誰かのため...の中の傲慢さ
【うすのろ日記】 2024.9.11 (水) my arrogance
花(うちの猫)の人間ドックならぬ猫ドックの日である。
どこの猫もそうだと思うが、花も病院に行くのが大嫌いである。
彼女は私たちのちょっとした気持ちを変化を敏感に感じ取り、
「何かあるぞ、何だ何だ、ひょっとして...」と思っているらしく、
キャリーケースを出した時点でそこら辺を逃げ回る。
昨夜から夫と何度もシミュレーションして今日に備える。
「悟られないように平常心でいきましょうね」と夫と確認し合う。
出発の時間(9時半)幸いにも花は寝ていたので捕まえやすかった。
キャリーに入れられた花は「クソッ、油断してしまったぜ」と言った顔つきで私たちを睨んでいた。
そもそも、猫にそういう猫ドックなるものが必要かどうかという問題についてはいろいろ意見はあるだろう。
私的にはもっと自由に生きさせて、それでその猫なりの一生を終えるというのが生き物の生き方だと思っていたのだ。
今まで何度か猫を飼った経験があるが、どの猫も自然に生きて自然に旅立った。でも今飼っている猫は生後3か月くらいの時に母猫や兄弟たちとはぐれて鳴いているところを私の友人が保護した。友人は自分で飼いたかったけど先住猫との折り合いの関係から泣く泣く譲渡先を探して、そして私が譲り受けたという経緯がある。
だからその保護した友人のためにもこの猫はちゃんと至れり尽くせりの面倒をみてやらないといけないという気持ちがあるのだ。
ここに人間の傲慢さがあるということにはちゃんと自覚がある。
生みの親が友人なら、育ての親が私だ。
だから花の成長記録はことあるごとに友人に報告している。
花には少し苦痛を感じさせてしまうが、ふたりの母のために頑張ってほしい…などと人間の勝手な思いをよそに「そんなこと知ったこっちゃねぇ」と本人は思っていることだろう。
無事終わって帰宅した後「よく頑張ったね」という気持ちを込めて、
ちゅーるを増量してあげた。
喜び勇んでぺろぺろ舐めてた。単純である。
*
この朝の一連の作業で、私はすっかりくたびれ果ててしまった。
肉体的疲れではなく、精神的疲れ。その分回復は遅い。
午後からは体が使い物にならずに、ソファで寝転がって本を読んで過ごす。
今日は気を取り直して蕎麦屋に行く気にもならず、『気を取り直すもの』
となるものが何かないかと探したが何もなかった。
というより、気力がなかったのだろうと思う。