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能登地震の報道から分かる日本の民度

私は、「民度」という言葉が嫌いだ。
「民度」という言葉は、主に「低い」という言葉とセットで使われ、
他の国や地域を非難する時に使われるからだ。
国や地域に、レベルの上下などない。
国や地域毎に、特性、歴史が異なるだけである。

ただ、この記事においては、敢えて使う。
この国の政治家・マスコミを非難する為に。


7/1で能登地震から半年が経過した。
テレビのニュースでは、被災地の現在の状況が報道されていた。
そこに映し出されているのは、ほとんど復旧されていない町、道路。
家は崩壊したまま、土砂崩れで塞がった道も波打った道も、そのまま。

未だに断水している地域もある。
未だに2000人以上の方が避難生活をしているそうだ。
被災地の行政機関は、復旧の遅れを「人手不足」と言っていた。

その後のニュースでは、大阪万博の工事の様子が映し出された。
多くの工事関係者と物資と税金が投入され、
日本が建築する箇所の工事は予定どおり進んでいるようだ。
大阪知事は、誇らしげに「準備は順調」と笑顔だった。


そして、7/7投開票の東京都知事選の報道。
東京の主要駅で行われる演説で、有力候補者は、
「東京を災害に強い街にする」「子育てや若い人を支援する」
と声を張り上げていた。
街は、その候補者を支援するボランティアと聴衆で溢れかえっていた。


これは、同じ日本という国で、同時に、起きていることである。

私は、大きな違和感を感じる。
政治は苦しんでいる人を助ける為にあるのではないのか。

人と娯楽が溢れる都市部と、人手不足で生活さえままならない地方。
これで良いのだろうか。

政治家もマスコミも、「数」を得る為に行動している。
支持者、視聴者が多い方が「権力」と「金」が集まるからだ。
その結果、彼らは、
人口が少ない地域や、税金が多くは取れない人への関心は薄くなる。

地方でも、大きな災害等があれば、
一定期間は報道され、
政治家は耳障りのいいことを口にする。
「復旧・復興が最優先課題だ」と。
でもそれは、非常に短期間に終わる。

しかも、そこに投入される人と税金は、
都市部の施策と比較して、わずかでしかない。
そして、政治家とマスコミと被災者以外の国民は、時間と共に忘れる。

多数の者の為の政治。
議会制民主主義、資本主義だから当然の結果とも言える。
選挙や政治は、多数決で決まり、民放は利益優先だからだ。

そんな政治とマスコミによって、少数の者は切り捨てられる。
これで良いのだろうか。


私は、問題の原因は倫理感だと思う。

自分の票やお金に結びつかないが、
政治家として、知事として、大臣として、首相としてやるべきことをやる。

暗いニュースで、国民ウケは良くないが、
報道する者として、伝えなければならないことを、国民に伝える。

その倫理観が、「議会制民主主義」の前提だと思う。

「倫理なんてファジーなものに頼るなんて、解決にならない」
「法律や制度といった仕組みを作るべきだ」
という意見もある。

だが、法律を決める国会議員に倫理観がなければ、
倫理観を重視する法律・社会は生まれない。

マスコミに倫理観がなければ、
報道の自由を楯に、大事なことが報道されず、
国民は、政治家のチェックができない。
結果、倫理観のない政治家が当選し続ける。

倫理観のない政治家は、
権力を手に入れること、選挙で当選すること、
それが政治活動の目的である。


だから、選挙で当選することに最大の力を注ぎ、
国民の人気を集める方法も上手く、狡猾である。

地方議員やコネクションやお金(裏金やパーティ)を使って、
年配の人気(票)を集め、
芸能人やマスコミ、SNSを使って、若者の人気を集める。
テレビに映る時は、都合の悪い質問は無視し、言いたいことだけ言う。
マスコミも、そんな政治家の批判はしない。


その結果、
苦しみ続ける地方の被災者と、
人と金が溢れる都市部が出来上がり、

そんなニュースを同時に見ても、平然としている国民が出来上がった。
(ニュースを見ない人も増えた)


私は、政治家やマスコミのせいで、
この国の「民度」は、かなり低いと思う。
他の国・地域を非難できないくらい、低いと思う。
とても残念であるが。

だが、政治家やマスコミを変えられるのは、私たちである。
おかしい、間違っていることには、
「おかしい」「間違っている」と反応すべきである。


私個人ではかなり小さい存在であるが、
同じ思いの人と、1人でも多く繋がり、声を上げ続けていく。










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