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ソーダ水の中にある記憶装置
一生の楽しきころのソーダ水
富安風生のこの句が私はとても好きだ。若い頃の迸るような夏をこの一行で表している。
ソーダ水は1年中飲んでいるが、夏に飲むソーダ水はなんとなくノスタルジックな気持ちになる。きっとそこの句を知っているからだろう。時々、声に出して唱えてみると一瞬だけでもあの頃に戻れるかもしれない...などと十数年前までは思っていたが、さすがにもう諦めた。そんな少女が書くポエムのようなことは思わない。ただ少しだけ若い頃の夏を思い出したりする。
でも寂しいかな目の前に表れるのは、心霊写真のようにボヤッと写り込んだあやふやな記憶だけだ。記憶は勝手に時間とともに都合よく捏造されるというが、私の場合、捏造しすぎてもう影が薄れつつある。原本がまるで見えなくなった。あの人が好きだったなと思うが顔がはっきりせず、あの子と喧嘩したなと思うが何が原因だったかわからず、海に行ったな、誰と?、泣いてたな、何でだろ?、海の家に泊まった、誰と...。本当にあったのだろうか、こんな思い出とさえ思う。
暑かったけど楽しかった日々。生きてるという感覚が鮮明な日々。ただ迸るだけで一日が過ぎて行った日々。人生に何の疑問も感じていなかった日々。この夏がこの若さが永遠に続くような錯覚を信じていた夏。何もかもシュワシュワしていた。
コンビニに並べられた、色とりどりの洒落た炭酸飲料を目の前にして、こんなにたくさん目の前に並べられても、ボヤけた映像がクリアになるわけではない。ボトルを上下に揺すってみる。シュワシュワシュワァ~と泡が立ち上る。そしてまたすぐに消える。そうだ、泡は消えるものなのだ。いくらグリングリンと掻き混ぜてみても、揺すぶれるだけ揺すぶってみても泡は時間が経つときれいになくなる。
それから一気に飲もうとしてむせ返る。
「さて、君は誰?」と、心霊写真のような昔の日々が聞いてくる。
嗚呼、一生の楽しきころのソーダ水
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