タイムカプセル

一仕事終えてリビングに行きTVをつけたら、機織りの映像が映し出された。

久米島紬。

20代〜30代と、きものに関係する仕事をしていたけれど、きものそのもの、その作りについて実はあまり詳しくない。まわりは、物がどのように成り立っているのかとか、その構造に興味を持ち、理解し、物の素晴らしさに感動していく一方で、限りなく「全く」に近く、そこにそそられなかった。

本も読んだし勉強もした。でも、何々染だとか、何々織だとか覚えることすらままならず、私の脳は、ウォータープルーフならぬ「伝統プルーフ」なのかと真面目に悩んだ。

最たるは、きものの文化史の取材中に、眠ってしまったという・・・おっそろしき武勇伝。大好きなおじ様にお教えいただいて、いつも奥様がケーキを出してくださって、東京一人暮らし女子にとって「ただいまー」と帰る実家みたいな、本当にお二人には可愛がっていただいたのに。それでも毎月取材させてくださった。熱心に話をしてくださる傍で、毎回、睡魔に襲われ白目になるのと必死に格闘していた。

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「日本文化」というでっかい海の中でもがきながらいろんな本を読んだ。

それからはや何年。その間にも、ものづくりを教えてくださる方とのご縁は幾たびかあったのだけど、その都度、いろいろをやらかし、、、ライターとしても無理なんじゃないか?と挫折感も味わった。

それが、自分の子どもが当時の私の年齢になった今頃、何気なくつけたTVで織機を見たとき、あれ?と思うくらい心が素直だった。この手の番組を見ると正直苦い思い出しかなく劣等感の塊になるので嫌だった。その「イヤイヤ蕁麻疹」が出なかった、みたいな。

番組では、久米島紬だけでなく、藍染や紅花染についても紹介された。とてもわかりやすく丁寧に作られている、そんなふうに見れるくらい、私の何かが変わっていた。「睡魔に襲われず最後まで見る」ことができた。

なぜ、この植物から、この色をとりだせたのだろう。
どうして、この植物に、その色があると知ったのだろう。
どうしたら染まるのか。なぜ色落ちを止めることができると知ったのか。
織り糸を作る、染める、そこから柄を織り成す、一体どうして?
藍の花、その膨らみ加減で、甕の中の液体の状態を知るとか。
発酵を促すのに日本酒を入れるとか、どうやってその行為に至ったのか。 

作業の大半が「手仕事」「身体仕事」。すべてが気づきと加減なしにはあり得ない世界。加減を感覚で身体に覚えこませ、思いのままに「遊ぶ」かのごとく仕事の出来る「身体」を作っていく。

ちょこっとだけ気づいたのです。

TVを通して見ていたその光景は「物」を作る過程。でも同時に、この過程は、人が・・・普通の人間が、自分の中にある可能性を開花していく過程でもある、と。

何も出来なかったところから、あらゆる自分の持っているもの(身体機能・感覚器官、ありとあらゆる備わりのすべて)を活かし修練していく過程でもあると。「人」が作られていく過程でもあるのではないか。

それが高まって、時を超えて人の心を揺さぶる「美」へと昇華されていく。

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紅花の花。あの植物が棘のある痛い植物だなんて知らなかった。「藍の華」のきらめきも知らなかった。それらをこの身体に「通して」みたい。それを通した時に目覚めるものがあるのなら、感じたい。素直に思う。

「伝統工芸は、その一つ一つが、技術のタイムカプセル」

ふと思い浮かんで言葉にしたのだけど、私の中のタイムカプセル、先日の「WAJIMA」もそうだが、ちょっと顔を出したのかもしれない。

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【text by REIKO from Japan】

佐藤礼子 山間地の昔ながらの暮らしが残る環境で高校までを過ごす。高校時代の愛読書は『留学ジャーナル』と『Hi-Fashion』。短大で村田しのぶと出会い、物心両面で彼女と彼女の家族に支えられる。「ここなら合うと思う」と村田が持ってきた会社案内で就職先を決める。そこで宮本ちか子と出会う。彼女はネパールへ。私も結婚・出産を経てフリーランスライターに。タマラと出会い、ライター業と兼務で創始者秘書に。タマラが縁でハワイ島で成田水奈と出会う。その後、宮本ちか子もタマラに参加。そして、約20年ぶりに村田しのぶと再会し、2018年「Beautiful planet」を立ち上げる。

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