診断名は適応障害でした[備忘録]
お久しぶりです。
好きな本の記事を書いたり就活の話したりしていたあの頃が懐かしい、と
今しがた久しぶりにnoteを開いてしみじみしています。
現在23歳、社会人2年目。学校勤務(教員ではありません、どちらかというと事務職に近い)。
タイトルの通り、先日適応障害と診断されました。
予想はついていました。ので、特に驚きもしませんでした。
今日はその話をしようかなと思います。
のぞいていってくれたらうれしいです。そして、知識のある方、どうかアドバイスをください。
【職場のこと】人間関係は良好、「残業禁止」の方針…それでもつらかった訳
社会人2年目、だれにも気づかれないまま独り立ち
職場の環境が理由で適応障害やうつの診断を受けた方の記事をいくつか読みましたが、主な原因は「人間関係(いじめ)」と「残業(過労)」でした。
たぶん、私はそのどちらでもない。自分のことなのに“たぶん”と言うぐらい、この状態になった明確な理由がないんです。
先述した通り、私は現在社会人2年目。1年間で吸収したことを自分なりにかみ砕きながらモノにして自信につなげる年(だとわたしは勝手に思っています、反論認めます)。しかし、周囲で異動と退職が重なり、私の担当業務は1年目から大きく変わりました(昨年度の3/4は違う仕事してます)。もちろん引継ぎは受けましたが、わからないところをひとつひとつ丁寧につぶしていきたい私には(ただのマイペース)、前任者が近くにいないことがとてもしんどかった…。
加えて、少数精鋭部隊の私の部署に、新人の子(つまり後輩)が入社しました。先輩たちはもちろん、その子の教育に時間をかけます。私は、誰にも見届けられぬまま、勝手に独り立ちさせられたような感覚でした。頼れない、でも自分の仕事の進め方が合っているのかわからない。もちろん聞けば答えてくれるけど、異動者も退職者も出て、新人の教育もあって大変そうな先輩に、声をかけるタイミングが見つからない。。。
学校勤務ではありますが事務職なので、基本的にはデスクワーク。ただ、校舎の先生や外部の方とのやり取りも非常に多い部署で、入社時に予想していたよりもはるかにコミュニケーション能力が重要だと、仕事をしながら気づきました(名刺が無くなる頻度が高いのよ…)。
かくして、周囲を常に伺い、苦手なコミュニケーションを苦手なままにあたふたしていた私は、少しずつ追いつめられていきました。
「残業はするな!」が生んだプレッシャー
自分のペースで業務を進めたい私(もちろん期日や納期は守ります、破ったことありません!断じて!)。なので、もちろん早く帰れればうれしいけれど、残業は別に苦ではありませんでした。昨年度は。
今年度から、職場の方針で「基本残業禁止」に。残業をするときは事前に申請(どういうこと?)して上司に許可をもらわなければならず、私にとってはこれもしんどかった。自由に残業させてくれ!と(社員のワークライフバランスのためというのは重々承知です)。
自然と業務が効率重視になるのは言うまでもなく。先輩からも、「もう少しスピードあげようね」「効率的に進められる業務を見極めようね」と何度か注意を受けました。うう…。
業務が終わらないけど残業してはいけない、の板挟みの中、だんだんと仕事を休むことがこわくなっていきました。休みの日も仕事を家に持ち帰り、なにか進めていないと、手を動かしていないと不安。この時点で自分の心の変化に気づいていれば良かったのかもしれません。それでも、自分が仕事を持ち帰るのは、自分の効率の悪さ、手際の悪さが原因だと疑いもしませんでした。
症状があらわれたときの話
はじめに大きな変化が出たのが6月。
朝、いつもどおりに支度をしていたのですが、どうしても外に出られない。身体が動かない。頭では、このままだと電車に乗り遅れる、仕事に遅れる、行かなきゃ、とわかっているのに、ドアを開けて外の日の光を浴びて、出かけることが出来ませんでした。頭痛と眩暈もあったので、体調不良を理由に休みました。その日は大事なプレゼンの日でした、罪悪感で死にそうだった。
仕事はそのころ、徐々に忙しさを増していました。いわば繫忙期(1年の半分ぐらい繫忙期)。漠然と、行きたくないな、いやだな、とは思っていましたが、まさかそれで仕事は休めませんし、休んだらその分仕事がたまり、後々の自分を苦しめることは分かり切っていたので、ぎりぎりに起きてぎりぎりの電車に乗り、毎日出社していました。
しかし、6月にドアが開けられず外に出るのがこわい、という症状が出てからというもの、とんとん拍子に自分の「仕事に行けない、がんばれない」が身体にあらわれはじめました。
通勤時に涙が止まらない、吐き気をともなう頭痛が続く、集中力が続かない、など…
そしてやっと病院に行けたのがほんのつい最近の話。何度も躊躇して、やっと受診できました。行ってよかった。
【家族のこと】積み重なった我慢の日々
この話をするとまた長くなるのですが…円満な家庭ではないということだけ書いておきます。
母子家庭で育った私。人生の半分ほどは両親が家庭内別居状態でした。母親はいわば「毒親」(だと私は思っています、母のことを知っている私の友達もそう言います…)。言葉が強いので言い換えると、過干渉です、とても。
実家暮らしなので文句は言えませんが、門限があったり、毎日の予定(どこにだれと行って何時に帰ってくるか)を共有したり、稼いだお金の使い道に口を挟まれたり。小さいころから、母の考えにしたがって生きてきましたしそれが当たり前で、口答えも反抗も許されませんでした。挙げ出すとキリがないのですが、もう家を出たい…と思い詰めるところまでいきました。
勇気を出して、母に、家を出たい、パートナーがいるのでその人と一緒に、結婚を前提に住みたいと言いましたが、もちろん「許さない」の一点張りで話し合いにもならず。母は、私が母親なしで生活できるはずがない、と思っているようで(確かに家事は苦手です)、「結婚するまでに花嫁修業をしてお金を実家でためなさい」とのことでした(私の中では、同棲をしたいよりも家を出たいが大きいんですけどね、一人暮らしよりもパートナーとの同棲のほうが貯金ができるかと思いそう提案したのですが)。
そんなこんなで、その後はまったく話が出来ず。母に同じ話題を言い出すのもこわくて、このままじゃいつまで経っても親の言いなりで生きていくのではと、それもこわい。
このままずっと家にいたくない、出ていかなきゃ、でも言えない、行動できない。日々の積み重なりが、体調悪化のひとつの要因なのではとも感じています。
現在とこれからのこと
ここまで書いた話をざっとお医者さんに話して、適応障害と診断されまして、今は処方してもらった薬を飲む日々です。仕事はこれまでどおり泣きながら通ってますし、親とは波風立てないように関わっています。
唯一、パートナーには今回の診断を話しました。特に驚かれもせず、「自分のペースでゆっくり生きようね」と言ってくれました。私の気質や考えをすべて受け止めてくれる器の大きいパートナーに感謝です。
休職したい気持ちはありますが、今は休める状況でもなく、異動希望を出しながら薬で落ち着かせたいと思っています。これが正しいとは思いませんが、今の私の精一杯です。
休職しなくても生きながらえている自分は、周囲の適応障害の方よりも軽いんだろうから、まだがんばらなきゃ、まだできる、という感覚がいつもどこかにあります。毎朝泣きながら支度して電車に乗っているのに。
久しぶりにたくさん文章を書きました。稚拙な文章を最後までありがとうございました。また何かあったら書こうかな、そのときはまたよろしくお願いします。
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