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離れてみたら

感じたこと

東京を飛び出て
おばあちゃんのお手伝いをするために
電車で何時間も揺れて
おばあちゃん宅へ向かいました。
道中長すぎて
自分でも引くくらい
すごい体勢と顔で寝てたと思う

東京から物理的な距離ができたとき
東京には
なんでもあるけど何にもない
おばあちゃんちには
何もないけどなんでもある
そうそう忘れてた忘れてたって感じ。
色んな意味で豊かなんですよね。ほんとに。

SNSも
東京で見てたときは
手に届きそうなくらい
身近な距離に感じるんだけど、
おばあちゃんちで見るときは
ほんとにすごく距離を感じる。
もはや別世界?
そして自然とスマホに手が伸びなくなる
(今はその感覚を書き留めるために
スマホに向き合ってるのですが)

わたしは
東京にいる方が色んな情報を求めるから
SNSに触れる回数が上がる。
そうすると
人生のタイミングがわからなくなってくる。
とういうより、タイミングがわからなくなってた。
周りの人の人生のタイミングをSNSで
日々目にするわけだから
タイミングってすぐ来てしまうものなのかと
錯覚してしまうし
そもそもタイミングなんてあるのかとか
思えてくる時もあったり。
あー、
来るべきタイミングを逃してしまう、
SNSの魔の囁きの威力をほんとに感じました。

そう、人生にはタイミングがあるってこと、
人それぞれのタイミング。
東京から離れてみてね、
これを1番感じたんです。

私は結構ダウン気味だからこそ、
余計にタイミングを待つべきなんですよねきっと。
おばあちゃんの肩揉みしたとき
すごく笑顔で
ありがとうって言ってくれた顔見たら
満たされました
これだよねこれ!


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