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~アイルランド紀行 vol.7~「パブで出会ったアイリッシュダンス」

ゴールウェイのメインストリートにある、キングスヘッド(King's Head)というパブ(ビアホール×バー×居酒屋÷3みたいなもの)で生まれて初めてアイリッシュダンスというものを見た。
https://www.thekingshead.ie/galwaypub
余談だがこのパブ、昔の王様を処刑した人(おそらくギロチン的な手法で)が処刑のほうびでもらった建物にちなんで、名前が「キングスヘッド」。
なかなかのネーミングセンスしてるじゃないか。
さてアイリッシュダンス。
上半身はほとんど動きがなく、下半身でリズムを取りステップを踏む。
https://youtu.be/Fr2JPIaDixo
いくつか種類があってペアやグループで踊るものもある。
なんでダンスなのに上半身を使わないの?という素朴な疑問に対する答えは、切なくて悲しいものだった。
元々、ケルト人と呼ばれる人たちが住んでいたアイルランドには、4世紀頃にセントパトリックによってキリスト教が伝えられ、多くの人々がカトリック教徒となった。
その後、16世紀頃にイングランドによりアイルランドは植民地化された。
17世紀に清教徒革命の立役者と言われるクロムウェルがアイルランドにやって来て、カトリック教徒を異教徒として迫害。
土地の没収、住民の虐殺、アイルランド人を奴隷として売り飛ばすなどの悪行三昧。
語学学校の先生によると
「クロムウェルは悪魔だ。」
ケルト人の抑圧は進み、ゲール語の使用は禁止され、踊ることも禁じられたと。
兵士たちによる取り締まりも厳しくなったけれど、2階で、窓から見える上半身が動いていなければ踊っていてもバレない。
足でリズムを刻むアイリッシュダンスはここから始まったのだそうだ。
飢饉になっても助けてもらえず、しいたげられて飢えて死んでいったイングランドへの恨みは、独立運動や紛争を経て、アイルランド人のDNAレベルで染み付いているようだった。
20世紀にアイルランドがようやく独立してからも争いの火種は消えず、北アイルランドはイギリスの一部になって紛争は続いた。
悲しい、悲しすぎる。
でも、アイリッシュダンスは軽快で明るく、チャーミングで美しい。
見たことがない人がいたら、ほんとに一回見てほしい。
「美しい音楽の背中には、悲しい歴史がある。」と聞いたことがある。
確かに、アイルランドだけでなく、大国のはざまで苦しんできた沖縄も、流浪の民ジプシーも、どこか哀しくてそれでいてとても美しい音楽を持っている。
もう美しい音楽は世界にたくさん存在してるので、抑圧も迫害も、ましてや戦争なんて必要ないとあらためて思う。

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