日本の研究力は下がってる?研究力って一体なに?
日本の研究力が下がっていると近頃界隈でよく聞く気がする。
ほら、論文数のシェアが下がっているだろう、と。
言わんとすることは分からんではない。
が、”研究力”とは一体なんなのか。”〜力”という言葉は便利で、よく使われる。生命力、忍耐力、コミュ力・・・
便利な言葉なので、何かと”〜力”と言ってしまうが、研究力と言われるものの実態は一体なんなのか。考えてみたいと思う。
論文数
まず真っ先に思いつくのは、論文数である。確かに、日本という総体で見た時に、研究の成果がどれだけ出ているか、その論文の数で"研究力"を語ろうというのは妥当だろう。
では、実際に論文数を他国と比べてみるとどのようになるのだろう。国別のランキングを見てみよう。90年代から2000年代前半、米国に次いで2位の論文数を誇っていた日本だが、中国の台頭さらにはドイツ、イギリスに抜かれ2018年時点で4位。
さらには、トップジャーナルへの掲載数となると状況はさらに悪化する。主要国としてあげられていない国々にも、負けていることがわかる。具体的には、インドやカナダ、イタリアなどだろう。
とはいえ、順位はさほど重要でない。日本の成長よりも他国が優れていただけで、日本も論文数を伸ばしていれば、研究力が下がったとは言い難い。
実際の論文数を見てみよう。各国の論文数を年代(2007-2009年と2017-2019年)で比べ、その伸び率を出している。
日本の論文数は9%と微増。2007-2009の平均値で、ほぼ同じ数であった英国は、10年でなんとほぼ1.5倍に増えている。トップジャーナルの数においては、日本の伸び率も15%, 60%と健闘していのだが、英国と比べると及ばない。
論文数で見ると、日本も他国の成長に及ばないのは認めざるを得ないが、決して”研究力”が低下しているとは言い難い。
研究費
では、研究力の低下の実態は何なのか。多くの基礎科学の研究は、国の研究開発費で賄われている。まさか、研究費が減っているなんてことはあるまいか。
下のグラフを見てみると、圧倒的な研究開発費を誇る、米国と中国。そして、EUには負けるものの、2019年時点で国単位では3位である(ドイツと韓国が追い上げを見せているが・・・)。
さらに、GDP比で見てみても、上位に位置していることがわかる通り、日本の研究開発費は決して低くはない。逆に言えば、これだけ金をかけていながら、なぜ他国の成長についていけないのか。
博士学位取得者数
やはり研究する実態としては、人であり、論文を書くのも人である(現時点では)。博士取得者が他国に比べて、少ないのではないか?
日本では、優秀な理系学生が博士進学せず、修士卒で企業の研究職に就く方も多い。
日本の博士号取得者は1.5万人程度でここ20年間横ばい。いや、僅かに減少している。しかし、他国を見てみる。米国と中国の増加が目覚ましい。
その他の国を見ても、増加傾向にあると言って良さそうだ。人口が多くさらには増加傾向にある米中で、博士が多くかつ増えているのは納得である。しかし、日本よりも人口の少ないドイツや英国にも遠く及ばないとは・・・
当然ながら、100万人あたりの博士号取得者を比べると、その差は歴然。ドイツ、英国の人口あたりの取得者の数が光っている。さらには、韓国の成長がすごい。
論文執筆者は博士だけではないが、日本では博士の数が減少傾向にある中、微増ながら論文数は保っているのだから、地味に研究者の努力がうかがわれる。
結論
下がっているのは、博士取得者数であった。”研究力”とは何かという問いについては正直結論はないのだが、日本の研究が他国の成長に比べて劣っているのは、研究に携わる人が少なくなっていることが大きな原因と考えて良さそうである。
修士卒で企業就職すればそれなりの給料がもらえるところ、自分で学費と生活費を払いながら博士進学するものは少ない。大型研究費を獲得している研究室であれば、学生に給料を雇うことも可能だが、なかなかそんな研究室ばかりではない。
研究者の養成を担っている学術振興会の特別研究員の仕組みも、近頃改善されているようだが、かなりの薄給だし、採用率も2割を下回る狭き門だ。経済的な理由で、博士進学を諦める人も多くいるだろう。
博士進学を諦めずに済むように、困らない程度の給与と将来への不安を少しでも減らす必要がありそうだ。