7月のコンパッション
2024.7.21 (日) compassion
もう長い間夏をやってるような気がする。
蝉はずっと鳴いていて、空には積乱雲が誇らしげに盛り上がっている。
暑い...
暑いというより痛いとでも言うべきなのだろうか。
7月ももう半分以上過ぎた。
この夏は忙しい。
物理的い忙しいのもあるが、それとはまた違って気持ちがイライラする気忙しさがある。確実に昨年の夏とは違う夏になるのだろう。
いや、すでにそうなっている。
次々と予期せぬことが起こる予感がする。
まだ起こってもいないことをあれこれと思い悩むのは時間の無駄だと思うし、何より精神的にエネルギーの無駄使いだというのはわかっている。
でも確実に出来事は起こるだろう。
病気にしろ人間関係にしろ、何かが起こった時に「なぜこんな突然に?」と人は思いがちだけど、それは突然起こったのではなくてずっと前から小さな種がどこかにあってそれが徐々に徐々に大きくなって、それがガバッと開花した時にそれは発覚するのだ。
種は今、ある。それもたくさんある。
予期せぬ出来事の種が...悪いことばかりとは限らない。いいことの種だってある。
一生懸命勉強している人は試験に合格するだろうし、汗水流してダイエットしている人は目標体重に達するかもしれない。苦しい思いで闘病している人は回復の兆しがあるかもしれない。でもテレビのニュースはそういうことは流してくれない。悪いニュースばかりを流したがる。
自分のせいではないにしろ、次から次へと何かの罰を与えられているような気がしている。本当にそれが罰なら何の罪に対してのものなのか教えてほしいものだ。思い当たる節はたくさんあるが...、個人的な罪であれば個人的に罰を与えればいいじゃないかと思う。何で世界中がこんなに罰だらけになる必要がある?
若い頃は、恋愛や髪型やお化粧や、遊びやダイエットや時々勉強のことなど、自分のことだけで悩んでいればよかった。世の中がどうなろうと政治がどうなろうと自分には関係ないと思っていたし、毎日美味しいお菓子が食べられればそれで良かったし、何でもかんでも「そんなこと知〜らない」で許されていた。それか今は小さな子供でさえ明日の不安を抱えている。
なんてこった。
窓を開けると、近所の公園の蝉の鳴き声がうるさい。思わず「煩い!」と叫んで、音をたてて窓を閉める。エアコンのスイッチを力強く押す。
今、私は彷徨ってる最中である。
7月の蝉は煩い。
8月はもっと煩いだろう。
そして今日も私はヘンテコな衣装を着てお芝居をする。
お芝居は現実逃避にはもってこいだ。まったく違う人物になれる。
それもまた、ひと時の煩わしさを忘れるためだけのことなのだけど。