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曖昧な喪失としなやかに向き合う

2021.2.19(金曜日) vague

猫が布団から出てこない。

うちの猫に限らず猫は寒がりな生き物なのかもしれないが、うちの猫は気温が10度を下回る日は布団から出ないと決めているようだ。猫がいなくてもこっちは一向に困ることはない。洗濯を手伝ってくれるわけでもないし、買い物に行ってくれるわけでもないのだから。もしうち猫が日本語を話せたら、「そこに居るのが猫の仕事だ」とヤツは言うだろう。「だったらさっさと出てきてそこに居ろ」と、私は言いたい。

午後3時頃、なに食わぬ顔でひょろっと出てきた。


午後から手紙の整理をした。今までもらったものを要・不要に分けた。手書きの手紙というのは書いた人のその時の空気みたいなものが閉じ込められているから時を経て読み返してみると写真を見るより懐かしさが増す。元気な時は文字も力強いし、弱っている時はどこか自信なげな文字だ。これはその時の空気なのだなと思う。そんな手紙の中に、20年ほど前からSNSでお付き合いのある方に頂いた手紙があった。『私は文字を書くのも見るのも読むのも大好きです。目のつくところに文字があれば幸せです』という言葉が書かれていた。現在87才になる女性の方からの手紙だ。

その女性の方のブログを毎日読ませて頂いていた。毎日更新されていて、その日の出来事や思うこと、美味しいお菓子のことなど、とにかく楽しいブログだ。でも、1ヶ月半くらい前に更新されてから今日まで音沙汰なし。『かなり体が弱ってきた』とブログにも書いてらしたからどうされているのかと心配している。彼女は文学、映画、音楽に造詣が深くて、若い頃のやんちゃな話、為になる話、お勧めの本や映画などたくさん聞かせて頂いた。

「お元気ですか?」とか「ブログ更新ないですが最近どうされてますか?」と手紙を書くのは簡単だけれど、たぶんそういう気遣いのようなことが嫌いな方だと思う。以前から『私が死ぬときは、誰にも挨拶せずさっさとおさらばします。最後に誰かに会いたいとか、この世に何かを残したいとかまったく思わない』と、おっしゃってた。まだ亡くなったと確定しているわけではないのだが、向こうが何か言いたくておっしゃるまでこちらかか訊ねることはしないでおこうと思う。永遠に何もおっしゃらないのなら、その時は「あぁ、おさらばされたのだな」と思おう。

彼女の生き方の「粋」の部分は誰にも崩せないのだ。


猫がにゃ〜と鳴く。

あぁ、鳴くのも仕事だったわね。



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イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。