかり目が行ってしまった。
そんなことを今更言って泣くくらいなら、もっと考えや感情を共有すれば理解し合えたかもしれないのに。お互いの感情を支え合いながら全力を出せたかもしれないのに。
勝手に悔いて勝手に泣く先輩が妬ましかった。
泣けるほど音楽に対して本気になれなかった。
本気になって空気を壊してしまったら居場所がなくなると思っていたのに。
不完全燃焼の鬱憤がはじけた私は叫んでしまった。
ああ孤立する、と体を震わせながらも、もう止まれなかった。
最終的には「姫伊ちゃんは間違っていない、言ってくれてありがとう」とどの立場の部員にも大人にも言われたが、伝え方はもっと配慮できたはずで。
部長が部活を辞めようとしたり、同じ楽器の先輩の声が出なくなり部活に来なくなったり、担当パートの割り振りに関して無知な第三者の先輩に誤解したまま詰められ勝手に返り討ちにあって泣かれたり。
私が叫び散らかした日を境に、先輩たちがひどく不安定になってしまった。
気持ちを音に乗せるほど誰かを苦しめてしまう気がした。自分の感情すべてを隅に追いやって、私はただ音と向き合うようになった。
正確な音程、バランスのとれた音量、誰も傷つけないほんのりとした無難な表現。
それでも私は音楽を続けたかった。
吹部の中の私は、孤立ではなく、誰からも表面的には恨まれない肯定された悪者になってしまった。
姫伊ちゃんは正しいと言いながらそれぞれ苦しむ先輩たち。
高校生の口から本当の正解なんて出るはずもないのに、私は過剰に正当化された。
正論の象徴になってしまった私が同じ部屋にいるだけで、先輩たちはむやみに刺激をうけ追い詰められた。
私が籍を置きつづけていたら、吹部は爆発してしまうのではないか。
大切な居場所だったものを壊したくなかった。
部活をやめるべきなのは私だと思った。
けれどさすがは思春期、悩んでいるうちにそれぞれの時は流れた。
生徒の半数がマフラーを使いはじめる頃には部長も先輩たちも立て直し、各々のタイミングで私を呼び出し、わざわざ改めて感謝と謝罪を伝えにきた。
先輩たち1人1人を責めたわけではない。感謝されるべき存在でも、謝罪されるべき相手でもなかった。それらを受け取る資格は私にない。
そもそも、部の存続のために言うべきだと思って謝罪しているだけなのではないか。正しさを身に纏って心機一転、再出発したいだけ。
本心なんてどうせわからない。
私は誰の言葉も素直に受け取れなくなっていた。
形としてはそれらの言葉を受け取る自分が気持ち悪くて、その不快感が他人に向けてなのか自分に向けてなのかわからなくなる。
感情が「気持ち悪い」という感覚に覆われて何もわからなくなっていった。
言うだけ言ってすっきりした顔で練習に戻る先輩たちの後ろ姿を見送ると、きっと吹部は前を向いて進めるんだと安心する。けれど同時に私は息苦しくなっていく。
自分の言動に対する罰だと思った。逃げられない、忘れてはいけない傷なんだろうと思いながら、私は『走れメロス』の楽譜を受け取った。
そんな私に外部講師の先生は言う。
「お前の怒りはそんなもんじゃないはずだ、殻を破れ、自由になれ。」
怒り?誰に向けての怒り?
部員のみんなが正解っぽいものに従うために私へけじめをつけに来て、正しいと思える姿で音楽に向き合おうとしているのに。
私が誰へ怒りを抱けるというのか。無差別に先輩たちを苦しめた自分が自由になんて。
夏の一件があった影響で、メロスへの向き合い方はその年一番の熱量だった。だからこそ、私は誰の邪魔もしたくなかった。曲の表現と自分の感情をはっきりと線引きして吹くことしかできなかった。
でも、この曲を練習しているうちに私は変わっていく。
曲が私の中にゆっくりと浸み込んでいく感覚があった。
憤怒、慈愛、葛藤、焦燥。
自分の感情を音に乗せることができない私から、曲が感情を掘り起こし奪っていくような。
感情の方が勝手に持ち去られるので、私はなんとかしてその一音一音をコントロールした。感情を自由に引きずり出す音楽と、感情を否定し押し込める私との戦いだった。
心地よさと苦しさがせめぎ合う。それでも吹くことが辞められず最終的に私は音楽に屈した。奪われる激情に私の想いを乗せた。
誰に対して抱いているのかわからないままの怒りも、いつの間にか肺のそこに溜まった冷たい憎しみも、押し付けられた価値観によって受け取って貰えない謝罪への焦りや罪悪感も、部員の熱量に流されることしか出来ない苛立ちも。
全部先生に投げつけた。
正論らしいなにかに縛られ続ける私が、どうして他者に正しいと言われ苦しめてしまうの?
突き付けられた正しさの痛みは知っている。
正しさを見つけてしまった瞬間その先の行動を選ぶことが出来なくなる不自由さを知っている。
悩むことさえできずただ示された方向に進むしかない不安を知っている。
自他の思考と行動すべてに腹が立った。
コントロールしている自分さえも腹立たしい。
冒頭の激怒で外部講師から指摘を受けることはなくなった。
特別なにかを言われた訳ではないけれど、最初の一音の前に先生は必ず私を見る。
絶対に手放すな、と、言われている気がした。
怒りで始まるメロスには、妹の結婚式のシーンがある。
甘く優しく、それでいて切なさを帯びたメロディー。
ある日の合奏。そのメロディーがまた唐突に私の中に侵入してきた。
私の叫びに誰よりも傷ついた部長のソロだった。
淡い萌黄色の音色が光のベールのように揺蕩う、そんな光景が胸のあたりに流れ込んでくる。
祝福に満ちた空間の中にある、兄メロスの寂しさと後悔。
もう二度と会えないであろう愛しい存在の、その幸せそうな表情を守るのは自分ではない。
身勝手に死を選んだ男の、誰にも告げなかった身勝手で一方通行の悲しみ。
ああ、もういいか。
そう思ってしまった。
誰の本心もわからない。自分の感情さえも今や音楽に揺さぶられないと見つけられない。
私の罪は消えないかもしれない。いま同じ部屋にいる部員全員が、盲目的に従っている正しさを憎んでいるかもしれない。もっと早く感情をぶつければよかったじゃないかと、言った私がその日まで何もぶつけていなかった。そんなあからさまな矛盾から目を背けて。
自分が正しいと思うために他者を否定することが必要な人も多い。私は彼女たちが心地よく正しく在るための間違った生き物。
それでもいい。それでもこの場でこの音と一緒に演奏ができるなら。
音楽を噛みしめる。演奏している今だけは幸せになろう。
待ち受けている困難は、目の前に突き付けられたときに何とかすればいいんだ。未来のことは未来の自分にまかせてしまおう。
吹部が好きなら。この居場所が好きならばきっと私はここで息ができる。
その日初めて、私は曲のラストでメロスと同じようにハッピーエンドのような心情に近づけた。
メロスに対する祝福のファンファーレもまた、ホルンの担当だった。
やっと、やっと最後のフレーズにも感情を乗せられた。
定期演奏会本番。
ホールの隅々まで私の感情を飛ばした。
部員一人一人の音が、重なり合って胴体を抜けていく。
罪と認識した経験を「いい思い出」と美化できるほどの時間は経っていなくて、まだ傷は生乾きだった。
それでも歪んだ正しさをぶつけて正義に似た何かを勝ち取った私に、メロスはお似合いだと思った。
素っ裸で最後の最後に恥をかいたメロスのように、私も生きていけばいい。
最後にどんな感情が残ろうと、周囲の人々に笑われようと。
抱いた感情を悔いていてはなにも生まない。
駆け抜けていこう。
本番後、外部講師の先生は満面の笑みで私を褒めた。
「姫伊の中で最高の演奏だったんじゃない?」
「なんかすっきりしました」
本当にすっきりと心が晴れた。
何も解決していないし、何かを諦めたわけでもないのに。音を遠くまで飛ばし奏でている内にそれぞれの感情が収まるべきところに収まったような安心感があった。
「今の姫伊、俺はいいと思うけどな。姫伊は自分のこと好きになれた?」
まだまだ嫌いですけど、この私は消えてほしくないなって思います。
そう答えると先生は口の端を釣り上げて「あっそ」と笑った。
…とまあ、そんな青い感情が『走れメロス』という曲には詰まっている。
思い出を語るには経験が少なく、すでに言葉が足りない部分がたくさん見つかるけれど、補足は追々、深夜テンションのまま投稿してしまおうと思う。
この曲は私の感情を救い出してくれた。
曲に感情を攫われるなんて経験は、まだこの一度きり。
また演奏者側に回る日が来たらそんな出来事だって起こるのかもしれないけれど。
『走れメロス』を聴くと今でも私の感情は音にさらわれる。さらわれて音になって。何度も聴くうちに私も音に感情を添えながら身を委ねて。晴れやかなファンファーレで心地よくなって、また救われた。
やっぱり私は音楽を愛してる。
追記
そういえばこの翌年、これまた年度末の定演のために練習していたマードックで、ホルンの同級生は曲に感情が引っ張られて外部講師に「落ち着け、引っ張られすぎるな」って言われてたのを思い出した。
曲に対する感受性が強いひとは一定数いるんだなって少し安心した。