大切なのは、怒ったあとに許すこと
「人が嫌がることをしてはいけません」という教えは、どこにでも通用する至言だと思う。
ただ、違う環境で育ってきた者どうしだもんだからどうしてもコミュニケーションには摩擦があって、あなたは相手や他人に怒りを感じることがあるでしょう。
怒りを伝えるのはいいと思う。
そして、もし相手に謝罪の意思があったなら、できることなら許してあげてほしいと思う。
「怒る」だとか「許す」だとか、どうも人間の上下関係が垣間見えて嫌なことではあるけれど。
かくいう私は、相手を許すことが未だに苦手だ。たとえば夫の無神経な言動に怒ったあと、夫が謝ってくれても気持ちを切り替えることがなかなかできない。
それがとてももどかしい。
悪気のなかった相手にいつまでも怒りを抱いていてもしょうがないのだ。わかっているんだけど。
母も、許すことのできない人だった。
頭に血が上りやすいので、小さい私が「悪いことをしてしまった」という自覚のない瞬間から「謝りなさい!おかあさんに謝りなさい!!」と怒っていた。
そして私がまだ「悪いことをした」ことに未自覚のまま言われるままに「ごめんなさい」と謝ると、「人に言われてから言うごめんなさいはごめんなさいじゃない」と怒られた。「ふてくされてるなら謝らなくていい!」と怒られた。
いま思い出しても実に理不尽である。
「相手が許すまで謝りなさい」とも教えられていたので、夜じゅう布団の中の母に向かって謝っていることもあったのを覚えている。無意味だ。
謝りながら、「なにやってんだろーなー」って思っていた。「これいつまでやればいいんだろう?」とも。
謝罪の気持ちは、こんな軍事訓練みたいな教育では育まれないと思う。おかあさんに向かって本当に申し訳ない気持ちで言った「ごめんなさい」はスルーされ、その後無意味な「エンドレスごめんなさい」を強要される。せっかく芽生えた反省を維持するのは難しい。
教育学はあかるくないけど、私は母の行動からいくつかの反面教師的な知見を得た。
ちなみに夜じゅうに許してもらったことはない。
私は「もういいかな」ってタイミングで、自ら寝ることにしていた。だって疲れるし眠いし。ただ、布団で寝てたら反省してるように見えないかな?と考えて、台所で寝たりしていた。
謝り疲れて寝てしまったよう偽装して。
プリプリしだすとなかなか機嫌が直らないのは母譲りかもしれない。夫のごめんねを聞きながら、なんだか申し訳なくなって、自己嫌悪で泣きたくなる。
気持ちの切り替えは、今後も私の重要課題だ。