瞽女とグレンミラー
ブリコラージュという考え方を知っていますか。産業革命以降、大量生産が文明を豊かにして、先進国を作ったのですが、その背後でアジア・アフリカが後進国という見方がでてきてしまいました。でもアジア・アフリカのやり方が遅れているのでしょうか。この考えを持ったのがレヴィ・ストロースという文化人類学者で、アジア・アフリカではその場にあるもので、その時に必要なものを用意したり作っている。これがブリコラージュという考え方です。大量生産は永遠に豊かが続くように、ありとあらゆるものをストックしておくのに対して、ブリコラージュはその場、その時を大切にしているような気がします。
映画の中で、ジェームズ・スチュアート演じるグレン・ミラーは、楽団のトランペット奏者が唇の負傷で吹けなくなったとき、クラリネットを入れてみようとアイデアを思いつきました。ムーディな感じになり、あの名曲ムーンライトセレナーデが生まれました。このその場しのぎの対応はブリコラージュだといえるのです。
そして、演奏でブリコラージュをやっている方々で忘れてはならないのは瞽女だと思っています。
瞽女が演奏してまわった地域は農村です。士農工商と江戸時代からは、身分が上とされてきましたが、厳しい年貢の取り立てなどで苦しく貧しい日々が続いたりしたのではないでしょうか。そんな苦しい訴えを歌に歌ってうさを晴らしたのでした。歌であれば役人からもお咎めないだろうということで、そういう歌を村々でアレンジしたり、村の人の踊りが入ったり、囃子が入ったりして、その場でなきゃ生まれない歌を三味線とともに演奏したんですね。
グレン・ミラーも、バンドを組んでいたから、ライブごとにその場の雰囲気で変えていったのかもしれませんね。
なぜ瞽女とグレン・ミラーなのかというと。僕のマンガ作品に高田世界館物語というのがあります。
https://www.amazon.co.jp/高田世界館物語-べこ%E3%80%82-ebook/dp/B07QYVJGT1/ref=nodl_
このお話は高田世界館という100年続く映画館が僕の地元にあるのですが、ここを舞台に作った架空のお話です。
この作品は2エピソードあるのですが3話目に、グレン・ミラー物語を入れられないかと思い考えていたのですが、クラリネットのエビソードからグレン・ミラーはライブの場で音楽を作っている。瞽女も一緒だなと自分の中でリンクしたんです。瞽女も僕の地元には高田瞽女というのがいましたし。髙田ということでリンクした。
普通に考えてると結びつかないものが、リンクしたら嬉しいんですよね。
それでnoteに書かせていただきました。