『Beep21』当事者自らが語るセガサターン名作RPG回顧録─グランディア冒険奇譚 ─第1回 : 本谷利明
セガサターン30周年間近! 特別企画が始まります!
1994年11月に発売されたセガサターンは
3D CG時代の幕開けを「バーチャファイター」で
切り拓き、数々の名作を産み出しました。
▼当時の名作ランキングはこちらで掲載中!
「サクラ大戦」「街」「NiGHTS into dreams…」
「バーチャファイター2」「パンツァードラグーン」
「電脳戦機バーチャロン」「セガラリー」
などなど...。振り返ると当時の熱い思い出が
蘇る名作ばかりですが、そんな名作群の
トップランカーに位置するRPGとして
ゲーム アーツの「グランディア」があります。
開発自体はセガサターン発売前の
1994年初め頃から着手されていた本作が、
最初はどういう形で作り始められ
実際の発売日が1997年末、つまり
セガサターン後期となった理由も
詳しく明かされていきます。
そんな当時の数々のエピソードを
今回は「グランディア」の監督を務めた
本谷利明氏自らが当時の"回顧コラム"
として綴っていきます。
すでに四半世紀以上前の記憶を
より正確に再現するため、
あの当時のスタッフへの聞き取り取材も
本谷氏自らが担当し、今回のコラムを
実現することができました。
まさに「グランディア」世界のように
壮大で膨大な制作の記録をここに
記していきます。
「最強の2Dマシン」とも言われた
セガサターンにおいて、2Dと3Dを融合した
当時としては斬新な作品だった「グランディア」は
もしもセガサターンミニがいつか実現
した際には、必ず収録されるであろう
セガサターンの代表作でもあるとも言えます。
あまりに若くして逝去された
故・宮路武氏への想い出も含め
連載シリーズとして本作の
記録を皆様にお届けしていきます。
どうぞ最後までご覧ください。
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「自己紹介します」
私(本谷)はセガサターン版「グランディア」(1997年/ゲーム アーツ)で監督を務めました。
オープニング動画のクレジットを見れば判る通り、この作品の監督は2人います。
1人はゲーム アーツ社の開発部長、宮路武さん。ゲームシステムやプログラムを監督されました。
もう1人は私です。ストーリー案と作劇、演出を監督しています。
「グランディア」の開発チームが2人監督での体制になったのは開発後期になってからで、前期には(宮路)武さん1人だけがリーダー役を担っていました。
私はもともと、開発初期に社外スタッフ中の1人として参加していたにすぎません。
その私が最終的に、プロジェクトの最高指揮者「監督」になってしまった訳です。
特に「グランディア」納品前の1年間。
私は、ゲーム アーツ社長(※宮路洋一氏)の意見さえ拒否できるほどの強力な権限を持つ事になりました。
状況がそうなるまでには、もちろん制作上の大きな事情やドラマが数多くあったのです。
今回、Beep21さんから機会を頂き、「グランディア」の制作に関する回顧録を書く事になりました。
先にお伝えした通り、私は主に、ストーリー、作劇、演出を中心に担当しています。
話題の重心が、私が指揮を執ったストーリー、キャラクターたちのアニメ、音響などの方面に偏りがちになるであろう事をご理解、ご容赦いただきたいと思います。
2023年 本谷利明。
まえがきに代えて 「1996年、東京ゲームショウの頃」
「セガサターンの性能の限界はもっと高いんです!あれを限界と思われたくない!」
ここは’96年夏のゲーム アーツ社内。
記念すべき第1回目の東京ゲームショウから戻ってきた武さん(宮路武氏。当時の役職は総監督)が、一人で居残り作業していた私を見た途端に発したのは、この怒りの言葉でした。
いつも穏やかな武さんが、ここまで声を荒げるのは珍しい。
面白がって話を聞くと、他社のデベロッパーによってサターン初の”3Dマップを駆使したRPG”が発表され、実機デモが行われたとか。
どうやら、このRPGの3D表示能力は、業界屈指の名プログラマーである武さんから見て不満のある出来だったようなのです。
ご承知の通り、当時のゲーム アーツ社もまた、3Dマップを使用したサターン用RPG「グランディア」の開発に取り組んでいました。
私たちが開発を始めた時期はかなり早く、ここから2年を遡る’94年の初め頃でしたから、この時には既に3回目の夏を迎えていたことになります。
ところがこの夏になっても未だ、「グランディア」は実機デモどころか仮組みのプレイ画面すら公表できていません。
先述のゲームが、武さんの目から見て不満のある出来であったとしても、私たちが目指していた「サターン初の3DマップRPG」の実現は、他社に完全に先を越された形となったのです。
この東京ゲームショウで、「グランディア」の発売日が、翌年’97年の春、と宣言されました。納品期日を計算に入れれば、私たちに残された時間はわずか6か月足らずです。
この原稿を書いている2023年。
もう笑い話にしても良い頃合いだと思いますので、白状します。
驚かれるかもしれませんが、この'96年夏の「グランディア」開発チームは、"ストーリー"を完成させていませんでした。
「グランディア」が目指したのは、単なる”3Dで背景を回転できるRPG”ではありません。重馬敬さん、赤司俊雄さん、窪岡俊之さんが打ち建てた名作「LUNAR」シリーズに続く、”ストーリーで魅せる”新作RPGシリーズの第一作です。
それなのに、肝心の”ストーリー”は、開発開始から丸2年が経過しても、まったく完成の目途が立っていなかったのです。
▼参考
スタッフの誰もが、全体ストーリーも、今後の開発労力の量も分からないままでした。
今、客観的に考えて、当時の私たちのリーダーシップには、とても合格点を付けられません。
発売日をわずか半年後に設定した洋一さん(宮路洋一氏。当時のゲーム アーツ社長)は、開発の現況を余りにも知らな過ぎました。
武さんは、ストーリーを担当していたシナリオ班に対して楽観的過ぎました。
そして私(本谷)は、進行の遅いシナリオ班を置いてきぼりにして、独自に作業を先行しすぎていました。
導かれる当然の結果として、私たちは発売日を守ることが出来ませんでした。
約束した日をかなり過ぎた’97年6月、「グランディア」開発チームはそのスタッフ編成を大きく変える事になり、その後は社内外の全メンバーたちの大活躍により、およそ半年後の12月にようやく完成、発売を果たすことになります。
大活躍した彼らの才能と情熱がどれほど素晴らしい物であったのか。
私たちリーダーの数多くの失策を埋め戻し、どれほど多くの成果を上げたのか。
短い連載ですが、私は出来る限りその事も伝えたいと思っています。
この序文の最後に。
武さん達が引き出したサターンの3D性能は、本家のセガを圧倒するほどの高いレベルに達しました。
冒頭で武さんが言った言葉は、確かでした。
この事は、当時の実機でプレイした皆さんの方がよくご存じだと思います。
さあ、ここから時を巻き戻して「グランディア」の4年間の開発にまつわるお話を始めます。
お付き合いください。
第1章 「伏線として─私がプログラマーだった時のトラブル」
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