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風の便りのようにやってくる涙のわけ

2024.8.5 (月) shed tears


今日らから4日間休み。
しかし、何の予定もなく、予定を作る気もない。
誰だったか忘れたが俳優さんが「休みの日は何をされてますか?」とインタビューされて「休みの日は、休んでいます」と答えていたのを思い出した。
その時は、その答えを聞いて私は大笑いしたのだが、そうだ、休みの日は『休む日』なのだ。
私も休むことにしよう。
よく、休日に遊びに行って、帰ってきて「あぁ、疲れた」と言う人がいるが、そういう人を見ると何で疲れるのに行くの?と問いたくなる。
遊んで帰ってきた時は「あぁ、楽しかった」で終わらないと意味がない。
私は今、どこかに遊びに行って「あぁ、楽しかった」で終わる自信がない。だからどこにも行かない。

とはいえ、4日間の休みが終わったら京都へ行かなくちゃいけない。
これは遊びではないが、京都には行きたくない。
あの暑さと人混みの中に入って平気でいられる自信がない。
今の私は自信がないことがたくさんある。自信喪失時期だ。

パリオリンピックも後半戦に入ってきた。
陸上競技が始まった。
「待ってました」という感じ。
録画してあるのを延々と見ている。

テレビ画面を見つめていると、窓の外を生き物が横切ったのが視界に入る。
雀ほど大きくなくて、蠅や蜂ほど小さくもない。
何だろうと思っていたら、その生き物がまた引き返してきた。
トンボだった。
この都会の真ん中でもちゃんと生きているんだなと思う。
今日は薄曇りの日。朝、雨も少し降った。
気分良さそうに飛んでいる。いいこと。
ここのベランダ(15階)には、あまり見かけない鳥も時々やってくる。
しきりに鳴き声をあげて、うちの猫の興味を引いている。
鳥がしきりに鳴く次の日は天気が崩れるとある本に書いてあったが、
その鳥が来てしきりに鳴いた翌日に天気が崩れたことはない。
私がしきりにと思っているだけで、その鳥にしては普通の鳴き方なのかもしれないと最近気がついた。

さっきの鳥ほどではないが、私は本を読んで泣いた。
実話が書いてある本で、その中で飼われていた犬(ポコ)が死ぬところ。
不慮の事故で死んでしまうのだが、その時の文章が…
『ポコ死ぬ。六歳。庭に埋める』とある。
著者のこの淡々とした言葉遣いは、悲しみを隠そうとする心の表れなのかと思うと泣けてきた。
この後、著者は数日間泣き明かすことになるのだ。
『何をみていても涙が出てくる。今日もとまらない』と言いながら…
うちの猫もいつか何かで死んでしまうだろう。
その時、私はどんな文章を書くのだろうと思うと、また悲しくなった。

お疲れさまです



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イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。