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スタディーノート6 浸水
生まれて21年、初めて洪水というものと対面した。水位がサンダルの底の高さを越えた時、私は屋台で朝食を取っていた。幸運であったのは目の前に麺をすするフロントマンが座っていることである。一人でずぶ濡れのまま、凍えながら啜る暖かいスープなど孤独の極致に違いない。
9月10日(月)、シットウェは今雨季でも群を抜く豪雨に見舞われた。浸水してしまったメインロード界隈の食品店の従業員たちは椅子の上にしゃがみ込んでいた。すでに水位は足首まで達するほどになっている。
その日前回今回の滞在の2度にわたってお世話になった小学校先生の元を訪ねることとなっていた。脛ほどの高さの雨水をかき分けながら向かった。その学校もまた冠水していた。少し空いた、運動場と呼ばれるには狭すぎるプレイグラウンドはもちろん教室にも雨水は押し寄せ、生徒の足は濡れていた。私が教室に入ると大きな波紋が水面に広がった。生徒は教科書を見つめていた。
「この学校は貧しいから。生徒は濡れてしまっては集中できないね」。優しい瞳と声を持つ先生は口籠った。「ラカイン州はミャンマーで一番貧しい州だよ。教育の低さが一つの原因だ」とも憤る。教員不足や未発達の交通機関、技術の不足が折り重なり形成された現状であるそうだ。話し終わると「今話したことは街の人誰にも言わないでね」と先生は静かに言った。
写真1・浸水した教室。生徒は椅子に足を上げて授業を受ける。
写真2・雨水で池と化したプレイグラウンド。
私が以前、「アラカン人の民族教育」について尋ねたとき、彼は「政治と教育は別物」と教育者としての立場を貫いた。他の学校では先生は生徒に何を教えるのか、はたまたアラカンの子供たちは親世代から何を聞かされて育つのだろうか。先生の「軍からの統制」を恐れる様子から仮定するに、後者がより民族教育の属性を多く含むことが考えられる。
教員スペースで校長に泣きながら話している女性教師がいた。どうやら村での教員の仕事を見つけ、今の学校を去るらしい。彼女は生徒に愛情を注ぎ、生徒は彼女を慕っていたのだろう。羨ましく思った。しかし私の抱いた「羨ましい」感情はなんとも皮肉なものである。私は浸水する教室で授業を受けたことはない、受けたくもない。生まれた場所や環境で運命を受け入られざるを得ない現状に対する靄が胸を纏う。水面には楽しそうにペンを走らせる子供とカメラを持った日本人が写っていた。
写真3・子供達のお弁当。
写真4・仲良く輪になって食べている。