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ワイン 西瓜 臭いチーズ...

2024.8.18 (日) wine, watermelon, washed rind cheese…


ベランダに変な鳥が来た。
変な鳥というのは、私が見たこともない鳥という意味で、
姿形が変という意味ではないのだが、都会生活が長い私としては、変な鳥とか変な虫とかそういう表現が頻繁に登場する。
先日もベランダに変な虫が死んでいて、夫に変な虫が死んでると伝えたら、
それはカメムシが暑さで干からびているだけだった。
緑色がこげ茶色になって大きさも米粒くらいになって縮こまっていた。
カメムシのことはもちろん知っている。でも干からびたらあんな風になるのは知らなかった。
私もこのベランダで死んだら、それがこんな猛暑の夏だったら干からびてしまうのかな、そしたらどんな風になるのかな、などと不毛なことを考えた。

さっき『ベストエッセイ2024』に集録されている
合田 文さんの『土鍋の蓋が割れて』というエッセイを読んだ。
そこには人間の『思い込み』について書かれていたのだが、
母親は娘がカレーが好きだと思って作り続けていたが、実際の娘は、
母の作るカレーが嫌いだった…という話や、娘は母親が薔薇の花が好きだと思っていて誕生日に薔薇の花を贈ったら、母の好きな花は本当はかすみ草だったという話…「女の子ってこういうの好きでしょ」って決めつけられるモヤモヤなども。
「あぁわかる、わかる」と、ひとりごとを言いながら読んだ。
私も贈り物を頂く時に「女性はみんなこれ好きですよね」という言葉と共に、マカロン、アボカド、パンケーキなどを頂くことがある。
私は、マカロン、アボカド、パンケーキ、すべて嫌いである。
でも「嫌いだからいらない」と、突き返すことはしない「ありがとう」と受け取って、それが好きな人に譲ったりする。
お互いに一歩踏み出すことができていないのだ。
ひとこと聞いてくれれば「マカロンお好きですか?」とかね。
私もひとこと言えば「ごめんなさいマカロン苦手なんです」とかね。
お互いの遠慮が、永遠噛み合わない歯車を作るってるということだ。
そういえば、1年ほど前にこのことをエッセイで書いたことがある。

合田 文さんのエッセイには『無意識の偏見』という言葉も出てきた。
先日『夜明けのすべて』の映画感想文の中でも書いたが、外見だけを見て「この人はこういう人なのだろう」と、判断してまう不都合さと同じかなと思った。
余談だが…
私の好きなものは、タイトル通りである。

外は今日も晴れている。
まるで暗い美術館に飾られた、晴れ渡った風景を描いた絵画を見ているように、光の照り返しと青空とが動くことなく、永遠にそこに存在するかのような怖さを発している。
もう長い間、夏をやっている。
もう長い間、熱の中にいる。
それが動く時は来るのか、雨に濡れることはあるのか、
何かよからぬことが起きなきゃいいけど。

歯車噛み合ってますか?



読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。