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欲しがる人

【うすのろ日記】 2024.9.15 (日) too greedy


日曜日に日記を書くなんて、なんと珍しいことだろうか。
今朝は休日といえど、家の中はとても静かである。
花(猫)はずっと眠り姫状態であるし、夫は友人たちとどこかへ遊びに行った。喜ばしいことに、ひとりっきりの日曜日である。

午前中、テレビのニュース番組を流しながらパソコンに向かっていると、
何のニュースなのかわらないのだが『吾唯足知われただたるをしるってことなんだと思います。それを心に留めることによってかなり生きるのが楽です』と、誰かが喋っている。
その言葉に『ん?』と反応してテレビ画面を見た。
かなり年配のご婦人がお話しされていた。その方の顔がとても穏やかな表情されていたのを見て、内容はわからないのだが、吾唯足知という言葉とうまく調和して違和感がなかった。
吾唯足知という言葉はもう有名だし、京都の龍安寺の蹲踞つくばいに刻まれているのを見たことある人も多いのではないかと思う。
私もよ〜く知ってはいるが、それを実行に移すとなると修行が足りないのか、もう難儀である。
人間はもっと欲しいのである。
もっともっとたくさんのものが欲しいのである。
それは物である時もあるし、地位や名声、あるいは他人からの羨望の眼差しだったりと、その裾野はどんどん広がっていく。
こんなことを書いている私も、そこんところはまったく自信がない。
心の内の半分くらいはそれらで埋まっているかもしれない。
それはなかなか自分では確認のしようがない。心優しい友人が時々「それは欲張りってもんだよ」と忠告してくれない限りわからないのだなぁ。
夢や希望を持つことはとてもいいことだと思うが、夢や希望と欲しがる欲とはまったく違うような気がしている。
夢や希望を持つ人は、勉強したり努力したり多少の苦しいことも乗り越えたりして夢にあるいは希望にたどり着こうとする。しかし欲しがる欲というのは、ただ自分をカモフラージュする『何か』が欲しいのではないかという気がしている。
だから欲しがる人は、どんどん、どんどん欲しくなるのではないか?


『蹲踞』  京都・龍安寺

「もう私は充分です」と、さりげなく言える大人になりたいものだ。
でも「欲しいです、もっともっと欲しい!」と喚く老人になっているかもしれない…
さて、どちらに転ぶが誰にもわからない。

そんなことを考える日曜の朝であった。


あなたは、何が欲しい?



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イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。