長く好きでいるために
母親が昔言った「赤ちゃんの仕事は一生懸命生きること」という言葉が大好きだ。この言葉には無償の愛がふんだんに含まれている。「特別なことは、しなくていいんだよ」と。子供の頃は思い出さなかったのに、大人になってからよく思い出す。
それは、大人になればなる程、「一生懸命生きること」の意味について考えるからだ。
BTSもアミ(BTSファンの総称)も、いつも「一生懸命生きること」についてぐるぐる考えている。だから悩みは尽きない。
BTSのファンダムは巨大なため、1人1人の言葉がものすごい速さで共有され、巨大な力を持つ。それはメンバーもアミも同じだ。そこで、自分にとても大きなアバターが出来たと勘違いする。それは危険だ。
もともとはみんな1人の人間で、それはBTSもアミも同じ。1つ違うのは、メンバーはアバターを持っていない。BTS自体が彼らのリアルな人生だからだ。
でもアミは、BTSという変換器を通して自分の巨大なアバターを持つことが可能になってしまう。
そうなった時に、「推し」は「推し」で無くなる。自分のアバターを構成するための道具となってしまうのだ。
推し達をアイドルではなく、1人の人間として見るのはリアコ警報発令するので危ないかもしれないが、推しを自分の巨大アバターにしないためには非常に大事なことだ。推しは推し、自分は自分。推しの凄さと自分の本来の魅力を混同してはならない。
「自分が一生懸命生きること」と「推し」は切り離して考えなければならない。推しと自分を混同した途端、間違った世界へ飛ばされてしまう。正しい世界に引き戻そうとする声は、「自分のアバターが住む世界を攻撃する異質なもの」としてしか、中毒にかかった者の耳へは届かなくなる。
そうなる前に、推しの力を借りなくたって、本来の自分の姿でも十分素敵なのだと言う事を思い出さなくてはならない。
BTSの言う「Love Myself」とはきっとそういうことだ。リーダーのナムさんは、「お願いです。僕を使って、BTSを使って自分を愛してください。」とライブ会場でアミへ向けて話した。テテもジンも、アミがLove Myselfをしてる姿を見るととても嬉しくなる、とインタビューで語っている。
私から見たテテは、アミと同じ高さに肩を並べながら歩いてくれている。どちらが上も下も無く、どちらも自立している。
推しと長く一緒にいるためには、推しと自分を同一化するよりも、そうやって、肩を並べて歩んだ方がいい。
それが、長く好きでいるための秘訣のような気がする。
🍀おまけ🍀
みんながあえて口にしないような自分自身のこと、その心の柔らかい部分でその人に共感すること。
生い立ち、考え方、性格など。
推しが出来るということ。
推すことは「共感」、でも自己同一化するのは「依存」
依存すると、間違えていると思うことも受容しなければという脅迫観念が生まれるけれど、共感ならば、共感出来ない部分は自分のままで。
「依存」ではなく「共感」にすれば、自分の価値観も相手の価値観も傷つけず、お互いを大事にして肩を並べて歩いて行ける。
悪いものは悪い、良いものは良い、でいい。違和感を感じたら、そこは自分の考えを大事にしていきたい。