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生きているから傷がつく


7/17

家から駅まで、走って3分。その道を私は毎朝「全力坂(下りなのが救い)」する。
いつもは電車に飛び乗ってハーハーして、ちょっと恥ずかしいだけで済むのだけど、今朝はその全力坂中に、買ったばかりのウォーターボトル(得意げに水をタプタプに入れたせいで重みを持ったやつ)を思い切りアスファルトに落として、結構な擦り傷がついた。
「あ」と、一瞬でささくれた心とボトルを抱えながら走り切った後、ジワジワとその痛みが効いてくる。あ〜あ、あと5分早く起きれたら走らなかったのに。しっかり鞄のチャックをしめれば落とさなかったのに。高かったのに。これがなければ....
満員電車の中で押し潰されながら、悶々とたらればを巡らす———

あれから数週間。少し時間が経つと、見えたままの傷でも透明のカサブタが付き、そのものが一種の表現!とすら思えるようになるから不思議。でもこれ以上は傷つかぬようにと気を張り巡らし、もしかすると追うべき傷だったのかもしれないと自分に言い聞かせるようにすらなる(何か大きな不幸の代償だったのかもとかも)。

考えてみると、物だけでなく、心や身体にある傷、たくさん。思ってもみないことで負うものの方が多い気もする。
どんな形の傷にも時薬というものは万能で、毎日少しずつ摂取して塗布して、だんだんと癒えていく。そうして大小の傷ひとつひとつにいずれは意味を見出し(見出せなくても、ため息ひとつで吹き飛ばせるくらいには軽くなって)やがて忘れて、また新しい傷に悩まされる。その繰り返し。
生きていたら傷はつく。
いや、生きているから傷がつくんだね。

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