年上が無条件に嫌われる社会
今の若者は、年上のことを無条件に敬おうとする人間がほとんどいない。
核家族化が進み、家族を大事にする儒教倫理は解かれた。
それにともなって、個人信仰が強まり、人から人に受け継がれるという感覚が薄まった。自分より長く生きている人間に無条件に頭を下げるなんてことはできなくなった。
個人としてみるからだ。
グローバル化によって同世代の人間の背景にある属性が多様化したために、属性だけを切り取って判断する人間は狭い、と子どもの頃から学んできた。
だから年も絶対的なものではなく属性の一つとなった。
年なんて関係なく、自分にとって尊敬できるかどうかで見る。
加えて今の35歳以下の若者は、バブル期より上に入社した人間を、老人を、恨んでいる人が多い。
若者は甘いから悪い、本当にリーマンショックと東日本大震災の際に、一年半毎日ESを出しても正規労働者になれなかった人たちにも平気でそう言う。
「死ぬ気で働いたよ、パワハラも上等でさ」と昭和を美化する人間達よ、あなた達が就活をしていた時に、非正規雇用という概念もなく、田舎から出てきたら金の卵だと言われて駅に送迎のタクシーが迎えに来てくれたじゃないか。
そして、税金で十分な保障をもらってすごしている。
あなた達に払う社会保障費で、若者の貧困は後回しだ、若者の教育の充実は後回しだ。
「子供を産まないなんてありえない」
あなた達がよくいいますね。
私たち若者は、本音ではコロナである程度自然淘汰されていけばよかったのにと思っていますよ。
そうしたらあと20年待つことはなかったのに。
いや若者は感謝すべきなのかもしれない、この老害達がいるおかげで、私たちは共通の敵として団結して歩むことができる。
未来の若者達が私たちのような価値観を認めてもらえない苦しみを抱えないように、ジェンダーも人種差別も、ずっと議論し続けないといけない。
正直、本当は尊敬したい存在を憎むのは悲しい。
でも上の世代は、自分達が押し付けるほどの倫理が私たちの中で絶対化されるものではないことを、理解して欲しい。
今日は過激なノートになってしまった。
でも、恐ろしいことに、これが本音だ。
これは鏡であって、自分も下の世代に早く居なくなればいいと思われる可能性が高い、だからアップデートをやめないようにしたい、若者に寄り添って生きたいと思う。
彼らが悩んでいることを聞きたいのだ、一生。
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