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ふわふわするような未視感と、あきらめの悪い既視感と、

2020.11.25(水曜日) At the cafe

お昼前のカフェはがらんとしていた。お昼前だから空いているのか、他にも理由があるのかわからないが、そのおかげでお気に入りの席が確保できた。
生クリームたっぷりの甘いコーヒーを飲みながら、朝からサボってカフェに居座っているであろうサラリーマンの背中を何気なく見つめている。カフェの店員も暇そうで、目立たない所で店員同士でおしゃべりしている。話し声など聞こえない。ただ題名も知らないカフェミュージックの音が聞こえるだけだ。

この時間が永遠に続けばいいと思った。大袈裟に言えば、この状態で死んでしまってもいいやと思う。そう思うほど今日のこの場所は居心地がいい。そんなふうに思う瞬間というのは年に一度か二度訪れる。それは特別な場所や環境下で訪れるのではなくてごく普通の場面で訪れる。冬の日の午後の光の中、ソファでお気に入りの本を読んでる時とか、大好きな友人とランチを食べた帰りの電車の中とか、洗濯物を干し終えてふと見上げた空がとても青かったりとか...そんなありふれた時にそう思う。でも、これだけははっきりわかっている。そんな時に私は死なないだろうと...。私はきっと「まどろみの中で死にたい」と無意識に思っているのだと思う。でも現実はそうはうまくいかなくて、苦しかったり痛かったりそんなことに悶えながら死ぬのだろうと思っている(あくまでも想像)。

ここまで書いて、カフェで書く(考える)内容ではないなと反省する。でも私はわりと考え出すととことん考えてしまう癖があって、それはいいことなのか悪いことなのかわからないが、心地よい時はとことん自分のことや他人のことを考えてしまう。私の近くで背を向けて座っているサラリーマンのおじさんはサボっていることがバレてリストラされたりしないんだろうか?とか考えてしまうし、おしゃべりしている店員は実は先輩と後輩の間柄で後輩が先輩の無駄話に嫌とは言えず無理やり付き合わされているのだろうなとか考えてしまった。

そしてそういう諸々のことがとても心地よくて、

やっっぱりこのままずっとこうしていたいなと思った。

読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。