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【essay】刹那主義者のゆくえ


朝から衆議院総選挙に夫婦で行ってきた。
少なからず、これからの日本の方向性を問われる選挙なのかなと思う。
と、書き出しはとても真面目な国民を装って書いたが、いろいろ疑問もあり、不透明さもあり、やるせないやら、やりきれないやら、うまく表現できないが、そういう気持ちで行ってきた。

選挙が近くなると、街頭インタビューがテレビでよく流される。
特に若い人へのインタビューが多くて、『選挙なんか行かなくても、政治なんか知らなくても、私たち楽しくやってま〜す✨』というのを強調したいのかやたらと明るさと元気さを強調しながら彼らは喋る。はたまた政治なんかに熱を上げるのカッコ悪いとでも思っているのだろうか。
「選挙、行きませ〜ん」「政治ってよくわなんない」「1票入れたところで変わんないでしょ」「行くのめんどくさい、LINEから投票できればやってあげてもいいよ」などと笑いながら言われると、たった1票のためにあれこれ悩んでいる私としては呆れ果てて言い返す気力もなくなる。
そうやって笑いながら答えている若者は、まだ人生において誰かに守られているのだと思った。
住む家を与えてもらって、朝起きたら母親が作った朝ごはんができていて、そのごはんを食べて学校なり仕事に行って、楽しく友人と遊び、帰ってきたら晩ごはんとお風呂と清潔な部屋が用意されている。
そんな中で今の日本に存在する矛盾などには考えも及ばないだろう。
そして、若者の中にも格差はある。
苦しい毎日を送っている若者もいる。
その子たちは反対にテレビで能天気さを自慢する暇さえないく、政治のことを考える暇もなく、ひょっとしたら食べることさえままならなくなっているにも関わらず常に何かのために動かざるを得ない。
そういう不幸もまた当たり前のようにある今の日本。そういう底辺で苦しんでいる人のためにも日本を変えることは必要なのだけれど。

しかし、思い返してみると私も20代前半の頃は、あまり政治には興味がなかった。選挙も行ったり行かなかったりとその時の気分だったような気がする。政治なんて年配者がやることだと思っていた。
その考えが180度変わる出来事が私の中であった。
それはニューヨークへの移住だった。
お昼休みに公園などでお弁当を食べていたり、カフェでお茶を飲んだりしている時などに、よく現地の若者から話しかけられた。
ナンパとかそういうのではない。
「ねぇ、日本人だよね。今の日本の経済状態はどうなの?日本の政治のあり方ってどう思う?」
「アメリカと日本の関係性ってこれでいいと思う?」「戦争についてどう思う?」「日本って人種差別問題にどう向き合ってるの?」
髪の毛を真っ赤に染めて、鼻や唇にピアスを所狭しと開けて、じゃらじゃらした流行り物を洋服にぶら下げた若者がそんな話をしてくるのだ。
ニューヨークの若者はいろんな国の人と話をしたり何かのテーマについて討論をするのが好きだ。そういうことで知識を増やしているのだろうと思う。
一度や二度ではない。何度もこういう質問を受けた。
その度にどれひとつとしてまともに答えられない私に、「君って何も考えてないんだね、日本人ってみんなそうなの?」とか、「考えなくても生きていけるほど日本って平和なんだね」と、馬鹿にしたように言ってくる。
悔しかった。悔しかったけど相手の言う通りだった。
何も考えてなかった。それが悔しくて悔しくて仕方なくて、勉強した。
新聞も読んだ。その上で、自分の考えや意見を自分なりにまとめた。
ニューヨーク生活1年後くらいには、そんな質問をされても討論を持ちかけられても自分なりの意見が言えるようになった。
本来、政治のことを考えるのはそういう討論に参加するためではない。
自分の人生をより良くするために必要なのだということもわかった。

今の日本の若者(政治などどうでもいいと思っている)は、あの頃の私と同じなのか、それともまた違った次元で世の中にシラけているのか、そこのところはわからないが、最初に言ったように守られすぎていることが当たり前なのだろうということもあるだろう。
自分で自分の人生をどうにかしなきゃならなくなった時、真剣に考えるようになるのだろうか…どうだろう。

以前読んだ本でどんなタイトルだったかは忘れたが、ドキッとするようなことが書いてあった。
『日本の政治家は国民が賢くなっては困るのだ。できれば馬鹿なままでいてほしいと思っている。変に賢くなれば政治家の不都合な面を突っ込んでくるから...』
これは本音だろうと思った。馬鹿のままで政治家の言いなりになる国民が政治家にとっては都合がいいのだ。そのツケが今回ってきていている。
賢くなる必要はないが、言いなりになるのはやめた方がいい。
こんなことを書いても、言っても、今の若者には1ミリも響かないだろうが、
歳をとって自分自身でうまく動けなくなった時、朧げなりにも何だかんだと言っていたおばさんがいたなぁと思い出して(思い出しもしないと思うが)
後悔するなり、開き直るなり、自分で決断を下する覚悟をしてほしい。
大人になれば、自分で決断をしなきゃいけない時が必ず来る。

『人生なんてタチの悪い冗談だから』と、言えるほど私たちは強くない。
















読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。