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誕生日という名の摩訶不思議
2023.12.14(木曜日) Happy Birthday
最初に書いておくが、私の誕生日の話ではない。
今日は夫の誕生日である。
誕生日...生きてさえいれば年に一度必ずやってくる日である。
生まれたばかりの赤子から100歳を超えるご長寿さんまで誰にでも平等にやってくるのである。
お祝いしてくれる人があろうとなかろうと、それはやってくる。
そして至る所で「誕生日おめでとう」の掛け声が発せられるのである。
若い頃は一つずつ歳を重ねることにびっくりするほどの成長を遂げ、
親たちは「あの、ぎゃーぎゃー泣いてた子がこんなに大きくなって」と、
感慨深げに我が子を見つめたりもする。子どもは子どもで、歳を重ねようがどうしようがあまり関係なく、その日はみんなからチヤホヤされプレゼントやお小遣いを貰える日と心待ちにしているようである。
それと反対にご長寿さんになれば「よくまぁここまで頑張ってきましたね」という労いの言葉と共に自分自身も「いろいろ大変だったがここまできたよ」と、感傷に浸ったりする。
両者とも、それはそれでいいのである。
しかし夫や私の年齢になると、その両者のどちらにも所属することはなく、
「誕生日、おめでとう」「ありがとう」というお決まり文句を朝から言い合ってことなきを得ている。
「ケーキでも買ってこようか?」と言うと「夜にケーキはちょっとね…」
と言っていた。それは私も同じだ。夜にケーキは勘弁してほしい。
さてさて、どうしようかと悩んでいたが、いつも事あるごとにお世話になっている料理屋さんに電話を入れて「今夜、空いていますか?」と、聞いてみる。
「大丈夫ですよ、お二人様予約入れておきます」と快諾を得た。
これで私の役目は終わりである。
夫に今夜のことをLINEする。
『おぉ、楽しみ』と、返信が来た。
なんだ、結構期待してたのかもしれないと思う。
ここから先は、私の個人的見解なのでそのつもりで読んで頂きたいのだが、
私は誕生日を祝われるのは苦手だ。
その傾向は10代の後半くらいからあったように思う。
歳を取るのが嫌で誕生日が嫌いというわけではない。どちらかというと早く歳を取りたいと思っていたくらいだから。
なぜだったんだろうな?
以前の仕事の同僚で「お正月が大嫌い」と言っていた人がいた。理由はみんなが浮き足立っていて気持ち悪いのだそうだ。
私はお正月は美味しい物やお酒が飲めるから嫌いではないが、そういう考えの人もいるんだなと思っていた。
その同僚の感覚の部類と同じかもしれないなと思う。
そわそわする誕生日、祝う方も祝われる方もそれは同じだ。
レストランなんかで、たまたま居合わせたお客が誕生祝いをやっていて、
店のスタッフが花火のようなものが乗っかったケーキを運んできたり、ハッピーバースディの歌を歌ったりしているのを見ると、まったく関係ない私が赤面してしまう。
周りの客も拍手なんかして…
私もまぁ大人だから一緒に拍手をするにはするが、やっぱりちょっと赤面なのだ。
今夜は、そういうサプライズ演出は私まったくやる気はないが、
「あたなが今まで生きて来れたことに、おめでとう」
と、言ってあげようかと思う。
「そして来年もこうやって皮肉屋妻の洗礼を受けらるように頑張って」と…
きっと夫は
「うん。」と、喜んで言うだろう。
まったく風変わりの夫婦である。
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