美/自意識
稽古場の汚い床に寝っ転がりながら書きました
まあみんなそうだと思うけど、美しくなりたいでしょう。美しくなりたい。とりあえずわたしは美しくなりたい。なりたいというより、美しくありたい。
美しく生きるのに、持って生まれた自分の顔や身体が邪魔。という話をします。
たとえば、今わたしは稽古場に自主練をしに来ていて、爆音で音楽をかけて、美しいテキスタイルのワンピースを着て、きちんとメイクをしていて、長い髪で、お気に入りの靴を履いて稽古場の汚い床に寝っ転がっているわけです。
なんにもない稽古場の古びた床に黒髪ワンピースのわたし、という、この状況とわたしを取り巻くモノたちは、かなりわたしの好みであり、わたしが美しいと思う状態なのですが、いかんせん、自分の顔や身体が自分の美意識についていっていないのです。悲しいことに。
わたしは、演劇で役者や脚本・演出をしていて、そのつながりでポートレート写真を撮ることも多く、自分の顔・身体・演技・表情というものをある意味価値のあるものとして見せる機会が多いと感じています。
そんな中で、こう思われているんだろうな、というのが、『どうせあなたは自分のことを美人だと思っているんでしょ?』というもの。
半分正解、半分誤解。
鏡がない限り、自分の顔を日常で自分で見ることはできないですよね。そんな時、わたしは自分を美化している気がします。だって自分の顔、見えてないし。だから、演技をしているその瞬間や、写真を撮ってもらっているその瞬間、もしくは普通に生活している瞬間、わたしはわたしの顔を本物のわたし以上だと錯覚しているような気がします。
でも、ひとたび演技が終わって記録映像を見たり、出来上がった写真を見たり、もしくは普通に友達と遊んでて撮った写真を見たり、鏡を見たりすると、めっちゃ思います。わたし全然美しくないやん、って。自分の顔が見えてないときの自分の顔を、もっと美しく認識してたわ!って。
これみんなそうなんですかね。
たとえばわたしは、いいところだけ言うと、日本人の中では顔が小さいほうだと思うし、スリムだし、あごあたりの骨格はそれほど嫌いじゃないし、肌汚いけど中学生の時よりは治ってきてる?みたいな認識をしてるのだけれど、
実際に写真をみると、わたしは、やっぱり肌が汚いし、目が小さいし、目の位置が上すぎるし、左右の目の大きさが違うし、全身のバランスが悪い(顔がデカいし、骨格も全然すっとしてなくて、あごと首が繋がってる?)し、口ゴボ気味だし、顔が異常に長いし、髪の生え方が変だし、まず髪ボサボサだし、髪型変だし、足めっちゃ短いし、頬骨どんだけ出てる?って感じだし、歯並び悪いし、
せっかく綺麗な衣装を着せてもらってきちんと化粧をしたつもりで、舞台上でいい女みたいな役をやって、その時は自分をそういうことをするのが見合う女性だと思っていても、ひとたび写真を見ると落ち込んでしまいます。全然合ってないやん、って。あと、動画もそう。もっと綺麗に歩いているつもりなのに、どうにも不恰好な歩き方しかできないし、腕の上げ方、ダンスの仕方ひとつとってもまったく美しくなさすぎてへこんでしまいます。演技も下手だし。
だから、「自分のこと綺麗だと思ってるんでしょう?笑」という問いに対しては、「いや、自分のブスさは完全に理解しているし毎回写真みるたび落ち込むんだけど!でもね!自分の顔が見えてない瞬間に自分がブスってことをどうしても忘れがちなの!忘れがちっていうかなんか認識が歪んでる?の!だから自分の写真の顔はほんとは好きじゃない!あとダンスが下手ってことや、身体の動きが美しくないことも忘れがち!だからごめん!ブスなのに舞台に立ったりポートレイトで超かっこつけててごめん!でもわたしは美しくなりたいし、美しい役をやるし美しい状況のポートレイトもたくさん撮るけど、でもその美しい状況に自分の顔や身体、そして身体性が邪魔だということを自分の美意識がいちばんわかってて、それでも、自分を演劇的美しさの要素のひとつに入り込ませたくて、自分の身体や顔を使ってその美しさの表現をしたくて、そのダブルバインドで狂いそうになりながら生きてるの!じゃあ整形しろよって言うかもしれないけど、そしてわたしは整形をまったく否定しないけど、わたしはいま個人的に、わたしの生まれたままの顔や身体を愛したいの!あとダンスとか身体の動かし方とかについては随時勉強中。お願いだからそっとしておいて!あとたまに自分でも盛れてんなって思う写真が撮れてたときはまじでテンション上がる。ほんとごめん。」というのが正直な感想。
使途不明金にします