ある日の日記
今日、バイト先の寿司屋で、酔った客がわたしの指先や髪や肩や首筋のあたりをべたべた触ってきて非常に不快だった。
今日の話だけではない話。
まず「あなた」が酔って欲情するために、わたしの首筋は白いわけではない、
「あなた」のためにわたしは女のかたちをしているわけではない、
そして、「あなた」だってこんなどこの馬の骨ともつかない女性に触れるために、男のかたちをしているわけではないだろうに、
不快だった。切なかった。
女性でいることや、女性性を消費することに、わたしはあまり疑問を持たない。
わたしを好きな誰かや、わたしが好きな誰かと、わたしを女性として消費することはむしろ好きだし、
女性性と結びつかないわたしすべてを、わたしが大切だと感じる誰かと消費すること(性の消費でもいいし、写真を撮る・撮られるとか、演技をする・見られるとかでもいいし、単に人として時間を消費しあうのでもいい)において、わたしは肯定的だと思う。
つまり、何が言いたいかというと、
わたしの白い首筋も、華奢な身体も、長い髪も、主張的なアイラインも、21歳も、銀のネックレスも、若い眼差しも、指先から伝わる熱も、
わたしが好きな誰か・わたしを好きな誰か・相思相愛の誰か、わたしでなければいけないはずのだれか、と、長い時間をかけてゆっくりと消費すべき産物であって、
通りすがりの「あなた」に、即物的に消費するために飾りたてたり、可愛くあろうとしたり、若くあろうとしているわけではない。
もし、「あなた」の目の前に自分の所有物でない高級車があったとして、
「あなた」はまさかいきなり飛び乗って荒々しく運転したりしないでしょう。
せめてその車の素晴らしさと、所有者のセンスや財力を讃えるだけだろうに、
どうして通りすがりのわたしを即物的に消費していいと思うんだろう。
おわり。
なんでもジェンダーって付ければいいと思ってない?
使途不明金にします