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映画館の隅っこで、未来をそっと夢見てた

【映画にまつわる思い出 with WOWOW 参加作品】


少し戸惑っていた。
私は映画に少し戸惑っていた。
今の私の素直にな気持ちである。
ありとあらゆる映画をテレビやスマホで見れる時代になった。
映画好きにとっては最大級の幸せな時代なのかもしれない。
しかし、子供も頃、母に連れられて行った映画館の子供さえも魅了する雰囲気が忘れられない。
重い扉を開けて中に入ると、外の世界と一線を画した世界がそこにあって、きらびやかな世界というより、その反対のどこか秘密めいた世界があった。
すえた匂いや、硬い椅子や、どこからともなく聞こえてくるイビキや笑い声、そんなものもさえ子供心にドキドキとするものがあった。
照明が落とされ画面に映像が映し出されるとみんなワァ〜という顔で画面を見つめる。

私の映画好きは父譲りだと思う。
父は見た映画のパンフレットやサウンドトラックのレコードを買ってきては部屋で聞いていた。
でも私を映画館に連れて行ってくれるのは決まって母であった。母は残念ながら映画にはあまり興味はなく、映画館で寝ているタイプだった。
私は寝ている母をよそに、買ってもらったお菓子を食べながらいろんな映画を見た。
ディスニー映画の時は目を輝かせながら見たし、ミュージカル映画の時は足でリズムを取りながら見た。
映画館を出た後は、自分がミュージカルスターになったような気分になって踊れないのに踊り出したいような気分になっていた。
一度だけ父に連れて行ってもらったことがある。その時に見た映画が『ウエストサイドストーリー』だった。
子供の私には内容まで把握できなかったが、不良グループが足を上げて踊る姿がかっこよくて目を輝かせながら見ていた。
父が買ったサウンドトラックのレコードを何度も聴いた。
プロローグに流れるドキドキ感も好きだし、女たちが力強く歌う「アメリカ」もお気に入りだった。
私は子供ながらにすっかり『ウエストサイドストーリー』のジョージ・チャキリスの虜になっていた。
そして、大人になってからも何度も見た。
やっぱりかっこよさは変わらなかった。

大学を卒業した夏、私はニューヨークの街に立っていた。
ブロードウェイの街に立ち、劇場に装飾されたミュージカルのポスターを見つめていた。
私のダンス人生のスタートを切るには、申し分ない街だった。
でも、もうジョージ・チャキリスに憧れる私ではなかった。
自分がここで生きていくという覚悟を決めなければならない時だった。

父が亡くなった。
帰国した。
父が集めていた映画のパンフレットやレコードを私がすべて貰った。
その中にちゃんとウエストサイドストーリーもある。
父が亡くなって何故か泣くことができなかった私がそのレコードを聴いて泣いた。
それから数年経って母が亡くなった。
もうこの世に私をあの映画館の暗闇へ連れて行ってくれる人がいない。
それが悲しくてまた泣いた。
それからというもの、綺麗になった映画館でふかふかの椅子に座って、素晴らしい音楽と共に映画を見ながら「なんて素敵な映画なんだ」と思いながら、あの場末の映画館の匂いみたいなものを懐かしんでいる私がいる。
あの映画館は父と母の思い出ともに私の中に今も残っている。
そして、今もやはり映画が好きである。
画面を見ながら、ふとインドの街やパリの街、アジアの山奥や宇宙や、日本の昔の田園に飛んで行きたくなる。
そして、ダンス人生を始めた時にように、また何者かになって生きてみたくなる。

戸惑いながらも、どんなに形が変わろうと、映画はいつまで経っても私を魅了し続けている。



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イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。