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「45歳以上の学力は世界一」日本の詰め込み教育はむしろ海外で高く評価されている

「45歳以上の学力は世界一」日本の詰め込み教育は
むしろ海外で高く評価されている

私は昭和三十年代の生まれで、表題にあるような「日本の詰め込み教育」をどっぷり受けた世代です。「ゆとり教育」が始まる世代のひとまわり上の世代です。

まず、「詰め込み教育」「丸暗記」という偏見と先入観に満ちた言葉が嫌いです。

例えば、体育、バスケットやるにもバレーやるにも準備体操しますよね?ストレッチとかもする。毎回同じ。「丸暗記」的準備体操をしないとバスケット、バレー競技の際に怪我をしますよね?運動の「詰め込み学習」してますが、それは非難されない。体育以外の教科だって同じ話じゃありませんか?最後に問題を解く、解決するのに「事前運動」のような「丸暗記」ならぬ「反復学習」をしないと、問題は解けない、解決されません。

「丸暗記」が悪いという。例えば、日本史、世界史の年代を暗記するのに何の意味があるのだ?という愚問を発する人がいます。

有史以来、人類史は六~八千年ありますよね?その人類史の中で、ある出来事が何年に起こったか、これを暗記することで、世界史、日本史の流れ、時代的位置がイメージできます。つまり、ある出来事、ある人間の行為がどの人類史の中の位置づけになるのか、これがイメージできる。こんな感じの年代記が頭に入ります。

弥生小海退

仏教

昔、ゆとり教育を受けた一世代下の人間が私の部下になりました。彼は「世紀」が理解できないのです。理系で歴史は必須ではなかったようです。

例えば、1525年。これは何世紀?がわからない。十六世紀だろ?というと、なぜですか?1525年を100で割れば十五でしょう?十五世紀じゃないですか?などと頓珍漢なことを言います。その頃は1996年でした。「おい、高橋(ゆとりくんの名前)、今は1996年だけど二十世紀だろう?」「そう言えばそうですね?」「じゃあ、2000年は何世紀なんだ?」「え~?二十世紀ですか?」

そう、世紀の区切りってのが、世界では曖昧です。日本は、二十一世紀の始まりの年は「2001年」です。しかし、二十一世紀の始まりの年は「2000年」という国もあります。日本、アメリカの人間は概ね「2001年」派。英国では、2000年がもう21世紀だと主張する人が現れ論争となりました。当時のブレア首相がテレビで改めて二十一世紀は2001年からと述べ確認したそうです。

カナダやドイツでは「国内で2000年から二十一世紀が始まると考えている人もいる」と混乱していたそうです。韓国は、2000年が二十一世紀の始まりとしています。初めの一世紀は西暦一年から九十九年までの九十九年間だとしているようです。中国も一時は2000年開始説をとっていましたが、今は2001年に変えました。

まあ、正確に何年何月何日なんて覚えなくとも、だいたいどの国で何世紀に起こった程度が把握できていれば、その時の日本の世界の位置づけはなんだった?石器時代だったのか?戦国時代だったのか?とかイメージできます。それで、人類史という流れが理解できるはず。

すべての学習は、イメージありきですそれには「暗記」、「丸暗記」も必要ということ。元素表だってそうですよね?どんな元素があるか、暗記して初めて位置づけがわかる。陽子と電子の数もわかる。各元素の系列で特色があるのがわかる。「暗記」しないとそれらをイメージできません。

子供になんらの準備体操もさせずに、基礎素養がないのに「創造性」とか「独創性」なんて求めてはいけない。

準備体操、反復運動なしで、バスケット、バレー競技をさせて怪我させるようなもんです。「ゆとり」なんてのを信じてはいけません。

詰め込み教育」「丸暗記」という偏見と先入観に満ちた言葉を使うのを止めましょう

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